本日は学校でお手伝い。久しぶりすぎてよく眠れず、頭が寝ている状態でした。まぁ今や学校は私にとって非日常ですから緊張しても仕方がないです。
長い期間をかけて何度かお邪魔させてもらっている支援級なので緊張したのは自分でも意外でした。体型のせいか、子どもたちが名前を覚えてくれているのは有難いことです。「100kg先生で〜す」と言っているのに言い難い本名で呼んでくれる子もいます。陰で担任の先生が刷り込んでいるのでしょうかね?
学校へ行くと当然ながら子どもたちの様子を見ます。観察しながら「教育って?」とか「本当に必要な学習内容は…」とか「学ぶってどういうこと?」なんて考えています。こんな教材あったら良いな、的な思いつきも現場にいると出やすいです。
さて公認心理師の試験勉強をしている中で、どの業種、領域でもチームを組んで協力して進めていく話がありました。学校も「チーム学校」という言葉が発せられてから時が経っています。現代の課題は複雑化しているので、チームで取り組んだ方が良いことは分かります。
チームで仕事をするには共通認識が必要になります。共通理解していれば尚よろしいかと思います。そうするには時間が必要で…果たして現状でそういう時間が取れるのでしょうかね?十分ではないように見えるのですけれど。
昨今「多様化に対応する教育が必要だ」との声が大きくなっています。現場レベルでも増々工夫が求められるのでしょう。じゃあ、ここに関係者の共通認識はなくて大丈夫なのでしょうか?
「教師は5者たれ」と前世紀に言われましたが、今世紀はこれをチームで乗り越えようということなのでしょう。一人ひとりが「5者」…つまり担任が学習面だけでなく生活面、心理面を個々と集団の2つの視点から専門性を持って育てていくのが20世紀スタイルなわけで、今世紀はこれらをチームとして分業して行くスタイル?
研修を通して専門性を広げつつ深めつつ、ってイメージでしたが、チーム化して教師は授業に特化させようということなのでしょうかね?行政は縦割りが好きみたいですけれど、小学校教員は「5者」の考え方が必要だと思うんです。
「働き方改革」で専科制が小学校にも導入されましたが、働き方は大きく変わったのでしょうか?あまりそういう話は周囲から聞かないのですけれど。先行実施していた研究校の報告には良いことばかりが羅列されていましたが、研究校なんてそんなもんです。数多くの研究発表を見てきましたが、仮設に対して「失敗でした」という発表は一つもありません。目標設定の仕方がうまいということもあるのですが、失敗を発表するのは外聞が悪いというのもあると思います。
仮に専科制が働き方を改善するものだとしても、私は大いに危惧してます。
卒業した子やその保護者と面談をする機会が何度もありましたが、中学校への不満のトップは「話を聞いてくれない」です。そりゃあそうでしょうね。担任している学級にいる時間は激減して、教える子の人数は何倍にも膨れ上がるわけです。授業やっているならその時間は責任持って生徒観察や対応しますよね?一人にかける時間は減るわけです。また「みんなで教えてます」は責任感も薄れるのかもしれません。
関わり方が大きく変わるんですよね。これが生徒と児童の違いからくるものだったらまだ良いのですが、話を聞いていると専科制が原因であるようにしか思えないのです。
逆に中学校が基本担任制をやるのはだめでしょうか?教科書ガイドを見ながらやる程度の授業なら誰でもできるんじゃないかしらん?国としては中学までの内容が「一般常識レベル」という認識なんでしょう?それってつまり、大人の人は中学授業を受け持てるってことになりますよねぇ?まして教員なら…
勿論、卒業生でも在校生であっても専科制に救われた子もいます。担任に頼れないケースで専科教員を頼ることができて課題改善に進めた例が少数ありました。
話を聞くってことをやるだけでも、今のカリキュラムを減らしてほしいと思うのですが、文科省も言っている「チーム学校」を進めるためには時間が必要で、カリキュラムは減らさないといけません。
働き方改革で「無駄な会議を減らしましょう」ってやるじゃないですか。会議が減ると共通認識が薄れます。もうそれだけでチームが機能しない。
やっぱり学校にゆとりは必要だよなぁ、と一日学校にいて思ったのでした。