ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

ジャイキリ

ネットを見ていたら出てきた言葉なんですが、ドンデン返しという意味なんだろーな、と使われている様子からわかるんですが、ちょいと興味を持ちました。

ジャイキリはジャイアントキリングの短縮化したモノだと分かりました。直訳で巨人殺しでしょうかね?

サドンデスがダメで、ジャイキリがOKである理由がよく分かりません(・・?)

現場の判断

教員不足を理由に、担任不在学級を解体して他学級へと振り分けた小学校がネットの話題になっております。

定型学級の1学年だそうですね。記事を読んで最初に思ったのは何人学級なんだろう?ということでした。県庁所在地ですが、それだけでは推測もできません。でも少なくとも校長先生は、その方が仕事が進めやすいと考えたのでしょうね。教職員の方々の声も余程大きかったんじゃないかと思います。

級数は、春の時点での児童数報告に基づいて県教委が決めるんだと思うのですが、どこでも同じなのかしらん?文科省のページに学校長と教委の職務をまとめたものがありました。

中央教育審議会初等中等教育分科会(第16回)及び教育行財政部会(第14回)議事録・配付資料[参考資料1]−2

やはり校内人事はできるけど、学級数は決められそうもないですね。しかし校務を司るのだから、緊急避難的にはやっても良いような雰囲気もありますが・・・しかも記事を見る限りでは、保護者からの苦情は無いと云う事なので・・・でもまぁ、規則は規則で仕方ないですねぇ。記事を読むと「報連相」の方が問題だったのかなぁ、とも読み取れます。

「相談してください」という教委の声が書いてあるので良い事なんですけど、不足していることは分かっているのですから、現場の様子を把握しきれていなかった様子も想像します。でもなぁ、教委だって忙しいんだよなぁ。働き方が昔と変わってきたと聞いていますが、少なくとも私が見てきた教委の方々は忙しい方が多かったです。

今回の記事は当てはまらないかもしれませんが、現場感覚と解離する指示が上の方から出ることがあります。自分からするとまず指導要領が「え~っ?」となってしまうのですが・・・。それはさておき、その場その時の判断が常に正しいとは言いませんし、大局的なものの見方も大事というのも解ります。でも、もうちょっと各校でできることがあってもいいと思うんです。

個々に合わせる教育の基本は実践からのアセスメントだと思うんです。学校レベルだって同じじゃないかなぁ。他校と合わせられる所と合わせられないところがあって当たり前だと思うんですけど、「日本中どこへ行っても均一教育」を目指している政府には理解してもらえないかもしれない・・・ってことは支援教育なんて理解してもらえないのかなぁ?そうそう、特別支援学級が教員不足で統合されている年末の記事もありました。でもなんか扱いが違う印象があって複雑なんですけど。

ビーガン

ビーガンという言葉をよく聴くようになりました。菜食主義とは違うと云うことで興味を持ってググってみると、動物愛護系の考えなのかと思いました。「動物からの搾取」という言葉が出てきます。搾取しない範囲が色々出て来ますが、蜂蜜や絹も避けるそうで、昆虫も対象になっています。今流行りの昆虫食はダメなんですね。

記事を読んでいると、食としては健康によい面が多いようです。動物を食べないので、鉄や亜鉛、ビタミンA、ビタミンB2とB12、ビタミンDDHA、カルシウム、タンパク質などは不足するとのことですが、そこに気をつければ、メタボ系には有効な食事だと思います。まぁ結構気をつけるのが大変そうですが・・・

捕鯨反対運動で出て来た「頭のよい動物は守ろう」という優生思想につながりそうな考えでは無く、「生き物はみんな友達」的な?そういう発想なのかしらん?だとしたらこちらの方が理解しやすいかも知れません。

 

こういう話が出てくると、考えちゃうのが給食です。どうなっちゃうんだろう?

