ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

小学校で教科担当制

今まで実技教科が多かった専科を他教科でもやるってことですよね。専門性の高さを言うなら、中学並みに9教科それぞれに担当教員が付くって事かな?自分の教科と道徳・総合・特活は学級担任が行う感じ?高学年で教科担当制を導入する話は以前から出ていたので、今更なのですが、自分が担任だったら嫌だなぁという気持ちしかなくて…

ネット記事を見たのですが、小6の社会科のTT授業で、武士の格好をした先生の話や子どもの感想として「わかりやすかった」という話が載っています。

でも、今は導入時期なんです。新しいことを担当する教師って、授業力の高い人なんじゃないかなぁ、と思うわけです。武士の格好?教材づくりに時間をかけているなぁ、と思いました。だから、「わかりやすかった」という感想は、力のある教師が教材研究に力を入れてるんだもん、当たり前なんじゃん?教科担当制の効果ではないよなぁ。

教科担当制ってわけではなかったけれど、学年団で話し合って、教科交換をして理科の授業を2~3クラスでやるなんて事はありましたし、校内研究で研究単元の授業を他学級でやらせてもらうなんて事もありました。

同じ教材研究で複数授業を行うんだから、教員の仕事の時短にはつながりますね。ん?でも評価が全部かかってくるのかぁ・・・ほんとに時短になるかなぁ。

 

嫌だなぁと思う一番のポイントは、学級運営上の融通が利かなくなるんじゃないかなぁと思うんですよね。何か問題が起きた時にすぐに対応したいじゃないですか?すぐじゃなくても、タイミングを計りながら授業したりすると、途中で度々専科が入るのは嫌だし。

「徹底的に話し合う」は無理ですよね?「子どもの納得」を置き去りにして学級で起きた問題が未消化のまま進んでいく様子が見えます・・・勿論、教師主導の学級運営ですよね、時間がないもの。時間をかけて考えるというのが、教科でも生活でもできなくなるんだったら、今までのような学級づくりは難しいなぁ。先生の裁定は絶対ですってやるのかなぁ?しかも半分くらいは理解はしてない状態で?「○○はこういうもんです」って知識を植え付けるのを繰り返すの?

子どもや保護者の話を聞いていると、中学の先生にじっくり子どもと向き合うタイプが少ないって感じるのですが、その原因はこういうところじゃないかなぁ?先生も忙しそうにしてるって言うし、先生がじっくり話を聞いてくれないって卒業生は以前から結構いましたねぇ。自分自身は中学の先生の方がじっくり聞いてくれましたが、まぁ中学校が荒れていた時代という背景もあったのかもしれませんが、放課後や休日に一緒に過ごすことが多かったので、先生たちとの距離が近かったですね。

 

嫌だなぁと思う2つ目のポイントは、専門性の高さかな?ただでさえ「わからないがわからない」先生が多いのに、専門性の高い先生ですよ?「なんでできないの!」って言っちゃうタイプが更に多いでしょう?今までの音楽専科の先生だって、ひたすら「練習しなさい」型が多かったしね。子どもの特性に合わせた指導にならない・・・って言うより練習すればできると思っている人が多いんじゃないかしら?そりゃ専門性の高い人だし、あなたは実際に練習して上達してきたんでしょうけれど。「じゃあ他の教科でやってみなよ!」って言っても、小学校の先生ってできちゃう人が多いから困るんだよなぁ。

でも教師としては、そういう先生って「できない先生」なんだよなぁ。ちゃんと教えることができない先生。伝えることはできても、理解させたり定着させることができない先生。伝えることさえできてなかったり…「自分の教え方は間違ってない」って子どもの特性を無視する先生。仕事に責任もって自己研鑽や試行錯誤してよね。教えることで金もらってる専門家なのにねぇ、「なんでできないの」って昔の自分にブーメランですわぁ。

10歳の壁って言葉がありますが、社会環境の変化でその辺りの発達が遅れている子どもが多くなっているように思います。そんな中で教科担当制かぁ…何かときっちりさが重視されるような気がしているのですが、色々便利でパターン化された生活の中で、学校という場だけでも「じっくり」とか「納得」とか「失敗」のできる「ゆとり」が無いと社会自体がも~っと薄くなるような気がしますよ。