ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

Substance-Related and Addictive Disorders

DSM5のちょい読みを始めました。物質関連障害と嗜癖性障害群。「ある物質を使うことやある活動をすることに、人生を左右するほどまでに強く集中している」と書いてありました。自分でちゃんと止められればOKな様です。一つ前の項目が「秩序破壊的・衝動制御・素行症群」になっていて、自己制御の難しさで並んでいる感じでしょうかね?

 

①アルコール  ②カフェイン  ③大麻  ④幻覚薬→LSD

⑤吸入剤→シンナー等  ⑥オピオイド→ヘロイン等 ⑦鎮静剤・睡眠薬抗不安薬

⑧精神刺激薬→コカイン等 ⑨煙草(ニコチン) ⑩その他

 

煙草には離脱症状があるだけで中毒症状は無いのね。「ニコチン中毒」って言葉があったので混乱します。離脱症状は所謂禁断症状ですね?でも煙草はニコチンだけじゃ無いからなぁ。

アルコールは中毒症状も離脱症状も掲載されています。離脱症状の一つに「不安」が記載されています。

このところのネット動画を視ていると、再度緊急事態に入ったことで、街のインタビュー内容はアルコールに関するモノが多いようです。補償無しに商売を止められる経営者の怒りはもっともですが、客サイドの「我慢の限界」的な声は???と思います。我慢しているのは大人だけじゃ無いんだけど。去年よりマシではあるけれど、色々な制限が子どもにもかかっています。子どもがこれだけ我慢しているのになぁ。我慢する姿を見せるのも大事だと思うのですが、やはり世の中全体が我慢できなくなってきているのでしょうかね?それともアルコールに頼る人自体が不安に陥りやすいから我慢できないのでしょうかね?まぁ緊急事態宣言が出ようと出なかろうと、感染リスクを上げたくない人は考えないとね。社会的にワクチン効果が出るか、治療薬ができるまでの辛抱です。

coping

ストレスの対処法

問題焦点型 ストレッサー自体を変化させ解決を図る 除去・対策・相談して助言を受ける

情動焦点型 考え方や感じ方を変える 視点変更・気持ちの整理・気分転換・感情表出・訓練

ストレッサーそのものが対処によって変化可能な場合は問題焦点コーピングが適当で、ストレッサーが対処によっても変化可能でない場合は情動焦点コーピングが適当。

 

 

 

 

DSM5

Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders

アメリカ精神医学会の診断基準と診断分類です。要点をまとめた本を読んでいるのですが、これは時間がかかりそうです。そもそもがたくさんあるのね、精神疾患って。

意識の中に入ってきたのは2000年代だったので、当時はDSM4になるのかな?支援系セミナーには毎年通っていたので、日本版が出る前に発達障害についてのDSM5の内容は結構知っていたのですが、こうして全体を読んでみると、発達障害以外にも色々あるんだなぁと思いました。診断基準を読んでいると、重複する部分があって、診断の難しさも感じました。

これは全部覚えるのは無理だろう(>_<)

精神疾患の分類と有名所の診断基準をピックアップして覚えるのが精一杯ですねぇ。

TVの災害報道さえ

大雨で隣町の河川での危険水位越えや被害が報道されていました。

「〇〇市では…」と伝えている時にTVに映し出された画には、川の中に傾いている工事用の特殊車両。この地域を知らない方に〇〇市の被害を伝えるという効果は高かったと思います。

でも

あの場所は〇〇市ではなく、上流域の△△市でした。市境までは遠くはありませんが、〇〇市ではありませんでした。災害報道って正確さが求められるモノだと思っていたのに…

 

