ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

やっぱりバロック式リコーダーは難しい

ネットで年末年始の商戦ページを見ている中で、デジタル楽器系をサーフィンしている内に、小学校リコーダーのジャーマンvsバロック問題を読んでました。前にも書いたので重複しますが、年寄りはくどいのです。

音楽に長けている人ほどジャーマンを支持する傾向がありますよね。下のリンクは福岡教育大学の紀要で山中さんという方が執筆した『戦後の音楽科教育におけるバロック式リコーダーの導入』という2015年の論文になります。

https://fukuoka-edu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1649&item_no=1&attribute_id=14&file_no=1&page_id=13&block_id=21

ジャーマン式とバロック式の歴史や特徴が分かり易くまとまっているので、どちらを指示するにしても教員なら知っておくのが良いと思います。気になった部分のみをコピペしますが、一度全文に目を通されることをオススメします。

 

「アルトリコーダーを指導した現場の教師からは,ドイツ式運指と比較して,バロック式運指のアルトリコーダーに対して「特に H 音の運指においては文句なしに抵抗が少ない」ことや,「ハ長調の楽譜を考えた場合,前者(筆者注:ジャーマン式)はソプラノに適し,後者(筆者注:バロック式)はアルトに適していることは容易にわかる」ことが指摘された。バロック式アルトリコーダーの方が,一点ロ音 を含む音階,ハ長調ト長調の演奏が容易であることが長所とみなされていたと考えられる。」

「小学校においてはバロック式ソプラノリコーダーを導入しようという動きがおこる。その背景には,前述したようにハ長調の演奏を簡易にするために作られたドイツ式ソプラノリコーダーにおける音楽表現力の限界に対する,音楽教育の関係者たちによる問題視があった。当時小学校教諭でリコーダー演奏家でもあった矢沢千宜は,ドイツ式リコーダーにおける音楽表現力の限界によって,「子どもが使う楽器と,おとなの楽しむ楽器とが,スムーズにつながらないことや,リコーダーが単なる簡易楽器のイメージをもたれている」という問題が生まれていることを指摘している。また,小学校教師であった山本勝也は,ドイツ式リコーダーの使用とバロック式リコーダーの可能性について次のように述べている 。
三年生の導入段階では(筆者注:ドイツ式リコーダーを)抵抗なく使ってくれるでしょう 。しかし,彼らはいつまでも三年生ではないのだし,やがては中・高校生,大学生,社会人として成長していくのですから,成長過程の中でジャーマンで間に合う曲ばかりを糧にしていればよいというわけにはいかないのですから,これでは困ってしまいます。(中略)要は,彼ら彼女らの将来への展望をとざすことなく,はじめからバロックで,リコーダー音楽の世界への無限の広がりを持ってほしいと祈念しているのが私の真意です。
 矢沢や山本は子どもたちの生涯にわたる音楽活動を支える楽器としてリコーダーをとらえており,導入の段階から子どもたちの将来を見据えた指導を行っていく必要があると考えていた。この考えと同様に,中学校教諭であった諸岡忠教は,リコーダーを授業に活用する場合は,①リコーダーという楽器の特性,可能性を充分に発揮させるような方向を教師がわきまえておくこと,②音楽科教育における子どもたちの学習が,彼らの将来への発展につながるようなものであること,という 2 つのことを念頭において指導にあたるべきだと指摘し,そのような指導を可能にする楽器がバロック式であるという考えを示した 。」

「さらに,教師の意識を改革することに関連して,中学校教諭の坂倉久枝は次のように述べている 。
小学校の段階で,バロック式を買わせてほしいものと思っている。かつてそのようにお願いしたのだがファの指使い云々で聞き入れてもらえなかった。もし教師自らリコーダーアンサンブルを楽しみ,実際にいろいろな曲を演奏してみれば,バロック式にした方がよいということは,すぐにわかることなのだが。
小学生が,クロスフィンガリングの指使いをマスターすることは,おとなの教師が心配するほどむずかしいことではない,と私は経験をとおして思っている。
 ここには,3 つの考えが示されている。それは,①中学校でバロック式に統一するためには,小学校からバロック式ソプラノリコーダーをもたせることが根本的な解決策であること,②バロック式は運指が難しいということは思い込みであり,それを見直す必要があること,③これらを見直すためには,多様な音楽表現の要求に応え得る楽器としてリコーダーと向き合い,教師自身がリコーダーの演奏を楽しむことである。」

 

音楽専科の先生が仰っている内容が整理されていると思いますし、バロック主張の理由については「なるほど」と思えます。

ハ長調の場合,ジャーマン式はソプラノに適し,バロック式はアルトに適しているっていう現場の声が書かれていますが、実感でもありますね。その中で先駆的な教師がバロック導入に向けて動いたんだそうです。論文を読むと、先駆者ってこのケースでは音楽専門家ですよね。リコーダーを生涯楽器と考えて取り組んでいる「熱心でこだわりのある先生」だと思うんです。

こだわりが授業のどの場面でどういう形で現われるかで違うと思うんですが、「生涯楽器」を提唱するくらいですから、教師の指導不備を子どもの努力不足と言い換えることはしないと思います。でも努力を強いる「音が苦教師」は多いんだよなぁ。

まず「音楽的表現力の限界」って言葉が出てくるんですが、どこまでのモノを子どもに求めているのでしょうかね?