現状に習えば、アレルギー対応と同じ様にターゲットを避けたメニューってなるでしょうけれど、避ける物質が多すぎます。保護者がメニューを見て可食か否かを吟味して、不可食メニューを弁当持参、になるかなぁ。

アレルギーと違ってすぐに具合が悪くなったりすることはないんだろうけれど、宗教上の理由で忌避するのと同じ感じかなぁ。だとすると、結構もめそうだなぁ。

 

日本ビーガン協会のページを開くと、

vegan.or.jp

まだ、作成途中のようで、ビーガンについて詳しい情報は得られませんが、ブログなどを読むと何となく方向が見えます。ビーガン給食の記事もありました。

動物由来を避ければ、今の自分の健康にも大変良いことは分かります。出来ることはやりたいと思いますが、結構難しい。

単純に経済的にお肉の方が安い、という問題。買い物の時に「100gいくら?」という基準で思考していますが、米を除けば、圧倒的に鶏肉や加工肉に軍配が上がってしまいます。植物は高いよ・・・安いモノばっかり食べているから不健康なんだ、という理屈になるのでしょうかね・・・

もう一つ。野菜を作る畑を守るための獣害駆除ってのがありますが、そういうのってどう考えているんでしょう?駆除しない方向なのかなぁ?それじゃあ困る人がいるし、駆除したら可食な物は食べなきゃもったいないし・・・

植物だって生きているんだけどなぁ、と個人的には思います。植物に感情があると発信している方もいます。命を頂くことには変わりないと思うんですけどねぇ。「果実は動物に食べてもらうモノ」とは思いますが、与えられるモノだけで今更生きていけるのかなぁ?

電子マネーと算数

お年玉が電子マネーになりつつあるっていう記事をネットで見ました。なんか、スマホ同士で送金できるって機能は知っていましたから、驚きはないんですけどね。そう云えば自分も現金決済が少なくなったなぁと思います。ポイント付くしね。ところでスマホ送金って手渡しの範疇に入るの?

割と昔から「生活算数」って保護者には言ってきたんですけれど、こうなってくると算数がかえって難しいのかなぁ。

現金って触れて数えることができるけど、電子マネーってそれ自体を触れない。ってことは、操作活動ができないんだな。これは大きいなぁ。

お買い物経験でなんかで、お金の種類や初歩的な金銭感覚なんかが、算数の勉強に役立ってきていたわけです。「お金を使って考えよう」で5や10のまとまりとか繰り上がりの勉強につなぐことができました。

その経験が無いとすると、算数の授業は定型学級でも結構苦戦するんじゃないかなぁ。

支援級だったら出口も悩むと思うんです。卒業後の自立生活を考えて、優先順位を設定する際に算数の中で順位が下がる内容がでてきますよねぇ?

演算さえ分かれば、スマホで計算できます。だから計算の習熟は基本以上は後回しでもいいや、と考えてますが、同じようなノリなら、電子マネーで買い物できるならお金の勉強は無くてもいいや、となる人が出てきませんかねぇ?「去年と同じ」が大好きな考えない先生は、電子マネーだらけになっても、お金の模型を使って教えていそうで、そっちも怖いですが…

買い物場面を考えれば、算数の問題だけじゃなくて、自制心や計画性なんかも大事なので、個々のケースで分けて考えるのは当然として…

場合によっては数感覚や計算関連の学習の大幅変更の可能性がありますよねぇ?

電子マネーだらけになったらお金感覚をどうつかむんだろう?新札を刷るってことですから、すぐに消滅はしませんが、現金決済は少なくなっているだろうし、子どもによっては就学前に貨幣紙幣を一度も見ないケースも考えられます。どうしましょう?

小学校1年生って「初めての学習」が多い割に、初めてっぽくない進み方をよく見ますよね?例えば、平仮名の学習のあのスピードは、「普段身の回りで見てきたよね!!」という前提でしょう?

今までは黙ってお金の模型を提示しても問題ありませんでしたが、今後はお金の説明を丁寧にしなければなりません。いえ、今現在も少数派として存在していると考えた方が良いと思います。「お金って知ってる?」という真面目な発問から導入したり、お買い物などの使用経験を保護者に確認している1年生の先生は少数派でしょうから。

低学年でも、計算過程をお金で表現してやると理解できる子って結構いたのになぁ。

 

銀行が両替手数料を取るニュースを大分前に知り、貯金箱の使用が減るんだろうと思いました。お小遣いも電子マネーなのかなぁ?数字だけで実感が持てるのかしらん?

