ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

アップデート出来ない人たち

良くも悪くもコロナ報道に馴れてきた今日この頃、オリンピックがらみで女性差別とか容姿侮蔑とかのニュースがネットに流れています。見えている部分から火元の方の意図が分からないので、そこは置いておいて、コメントでよく見かけた「今の時代は許されない」の方が気にかかりました。

昔から女性の地位向上って言葉をよく聞きました。幼少時代を男尊女卑の中で過ごしてきたので、家事=母という辺りに疑問を持つこともなく、男性優位社会も当たり前のように感じていました。そういう事に実感が持てたのは学生以降で男女差が身近になってからでしょうか。スポーツとか就職とか役割とか・・・

「男らしく女らしく」というのは私も前世紀は指導で使っていました。「年上らしく」とか「○年生らしく」と同じノリで・・・便利なんですもの。でもその事でお叱りを受けたことはなかったなぁ。抽象的な指導禁止にしてからは無いと思うんですけれど、どうだったかなぁ?そっちに馴れてしまうと、「○○らしく」という指導に違和感を感じるようになります。

容姿で言えば、私の体型なんか幼少の頃から言われっぱなしで、絶対自己形成に影響していると分析しています。教員やっていても子どもから言われちゃうし。こちらについては、今の子どもの方がストレートな表現をしますね。特に就学前の子どもの他者意識低下を感じています。

どっちもメディアが造ってきたものじゃないかなぁ?あるべき家庭の姿としてドラマやアニメで型を流して、容姿侮蔑して笑うような番組を流してきたのですから。社会意識はそうやって構築されていくものじゃないでしょうか?

学校教育の中で「差別をしない」は少なくとも題目上は昭和時代から継続的に掲げられていた内容の一つです。男女差別、障害者差別、民族差別など平成時代を通じて学校も随分変化してきたことを実感しています。それでも前世紀までは「差別じゃなくて区別」という言い方でグレーな部分がありましたし、そこに大きな疑問を感じる人は多くなかった印象です。社会の方が遅れて変化してきたように私は感じます。先輩方に意識の高い方がいた事や教職員組合の教宣活動も影響したのではないかと思います。

普通に考えれば「今の時代は許されない」というのは、平成を通じて市民意識が変わってきたって事なのでしょう。でもホントにそうなのかなぁ?ネットの盛り上がりは感情で盛り上がっているって云われますけれど、意識と感情は別物ですよねぇ。

それでも今回のような内容で批判が盛り上がることを社会意識の変化ととらえている方は多くいるようです。差別を許さないという空気が濃くなった感じでしょうか?社会人としては社会変化に合わせて意識を変えないといけないかなと。

特に教員はそういう所が苦手な方がいますよね。教師と子どもの関係の中で固定された考えでしか関われない教員が問題になるんですよね。度々書いちゃってますが、昭和時代の授業をしている先生が老いも若きも結構います。システムが変わっても自分が変われずに古いままで・・・古くても子どもに合っていれば良いのですがね。そういうことって大抵自分で気付くことは出来ないんですよね。古い先生には注意してくれる人がいないことが多いしね。