ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

邪払

年度末ですね。

黄砂がピークだそうで、窓の外は若干黄みがかった春霞で富士山も箱根も見えません。昨日の外出では、桜と鼻水と涙がハラハラと流れていく状況でしたので、本日はリハビリも中止して引きこもっています。今年も桜を見ることができたのは良かったです。

気温が上がってきたことで、じゃばらの発芽が促進しているようです。自生地との気候の違いもあって実をつけるのは難しいでしょうけれど、邪を払うのは縁起良いので、観賞用にならないかなぁ。

世の中も自分自身も色々難しかった2020年度。どうか新年度がうまく回りますように。

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二ヶ月経過

 

便利な世の中だと実感する場面

ここ数年で通信環境をだいぶ変えてきました。最大6回線も使っていたのですが、固定電話を止める所から始まって、先程回線を2つにまで減らしました。働きに出ていた時には、公務用と私用とに携帯電話を分けていて、家電話とネット固定回線があって、外でPCを使うために小型Wi-Fi。結構通信費をかけてしまっていましたが、家にいるようになったので1年前から見直しをしました。丁度1年前に楽天モバイルが「1年無料」を始めたので契約。YouTubeスマホを使ったテザリングをお勉強しまして、様子を見ながら固定回線を解約。先月末に小型Wi-Fiも解約して、スマホ2台にしました。

このところの携帯価格競争に乗っかって、回線の一つをUQにすることにしました。ネット手続きをしたのですが、ガイドを読んでも分からない部分がアリ、不安で作業が進みません。simの差し方さえも分からない。結局YouTubeを色々見てお勉強。更に普通に検索をかけてそれっぽい記事を見つけて確認。先程めでたく回線の乗り換えが完了しました。

分からなくなったら検索。

それで解決できることが多いっていうのはホント便利ですね。昔は沢山失敗しながら進めたものですが、扱う物の金額も高くなっているし、時短になるし。その分なにかを失っているのでしょうけれど。

相談メールと童話

メール相談をやっていると、返信に迷うことが多々あります。内容から一応解決しているなぁと思えたら間を開けることにしているのですが、それは良いのか?と。インテーク面接なんか特にそうですが、やり取りしながら、相手の様子を見ながら、不明な点を説明しあいながら、という方法で取り組んできたので、どうも不安が先行します。

しかも作文が苦手なものですから…文がやたら長くなります。余計な文章が多い気がするなぁ。そんな返事でもよろしければいつでもメール相談してください。

面接相談でも私は本筋ではない話が多いのですけれど、そういう話からいただける情報もありますし、距離も多少近くなるし。「たっぷり時間をかけて話を聴く」なんて公務員じゃないとできない事だと思ってやっていました。

面接だとその場でやり取りができるじゃないですか。イメージ的には野球のボール一つでキャッチボールしている感じで。メールのイメージは、元気玉

「チャットにすればいいじゃん」って助言はもらったのですが、違うんですよねぇ。

ソーシャルディスタンスなどの「新しい生活スタイル」で、私は結構教師力視点での武器が奪われたんだなぁとつくづく思いました。

 

まぁそれはそれとして、昨秋にネットで童話の募集要項を見かけた時に衝動的に応募してしまいました。受験生なのに何やっているんだろう?多分こういう所に自分の特性が出てしまっているのでしょうね。

とは云えゼロベースで創作する時間は無いので、むか~し教材で作った文を引っ張り出してきて、一カ月位ちょいちょい手を入れて締め切り間際に送ってみました。送った時はそれで満足したのですが、最近になって改めて読み直すと、って云うか読み直すまでもなく「これは童話ではない」と。とっても味気なくて簡潔な文章で、教材文から少しも離れていません。

相談メールをこう書けばいいのにね。逆になってしまった。ああでも余計な文章が多ければ童話になるんでしょうかねぇ。無理でしょうねぇ。

次はゲームだな…

アップデート出来ない人たち

良くも悪くもコロナ報道に馴れてきた今日この頃、オリンピックがらみで女性差別とか容姿侮蔑とかのニュースがネットに流れています。見えている部分から火元の方の意図が分からないので、そこは置いておいて、コメントでよく見かけた「今の時代は許されない」の方が気にかかりました。