貯金箱に入れていくことで、重さや見た目で貯まっていくのを実感するのが大事だったんじゃないかなぁ。投入口からヘアピンなんかを使って、破壊せずにお金を取り出すことで器用さが鍛えられるとか?

昔、1円玉募金ってのが学校でありましたが、もうそんな時代じゃないのかもしれませんねぇ。

人生の空から

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

一休宗純さんの歌とされています。好きな歌というとちょっと違うのですが、若い頃から気に入ってはいます。同時期に好んで読んでいた徒然草の匂いがした、と当時は思っていました。

数え年の世界は知らない世界ですが、「元日=日本国民オール誕生会」という状態ですから、昔の京の街は渋谷交差点並みにフィーバーしていたのかもしれません。室町時代は平均寿命が十代だと云う事で、子どもの死亡率も高かったと聞いてます。特に子どもが一つ年を取ることは、今よりめでたさも大きいモノだったでしょう。

一応「めでたくもあり」と書いてあるんですよね。

昨日より今日は1日だけ死に近づいているって誰が言ってたんだろう?まぁそういう事ですよね。浮かれてばっかりで良いんですか?みたいな。みんなが同じように浮かれている事への警鐘なのかもしれませんが。

門松は 冥途の旅の 一里塚 馬駕籠もなく 泊まりやもなし

という歌もあります。一休宗純さんのモノと云われています。こっちの方が良いかな?何か旅感が出ていませんかね。昔、松山千春さんが「人生の空から」という歌を出しましたが、人生=旅なんですね。

乗馬して急ぐ事はできないし、駕籠に乗って楽もできない。かといって、休むこともできないのが人生、って感じでしょうか?う~ん、私は休んじゃってますけど……

人生=旅と云えば

人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。

なんていう言葉も思い出したりします。うんうん、私は急いでいませんよぉ(^▽^;)

ムーンショット

都市伝説モノの動画を見ると、すぐに情報元を確かめたくなってしまいます・・・情報教育の基本ですね。今回は↓

ムーンショット目標 - 科学技術政策 - 内閣府

気になったのは目標1、目標3、目標7、目標9です。目標1の中に

・2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。
・2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。

と書いてあります。そういう中での学校ってどうなるんだろう?

児童レベルで考えて、身体・認知・知覚の分け方は良いとして、特に認知面は大丈夫でしょうかね?メカニズムが解明されてきているんだろうけど、全解している訳ではないし・・・そこまでには解っているって事なのかな?そう思って目標の7と9を見るのですが、発達障害については、認知症がちょっとかすっている感じなのかなぁ?

そして目標3です。色々な事をAIが行なっていくとなると、人は何を優先的に学ぶべきなんでしょう?

昔「Idiocracy」という洋画が「26世紀少年」という邦題でレンタルされておりまして、タイトルに惹かれて借りて視ました。目標3だけ見てると、ちょっと頭をよぎる動画です。

ノーマライゼーションとかインクルージョンとか今流行りのギフテッドとか、みんな片仮名ですが・・・これらは学校現場や行政・家庭の教育意識を変える機会だったと思うのですが、ナカナカ壁が厚い状態です。マシにはなってきましたが、ムラがイッパイあって悲しい結果になる子が出ている訳です。勿論自省する点です。

でもこのムーンショットとやらが進んでいくと、間違いなく変わるんだろうな・・・ちょっと不安もありますが(>_<)

電卓の発売は1965年だそうですが、未だに「算数といえば計算プリント」というのが意図無しに行われているのをよく見ます。教科内容担当は文科省ですが、世の中こんなに変わったのに、伝統教科の変化は小さいと思います。新たな教科も・・・英語なんてポケトークで良いんじゃない?とか思ってしまうんですけど。保守的な文科省と学校現場では、ムーンショットが進んでいっても変われないかも知れませんねぇ。幸いなことにそんな悲しい事態を私が見ることは無いとは思いますが。