「マスコミの伝えることは全て正しいなんて考えてはいけない」と教室で伝えてきましたけど、今更ながら、どこで嘘をつかれているかに気づくのは難しいですね。

嘘はついていなくても、情報の切り取り方や伝える順序で、現場で体験したモノとは違う状況が伝わっていくという事は、ニュースの渦中を経験すると実感できます。

「情報にはベクトルがかかる」と云ったのはバクダッシュさんでしたか?「藪の中」なんて小説もありましたね。

真面目にやっている人もいるんですけど

気付いたらいつの間にか東京オリパラ開始まで1ヶ月を切っていました。誘致の頃から東京五輪反対派の私ですが、ここまできちゃったら何とか開催して欲しいと思います。出場する選手は「延期」という状況下でも頑張っているのですから。

開催されると選手の活躍がそうしたストーリーと共に語られて、五輪のイメージは延期とかコロナとかの色を薄めるんだろうなぁ、と思います。「結果良ければ全て良し」で流れてOKな部分とそうで無い部分があるんじゃないかと思うんです。

 

五輪に関する報道は、最近では観客問題と入国者管理の問題が上がっていて、特に後者は「想定する人はいなかったの?」と思えるほど初歩的な問題ですよね。ちゃんとした人が不在な組織によって誘致からここまで進んできたような気がするのは私だけなのかしらん?

ネットというのは便利だなぁと思うのは、過去の記事も閲覧できることですね。私は国立競技場の建て替え問題に疑問が大きかったのですが、検索すると詳しい経過や予算の変遷などを今でも見ることができます。

当初は7000億円規模の予算だったんですよね。「コンパクトなオリンピック」というフレーズと共に予算を抑える印象を与えていたのは良く記憶しています。でも、すでに4~5年前の段階で前会長が2兆円かかる、前都知事が3兆円かかるかもしれない、と言ってました。元都知事さんが、オリンピック予算はどれも超過しているという過去の事実を示して、まるで予算オーバーは当然のような印象を受けたのも覚えています。

国立競技場についての建設費は、2012年のコンペで1300億円だったそうです。最初に決定したザハさんの案は3000億円超だったそうです。この時点で???です。契約解除に何十億かがかかった上に再コンペ。人は自分の懐が痛まないのであればこの様に大胆な失敗をすることができます。一般感覚でこの損益は訴訟レベルじゃないのかなぁ。

 

東京オリンピックの公式サイトで「立候補ファイル」をダウンロードして閲覧することができるので、当時のアピール内容を引用してみると

「国民の支援  東京招致への支援
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会は、調査会社に委託し、IOCの調査に準じた手法で2012年10月に世論調査を行った。その結果、都民の65%、国民の64%が、東京でのオリンピック・パラリンピック競技大会開催に賛成しており、都民の81%、国民の78%が2020年東京大会は日本に良いレガシーを残すと考えていることが
判った。」

コロナは予想不可だったから仕方ないけど、それ以外にお金がかかっちゃっている現実は人為でしょう。プレゼン用の数字だとマスコミで説明する方もいらっしゃいますが、国民もこれで知らされていたんだよね。世論を誘致賛成にするための嘘とも言えるんじゃないのかしらん。1兆円はかからないコンパクトなオリンピックだからこの数字なんだと思うのは私だけ?

お金に関してはこんな記述もあります。

「大会組織委員会予算についての保証
東京2020は大会組織委員会の予算が均衡の取れたものであることを強く確信している。
しかし、万が一、大会組織委員会が資金不足に陥った場合は、IOCが大会組織委員会に支払った前払金その他の拠出金のIOCに対する払い戻しを含めて、東京都が補填することを保証する。
また、東京都が補填しきれなかった場合には、最終的に、日本国政府が国内の関係法令に従い、補填する。
東京都は、大会組織委員会予算約3,010億円に対し、非常に大規模な財政規模(2012年度の予算で11.8兆円)を有しており、万一の大会組織委員会の資金不足に対しても十分に補填することができる。」

均衡がとれた予算なんだって。でも、万が一が起きちゃったんだ。万が一って確率で言えば0.01%だよ?分かっているのかなぁ。

 

