ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

手抜き教科

授業のお手伝いをしている中で、子どもの声が聞けました

「もっと自由に作りたい」

だって。

 

図画工作の授業でした。題材は教科書の通り。材料は教材セット。色々声を出していた中の一言でしたが、とても大事な一言だったんじゃないかな。

テーマを無くして欲しい。自由に作りたい。

 

何か図工が中途半端な感じがします。

技法を教えるのではなく楽しむっていうのは良いのですが、評価の仕方が変わったようには見えません。まぁ今までだって、図画工作の目標に沿って評価できていたか教えることができていたかって疑問に思うことはありますけれど。自由に作らせて困るのは先生です。評価できない人が多いから。そういう人は図工で何を育てたいんだろう?

教材キットを購入して、ポイントも教えずに取り組んでいるようなら、きっと見栄えの良い作品だけに高い評価をするのでしょうね。

糊の使い方、ボンドの使い方、テープの使い方も教えずにいて、この教材で子どもたちは何を学び取れば良いのでしょうか??

基本的な道具の使い方、手と目の協応などなど重要な内容を多く含んでいるにもかかわらず、一番手を抜かれている教科だと感じているのは私だけでしょうか。

理解が進むか?

適応障害、うつ、ADHD双極性障害

大変珍しく短期間でニュースに障害名がいっぱい❗️報道のあった方々にはゆっくり自分のペースで療養される事を願っておりますし、女優さんのファンだったりするので、復帰されるのを楽しみに待つことにしましょう。

何でもそうですが、有名人がらみの時は、当然注目されます。今回も障害が一般に知られる機会ではあります。

でもネット動画や記事を見ていると、ちゃんと調べて報道してるかどうか疑ってしまうモノもあって、良いのか悪いのか…悪い方が大きいかなぁ?変なイメージや誤った認識で周囲の障害者に応対しちゃうんだよねぇ?

ブラックマヨネーズの小杉さんという方が多様化社会の視点でコメントしていたのは流石だなぁと思いました。みんながこういう視点を持てれば良いですがね。自省の念も込めつつ。

う~ん難しい

今月から週1回ペースで別の学校の支援級でお手伝いしてます。体調面に気を配っていただいているので、時間縛りもゆる~くて有難いです。あまりお手伝いになってないんじゃないかとも思うのですが、支援級なんか10年ぶりだし、子どもの活動はちょっとでも関わると刺激があって良いです。

2020春に退職しているので、COVID19対応の大変さを実感することは無かったのですが、昨秋から元職場の学校でチョコッと相談活動っぽいことをしてみて、色々変わった学校を見て難しさは感じていました。今回、子どもの指導に関わって、より子どもに近い所に入ってみて、今までと同じに行かない部分がより実感できて、現場の負担感がじわ~っと・・・

予想は出来るし色々話も聞いていましたが、やっぱり実感は別物ですねぇ。

 

先程ネットニュースを視ていたら、大臣や知事がまたお願いをしている場面と国民が困っている場面が抱き合わせで流れていました。「あらゆる対策を講じて、支援策を決定しました。」と首相が言っています。でも現場では経営に苦しんで要請を受けられなかったり閉店する様子が映し出されます。この1年、お願いをしている行政や議員が要請に従わなかったり、従ってないと写る行動をして、お手本を示してきているので、ちゃんと学習が成立している構図です。しかも反省の弁は無く「やることはやっている」としか聞こえないんですけれど、この1年、失策が無かったとは云えないと思うんですよね。

未知のヴィールス、変異株と続いてしまい、情報が少なく見通しが持てない中で判断するのは超難しいと思う訳です。だから大変だなぁと思います。でも、そんな状況で常に満点回答は無いでしょう?絶対ミスが出る状況です。普通ミスが出ると謝罪するんですが、偉くなると感覚が変わるようです。でもこれは子ども教育によろしくないですね。子どもから素直さを奪っている大きな原因じゃ無いですかねぇ?「だって国会議員だって謝らないんだから、僕も謝らない」みたいな。

 

