ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

学級崩壊

学級崩壊というと、相対性理論の曲の冒頭が脳内を流れてしまう今日この頃。

どんな状況から崩壊なのか、と云う線引きは曖昧ですが、自分は、教室運営を指導者がコントロールできなくなったらOUTなのかな?という認識でいます。学年レベルや学校レベルで対応した崩壊はもう少し分かり易くて、見て分かるレベルである事が多いです。

一口に崩壊と云っても背景が異なるので、対応も色々ですが、担任以外の人が入る点では同じでした。期間や人数、頻度などはマチマチでしたが。

崩れる原因だって色々で、情報不足や技術不足、子どもの相性や特性などなど・・・難しいなぁと思えるクラスもあって、学級崩壊の背景だけで研究対象にできるくらいに色々なモノが渦巻いている訳です。ここ数年に見てきたのは、複合型だなぁと思えるケースばかりでした。

でも、学級崩壊の状態なんて昭和の頃から存在はしていて、自分自身が小学生の時に体験していますし、先輩たちの崩壊を見た時には「それじゃあ崩れるよなぁ」と思える指導をよく見てました。少々タチが悪いのは、次の年に崩れるパターンでした。

担任のフォームに子どもを詰め込むパターンの指導で、その担任には従っていても、担任が替わると弾けちゃうケースとか、耐えきれなくてその年に弾けちゃうケース。表面上は問題なさそうに見えて、必要な支援を口に出せない子がいたり・・・

今考えるとこういうことなのかぁ、と思わせてくれた動画がこれです。これの前の回の動画と一緒に見ると参考になると思います。

立て直しが極めて困難なタイプの「学級崩壊」。 - YouTube

 

結局、教師の気づきが大事なんだ、と。気づいて変わる事ですよねぇ。20世紀の教室では、「教師に合わせる」ことを子どもに強要してきたでしょう?「それではダメ」と大学では習いますし、子ども目線を大事にしていた教師も沢山知っています。でも21世紀になってもまだ引きずっている教師はいますし、変われない教師もいるし。

自分だって他人の事が言えず状態で、結構雑な指導をしてきましたが、まだ昭和の雰囲気を引きずっている頃だったので何とかなっていたのだと思います。ホントに何とかなっていたか不安ですが。

自分自身としてはコントロールが効いていても「空回り」感があれば崩壊してる認識でした。20代、30代、40代でそれぞれ1回ずつ記憶してますが、周囲目線や子ども目線からであれば、もっと増えるかもしれません。対集団への課題はそれなりに対応してたと思うのですが、個々への対応が十分でなかったと自分目線で思うので、子ども目線であれば、別な課題があっただろうし気づけなかった課題も多かっただろうし。今、学級コンサルの真似事をやってみると、やっぱり渦中にいると自分で気付くのって難しいんだなぁとあらためて思います。でも昔からですが、問題を指摘しても、本人がどこか他人事で変わらない先生だと、こちらの方がダメージを受けてしまいます。難しいです。