立候補ファイルにはこんな事も書かれていました。

「 2020年東京大会の理想的な日程
東京での2020年オリンピック競技大会は7月24日(金曜日)の開会式に続いて、7月25日(土曜日)から8月9日(日曜日)までの16日間で開催し、閉会式は8月9日(日曜日)に予定する。また、パラリンピック競技大会は8月25日(火曜日)から9月6日(日曜日)までの開催を予定する。
この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。また夏季休暇に該当するため、公共交通機関や道路が混雑せず、ボランティアや子供たちなど多くの人々が参加しやすい。さらに、この時期は日本全国で伝統的な祭が多く開催される時期であることから、祝祭ムードが漂っている。また、重要な点として、この開催期間は他の大規模な国際競技大会とのスケジュールと重複しておらず、東京においても大会開催に影響を及ぼすような大規模イベントの開催を予定していない。」

日本の夏は温暖なのです。夏休み中の東京は混雑しません。

いやいや嘘でしょう?空いているのはお盆期間の1週間だけでしょう?それも、昔はがら~んとしていましたが、最近はそうでも無いし。こうやってプレゼンで嘘をついて良いの?これを信じてやってくる選手がいたら可哀想ですね。

子どもが参加しやすいのはその通りだけれど、大人はどうなの?休暇の取得率は悪いんじゃなかったっけ?大規模イベントに至っては調整の結果だよね?普段ならコミケとか毎年やっているモノね。

 

イベントの後だとこういうのは忘れられちゃいますよね。誘致時点から???と思っていたのは、「復興オリンピック」というフレーズでした。確かに東京五輪なのに福島と宮城で競技開催が予定され、関連行事も被害の大きかった東北地域で開かれています。でも中心開催地は南関東+静岡で、何かしっくりこない。個人的には東京周辺の施設整備に汚染土や処理水を利用していたりすれば「お~」と思うのですが・・・。後は当初の予算を大幅に超えても誰も謝らない所かな。担当者のどんぶり勘定と見通しの浅さなのかしらん?それとも初めから意図的に考えられた利権なのかしらん?能力のない人が公的な仕事をしているのか、公的な仕事を利用して自分の利益拡大をしているのか・・・

参加選手ファーストではなく、スポンサーファーストだって事も競技予定時間から透けて見えちゃったし、ここまでの国内の動きだけを見ても「ちゃんとした人」が組織や政治家に少ないことが分かったし、色々忘れちゃいけない事があるんじゃないかな。せめて政治家だけはちゃんとした人を選びたいモノです。

オリンピック開催期間中は「オリンピック休戦」期間となるそうです。こういうことも忘れちゃいけない事ですよねぇ。これだけでも開催する意味はあるんじゃ無いかと思えてきます。

sociometry​

心理系の本を読んでいたら出てきました。ちょっと懐かしい。

ソシオメトリーと言っても、ほとんどの教員は知らないでしょうね。昔、大学で学んで実際に何度か実践したことがあります。経験が浅かった当時、学級内の人間関係で見えない部分が見えて助かっていました。

自分が習ったのは「クラスの中で好きな子と嫌いな子を5人ずつ書く」という方法で、書くことにより強化されてしまうなどの問題があるので工夫が必要だ、という教えられ方でした。その後見た本には、名簿を配って全員の好き嫌いをマークしていくやり方も掲載されていて、流石にどうかと思いましたが、根こそぎ知りたければこちらのやり方の方が徹底していると言えます。席替えを利用して「隣の席になりたい子となりたくない子」など自分では工夫したつもりでしたが、今考えると工夫や配慮が足りないと感じてしまいます。

数人以内の記入で完全性は欠いても手がかりとしては十分だと思いました。観察力が低かった当時、これで作った簡易なソシオグラムで、当時の自分からすると意外な孤立児童を予測して対応することもありました。何せ観察力がザルな上に、学級運営に迷う場面が多くて授業スタイルも固まっていない。