そもそも要請を出している側は経済的な影響が無いから苦しさを実感できないのでは無いかと。

国家議員に払う給料額を失業率と同率だけ減額するとか、国民の収入平均額にするとか、市民生活と連動するようにしないと傷みは共有できないでしょう?赤字予算で1人何千万もする議員をあんなにいっぱい雇うのは?????です。

緊急事態下で学習効果がでていると思ったこと

住んでいる町が今月いっぱいの期間でまん延防止等重点措置となりました。お隣の東京都は緊急事態宣言ですが、私の生活の中では違いがよく見えません。

それにしても大臣や知事だけで無く、ネットや雑誌で結構不安を訴える人が多いのですが、人流は止まりませんねぇ。人流を止めることがベターな方法なのか?という問題は置いておいて、1年前と比べてリーダーの云うことは通らなくなってきているなぁと感じてます。例えば、地元ナンバーではない車が近隣の公園などにたくさん駐車しているのを見るとねぇ。自分の周りでは気をつけない人はいないのですが、街に出るとマスク無しで距離もとらずに喋っているグループを見かけるようになりました。

1年以上にわたって、知事や大臣がお願いをしてきましたが、身内とも言える公務員や議員が度々それを守れずに範を示せなかったのは痛いですね。処分も重い感じでは無かったですし。お店はお願い聞かなかったら罰金もあるんでしょ?

歓送迎会とか選挙区視察とか政治資金パーティーとか。度々「政府からのお願い」に反する行動が報道されていますが、「今まで通りの生活」をしているだけの意識なのでしょう。昨春に「新しい生活」を国民に呼びかけておきながら、新しくなれない人たちが公務員や議員にいっぱいいるって事でしょうね。または国民への影響なんか考えてないんでしょうね。まぁ分かるような気もしますが。

議員に関しては選んでいるのは我々なので、そういう人を選んでしまった反省はしなきゃイケないんですが、みんな忘れちゃうんだよね。選挙直前にそういう経歴の特集をメディアでやってくれれば良いのにね。緊急事態宣言なのに会食してたとか都境を超えたとか・・・「国難を国民と共に」っていう行動ができる人に政治やって欲しいです。

市民目線で見た時に、行政も立法も同じカテゴリーに入りがちなので、「大臣がお願いしているのに国会議員が守らない」は「国のルールを国が破っている」って受け止められるんじゃないかな。この1年間、こういう類いの行動を重ねてきたことで、「じゃあ自分も」となるのは当然のように思うなぁ。

この10年くらいで世の中全体が自閉傾向に進んでいる感じがして喜んでいるのですが、こういう時には困るなぁ。変なモデルばかりで学習を強いられているし、virusは見えないから。そういう意味ではちゃんと学習効果が出ているなぁと思う訳です。

学生の頃から度々聞く名言。

やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

忘れ物をしよう

菊池俊輔さんがお亡くなりになったというニュースが流れました。幼少の頃からアニメ特撮を見てきたモノとしては、お世話になりましたという気持ちです。作詞の八手三郎さんという方とセットで覚えていますが、どの作品であったか・・・仮面ライダーはこの方たちの組み合わせだったと記憶しています。でも最近特に記憶に自信がないんですよねぇ。違っているかも知れません・・・。

 

記憶つながりでもう一つ。先日ラジオで忘れ物の話題をしていた時に思いついた「学級での忘れ物対策」を突然ですが書いてみたいと思います。

クラスのみんなが1つずつ忘れることが出来たらご褒美

どうでしょう?意図的に忘れ物をさせるということです。日頃、保護者からの信頼が無い方は難しいかも知れませんが、ちゃんと育てる力を説明すれば実行可能でしょう。期間限定でも効果あると思うんですけれどね。まず変なルールなので気をひきやすいし、ゲーム性が出てくるので子どもは乗ると思うのですが。

忘れるモノを一つにすると云うことは他の物は忘れてはいけないので、結局全体に意識が届くことになります。何かしら忘れている子が多い状態なので、学級内で相互扶助場面が多くなることになりますし、当然コミュニケーション訓練にもなる訳です。もちろん担任がちゃんと褒めなきゃイケませんけどね。この褒めるがちゃんとできる人なら大丈夫。