昔から女性の地位向上って言葉をよく聞きました。幼少時代を男尊女卑の中で過ごしてきたので、家事=母という辺りに疑問を持つこともなく、男性優位社会も当たり前のように感じていました。そういう事に実感が持てたのは学生以降で男女差が身近になってからでしょうか。スポーツとか就職とか役割とか・・・

「男らしく女らしく」というのは私も前世紀は指導で使っていました。「年上らしく」とか「○年生らしく」と同じノリで・・・便利なんですもの。でもその事でお叱りを受けたことはなかったなぁ。抽象的な指導禁止にしてからは無いと思うんですけれど、どうだったかなぁ?そっちに馴れてしまうと、「○○らしく」という指導に違和感を感じるようになります。

容姿で言えば、私の体型なんか幼少の頃から言われっぱなしで、絶対自己形成に影響していると分析しています。教員やっていても子どもから言われちゃうし。こちらについては、今の子どもの方がストレートな表現をしますね。特に就学前の子どもの他者意識低下を感じています。

どっちもメディアが造ってきたものじゃないかなぁ?あるべき家庭の姿としてドラマやアニメで型を流して、容姿侮蔑して笑うような番組を流してきたのですから。社会意識はそうやって構築されていくものじゃないでしょうか?

学校教育の中で「差別をしない」は少なくとも題目上は昭和時代から継続的に掲げられていた内容の一つです。男女差別、障害者差別、民族差別など平成時代を通じて学校も随分変化してきたことを実感しています。それでも前世紀までは「差別じゃなくて区別」という言い方でグレーな部分がありましたし、そこに大きな疑問を感じる人は多くなかった印象です。社会の方が遅れて変化してきたように私は感じます。先輩方に意識の高い方がいた事や教職員組合の教宣活動も影響したのではないかと思います。

普通に考えれば「今の時代は許されない」というのは、平成を通じて市民意識が変わってきたって事なのでしょう。でもホントにそうなのかなぁ?ネットの盛り上がりは感情で盛り上がっているって云われますけれど、意識と感情は別物ですよねぇ。

それでも今回のような内容で批判が盛り上がることを社会意識の変化ととらえている方は多くいるようです。差別を許さないという空気が濃くなった感じでしょうか?社会人としては社会変化に合わせて意識を変えないといけないかなと。

特に教員はそういう所が苦手な方がいますよね。教師と子どもの関係の中で固定された考えでしか関われない教員が問題になるんですよね。度々書いちゃってますが、昭和時代の授業をしている先生が老いも若きも結構います。システムが変わっても自分が変われずに古いままで・・・古くても子どもに合っていれば良いのですがね。そういうことって大抵自分で気付くことは出来ないんですよね。古い先生には注意してくれる人がいないことが多いしね。

思いがけず教材ちょい研究 沼本ダム

月1回の医療指導で運動するように云われているのですが、何せ継続性に欠けた特性を持っているモノで、タダ歩くとかだと3日も続かない事は明白!ということで、自己支援を考える訳です。

トークンシステムにして、ご褒美を連動させるのも良いのですが、報酬を出す人と受け取る人が同じなので、よほど自分にきびしい人とかでないと、難しいと思います。私は自分に甘いので無理です。

ということで、嫌なモノに魅力的なモノを組み合わせる方向で考えることにしました。で、鳥撮しながら歩くことで運動量を増やしています。これに若干縛りを加える試みとして、撮った写真をブログにアップしています。このご時世なので近隣市区町村の人気のない所に出没しています。

今日は相模川沿いに鳥見できそうな所に行きました。

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写真は沼本ダムと云います。相模ダムと城山ダムの間にあるダムで、長年神奈川県民をやっていますが、名前を聞いたことはありませんでした。たまたま地図で見つけた場所でした。たまたま柵の外から写真を撮っている時に職員の方が点検にいらっしゃいまして、中へ入れてくださいました。点検は月に1回だそうで、何とタイミングの良いことでしょうか!