「指導者の良い音楽」と「子どもの良い音楽」に差があることは、よく見られます。でも指導中に先生が良いと言ったモノには No とは言えない圧があります。本当に良さを感じさせられる様な授業は難しいと思います。

指示の後フィードバックして違いを感じさせる音楽指導は数回程度しか見たことはないです。自分で指導した時に一部導入してみたことがあります。面白いのですけれど指導時間が結構かかります。学級担任で時間の融通ができたからできたのだと思います。

指示をした後「さっきより良くなったよ」と評価するのも少数派かなぁ。よくありがちなのは、「ほら、さっきより良くなったでしょう?」と子どもに問いかける姿ですが、当の子どもは自分の演奏や歌唱に手一杯で全体像を意識できる子は少ないです。指導の後で「ホントに違いが分かったの?」などと聞くと、半分以上は分かってない。

バロックの方が楽器として上」とは言いますが、違いが分からなければ一緒です。違いが分かる子がどれだけいるのでしょう?半音の違いもあやふやなのに・・・芸能人格付けチェックで全問正解する大人だって少ないじゃん?違いの分かる人って一部だと思うのですが。

 

「リコーダーを教師が知ること」「音楽学習が将来につながること」については全面的に賛成ですね。教材研究を深めるのは教師の仕事だし、学習が将来につながるのはどの教科も一緒だし。でも生涯リコーダーは理想としてはあっても良いけれど、現実的ではないかなぁ。演奏の楽しさを感じて、能動的に音楽を楽しむきっかけで十分じゃないかしらん?鍵盤ハーモニカやカスタネットだって購入している学校多いけど、リコーダーだけでイイの?この2つだって結構奥が深いんですけれど?

そもそも様々な楽器や音楽製作アプリがでている中、そこまでリコーダーにこだわら無くても良いのでは?こだわりが子どもの苦しさを生んでいる気がするのですが・・・

 

「小中での運指指導の統一」「バロック運指は難しいという思い込み」「教師自身が楽しむ」って点も挙がっていますが、私はリコーダー結構楽しんでましたよ?そもそも楽器好きだし、ソプラニーノ何てリコーダーも持っているし。でも子どもの指導はジャーマンがいい!

バロック運指の難しさは思い込みではなく現実です。小中連携は大事だと思いますが、ココは譲れないなぁ。リコーダー入口の中学年の段階で音楽嫌いを増やしているのは問題でしょう。

生活の中で小指をあまり使わなくなってきています。一時、雑巾絞りのできない子どもが話題になりましたが、つかむ・ひねる動作の減少で、薬指・小指を使う機会が奪われています。ゲームや携帯のお陰で他の3本は使用頻度が上がっているようですが・・・

小学校はハ長調の曲が多いわけで、その中で「ド」は小指を使います。穴も二つあるので巧く押さえるのに苦労します。練習を重ねて押さえられるようになっていくのですが、時間のかかる子も少なくありません。「ド」の度に緊張していたりして余計に巧くいきません。指サックや魚の目シートといった支援もありますが、それでも時間のかかる子はいるんです。

バロックにすると「ファ」でも同じ目に遭う訳です。発達途上にある子どもには最早「音を楽しむ余裕はありません状況」です。その辺りを一掃する指導方法があれば、どこでもやっているのでしょうけれど・・・現実は教師が子どもに努力喚起している事が多いのではないでしょうか?

バロックにしても、ト長調の曲をやれば指使いが簡単になるんですが、鍵盤ハーモニカと合奏したりするので、黒鍵が出てくるのはなぁ・・・。とりあえずハ長調の「ふぁ」が出てこない曲を探すか作るか・・・?

教育のユニバーサルデザインって言葉がありますが、この視点ではどうなんでしょうねぇ?音楽家の視点からバロックが良いというのも分かりはしますが、その視点だけで教育の場を語って欲しくはありません。現在の子どもたちの身体能力や指導時間、個々の子どもの支援なども考えて、教科目標を目指すのが大事じゃないかと思います。

私が尊敬する音楽の先生は、「音楽を楽しめるようになることが目的で、楽器を弾けるようになることが目的ではない」と仰っていました。情緒面を育てない「音が苦」なら削ってしまっても良いと思っています。ジャーマン式をバロック式にする流れって、音楽の入口を狭くしていると感じるんですけれど?