忘れた時に担任が怒らないってのも大事かな?折角忘れ物をして思考場面が出来たのだから考えさせたいですよね。何とかすればOKみたいな。まぁ何ともならない忘れ物もあるので、そういう時には事前指導とか準備が必要と云うことですよね。忘れ物が多い子って引き継がれているのに、そういう支援無しに当日怒っっちゃう担任は、ちゃんと勉強して欲しいよねぇ。いつまで20世紀教育をやっているんだか・・・

安心して忘れ物が出来ると云うことは、安心して失敗知ることが出来るって事で、試行錯誤に誘いやすい雰囲気を作れますし、関わりが増えることで集団の質も上がると踏んでいるのですが、その辺はどうでしょう?

でも「うまく忘れるコツ」を話し合うことで、結果的に忘れ物をしなくなるスキルを磨くことが出来るのではないでしょうか!学級の雰囲気にもよりますが、担任がポカしなければ忘れ物をしやすい子の心的負担を減らしツツ忘れ物対策の練習が出来ます。

今は無理でしょうけれど、この騒動が治まったら誰かクラスでやってみませんか?

先生なりたての頃

退職時にかなり整理したんですが、堆積している紙類が1年経過してもまだ残っています。このところ体調も良いので処理し始めました。

昔書いた指導案なんかが出てきて、思い出せたり思い出せなかったりしているのですが、4年理科の授業「ものの溶けかた」での一場面を思い出しました。教育実習だったか2年目だったか定かでは無いのですが・・・再結晶の内容をやった時、子どもの意見の中に「溶けていなかった」というのが出てきて一定勢力になって授業の進め方に困りました。前の授業で押さえたはずの内容がひっくり返された状態です。今となっては「そんなことで困っていたんだ」という気持ちなのですが、授業下手だったし、視野も狭かったし。

当時のメモを眺めると、力量不足を自覚していて相談したり本を買ったりしてあがいている様子がうかがえます。あまり覚えていないのですが・・・。一読総合法とか水道方式とか仮説実験授業とか色々かじっていた時代で、よく分かっていない中で形だけ真似ていた感じでした。今から思うと、もっと基本的な部分で不足していたモノが大きかったと思います。時代の流れもあるので、見えなかった視点も多々ありましたが、それを差し引いても基本ができていなかったと思います。

それにしても手がかりがあっても思い出せなくなっている事柄のなんと多いことか!断捨離というのは、モノと一緒に想い出も断捨離するのですね?まぁ昔を思うより、先を考える方が大事ですね。ここは割り切りましょう。

等ということを考えて浸ってしまうから、いつまで経っても片付かないのですね。

健康保険の変更手続きをしてきました

もう1年は共済保険のままにできるのですが元の職には戻れそうもないので、ここで国民健康保険に切り替えることにしました。2月末に申請して発行してもらった書類を持って市役所へ行きました。

8時半窓口開始と書いてあるのですが、4月1日だからきっと引継ぎとかあるのでは?と思って1時間くらいずらそうと考えました。年度替わりで混雑するんじゃないかしら?と思いまして、本を一冊鞄に入れました。

9時半に到着したのですが、意外に空いていた印象です。案内の方が丁寧に教えてくれるので迷うことなく。で、3人待ちでした。

窓口対応も丁寧でした。即日交付かと思ったのですが明日投函の郵送でした。仮の保険証みたいなものも発行していただきまして一安心。それにしても引継ぎなどはどうやっているのでしょうね?学校は始業式までに数日あるので新採用の方でも現場で準備が出来ますが。

確定申告の時も思ったのですが、こういう手続きは事務職のサポートがたくさんあったのだなぁと知りました。金額にしてもそうです。使えるお金がいくら?という視点でしか見てきませんでしたが、保険料やら掛け金やら今まで無意識に天引きされていたお金も見えてくるので、それを考えながら財務計画をしないといけないのね。

このままずっと無職ってのも格好悪いので、今年度は何か考えないとね。