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ダムについての説明もしてくださり、質問にも答えてくださいました。もはや社会科見学です。

↓フィルターと仰っていました。取水口で6km先まで送水するそうです。

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下流方面。右岸から道志川が合流していて、左側へ行くと城山ダムになります。職員の方の話では、ここは津久井湖だと。

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4年生の社会科に県単元と水道単元があります。見学で行くのは宮ヶ瀬ダムか寒川浄水場でしたが、三保ダム、相模ダム、城山ダム、道志ダムくらいは個人的に教材研究として回ってました。その時はちゃんと調べたつもりだったんですけどねぇ、沼本ダムは初めてでしたねぇ。戦時中に完成したと仰っていたので、結構古いじゃないですか。見落としていたのでしょうかねぇ。

子どもたちと見学するにはちょっと不便な場所ですし、この↓二百段の階段も辛いモノがあります。鳥も観られましたし、結構な運動にもなりましたし、何より勉強になりました。まだまだ知らないことが多いなぁ。

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サンタクロース問題

在勤時の荷物整理を始めると、懐かしいモノが色々と発掘できるので、その度に手が止まり作業が進まないのです。以前、受け持っていた子が同僚になり、当時のテストをまだ持っていると言われた時にはドキッとしましたが、その子のお母さんから当時届いた手紙が出てきたので、機会があったら見せてみたいです。

その学級が低学年だったこともあり、その年のサンタクロース論争が結構印象に残っています。

その年は、富士山麓サティアンからハルマゲドンを企画した宗教団体が社会を騒がせていたので、低学年なのに(低学年だから?)その宗教に関わる言動がよく見られたことを覚えています。いやぁ、メディアには学校教育はカナイマセン。

 

学級担任に限りませんが、サンタクロースはいる?いない?って子どもから聞かれて答えに困りませんかねぇ。家庭の方針でそれぞれ対応が違うんですよね、当たり前ですが。宗教に絡んだ事例は経験していませんが、各家庭で育成ペースの違いがあるでしょう?その年齢で夢を壊して欲しくないって主張があれば、現実を教えるべきだって主張もあります。どちらの声も保護者から聞いたことがあります。

実際に北欧でサンタクロースをやってくれている方がいらっしゃり、お手紙を出すと返事が届くので、助かっていましたが・・・。今ドキの先生はどう対応するのでしょう?

日本のクリスマスは宗教色が薄いので、聖誕祭の意味も知らない人が多いんじゃないかと思います。「なんか知らないけど、昔っからサンタクロースが子どもにプレゼントを配布する日」っていう。キリスト教信者がどのくらいの割合かは知りませんが、信者の方はミサに行くでしょう?信者以外で盛り上がっているとしか思えないんですけれど。

日本の場合は宗教関係無しにお祭りなんじゃないかと思います。最近見なくなった正月の獅子舞に代わって年末のサンタクロースみたいな?宗教学の分野じゃなくて民俗学だよなぁ。その内、サンタクロースも消えてしまい、単にプレゼントする日になるんじゃないかしらん?日本だったらアリそう。

ちなみに個人的に色々な宗教は好き?なんですけれど、多くの日本人と同じように自分も無宗教的な生活してます。理屈はこねますが。

食育?

先月末に食べたじゃばらの種です。半分以上は腐ってしまいましたが、一つだけ芽が出てきました。育つようには思えない雰囲気ですが、しばらく様子を見たいと思います。

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ジャバラの種(1ヶ月後)

今はコロナで学校も大変ですが、世紀末にはO157騒動で給食から生ものが消えていきました。デザートで果物が丸ごと出てくるなんていうのも減ってきた印象があります。少なくとも出される種類は柑橘類くらいになりました。

基本的に栽培飼育は苦手なのですが教員をやっていると回避する訳にも行かず、取り組んだ結果は動物が死んじゃったり植物が枯れちゃったりと、情操教育にあまり良い結果は出せなかった20代でした。

栽培の本を読んだり先輩に教えてもらったりする中で、それなりに知識が付いてきた世紀末の頃に、給食で出された果実の種を育てるっていう事にちょいちょい取り組むようになりました。いつもの思いつきでしたが『美味しんぼ』の影響はあったかと思います。生きているものを頂くっていう事を実感させたいと思ったのですが、特に説話にした訳でも無かったので印象に残っていない子たちも多かったんじゃないかと思います。食育の走りですかね?最後の学級では、1年間で40本あまりの芽が出ていたので、記念品代わりに1人1本ずつ配りました。あれから十数年。果たして何本残っているんでしょうかね?