4つ目の学級までは、形を変えながらやっていた記憶はあります。日頃の観察から得られた感触との差が出なくなってきたり、全体指導の中で支援を考えるようになっきたりして止めたのだと思います。

完璧ではないにしても教室内の人間関係が表われるので、いじめ問題なんかで孤立している児童を見つけるには効果的だと思いますが、安易に実施できるモノでもありませんよね。でも見えてないのは不安でした。今は全体指導の中で「いじめのない集団作り」の方向ですけど、集団自体や指導する教員の状況次第で巧くいったりいかなかったり・・・

学級づくりは甘くないです

父の日

スーパーやコンビニで父の日表示がよく見られましたが、母の日ほどたくさん無いように思えるのは気のせいかなぁ・・・と思っていたら、ラジオで父親が大黒柱では無くなった話が流れてきました。自他共にそういう意識という調査結果になったと云うことです。

 

家庭教育では父性と母性の併存って結構大事だと昔から云われていますし実感してきました。端的に言い換えれば社会性と受容感かなぁ。母子家庭、父子家庭だからというわけではなく両親がいても機能していなければ同じです。逆に母子や父子の状態でも子どもにとっての父性と母性が保障されていれば良い訳ですね。

子ども自身の特性もありますね。同じ環境でも育ちは個々に違うトコロは出るので。受容感を大量に必要とするような子は母性型の人がいないと巧くいかないみたいな。相性みたいなモノかなー。そういう意味では離婚する時、養育者については子どもの意見を十分尊重して欲しいなぁと思うのです。

子どもにとってはバランスが大事だと云うことですよね。そのバランスも個々に異なる。丁度良さみたいなモノはあるのでしょうけれど、これもナカナカ難しい。やり取りを通して調整するモノだと思うのですが、「親の独善的な支配」だと巧くいかない確率が増える。巧くいくケースもあるからややこしくなる訳ですが、そういう場合子どもの方に許容力があるか、家庭の外に代替があるか、でしょうね。

独り親の難しさって一つの人格でこれをやりくりする点ですね。バランスをとれる方は大丈夫なんですが、それは大変なご苦労ですよね。不安や責任を独りで抱えて頑張るって凄いことです。

子ども自身が家庭の外に父性や母性を見つけ出してバランスがとれるケースもありますが、バランスが悪い時に家庭の中に逃げ場が無い。そういう点でも難しい。親も子どもも巧くバランスがとれるように家庭の内外を利用できれば良いんですよね。

じゃあ両親揃っていればリスクが下がるか?と言えば、確率的にはそうなんでしょうけれど、必ずしも・・・って感じでしょうかね。2人いるので、分担ができますし、相談もできます。できるはず・・・相談が難しいケースもよく聴きますけれどね。でも例えば両親揃って母性なら外での問題が起きそうだよなぁ、とか。

昔の大家族であれば、手もあるしどこかに逃げ場があったモノですが、そうでないケースもあります。いくら人数が多くてもみんなが一方向に偏っていれば、人数が多い分だけバランスがより悪くなります。

 

相談に来られたケースの中にも母子や父子の家庭はありましたが、関わった子どもたちは特性を持ちつつも素直な子ばかりでした。育て方に悩みながらも父性と母性を独りでやりくりできているのでしょう。頭が下がります。でも直接関わらない所の話を聴くと、独りでバランスをとるのは難しいと思ってしまいます。

しつけの代わりにゲームを与え、遊びもゲームという生活で、就学前の子どもの社会性が低下しているのを実感してきました。家庭の大黒柱が減少するのとリンクして更に社会性は下がっていくんじゃないかと考える訳です。だとすると、所謂我儘な児童が標準になっていくのかなぁ。小学校でソーシャルスキルレーニングが必要だなぁ。でも学校にはゆとりがありませんねぇ。もう少し先を見て考えて欲しいな。