先日、子どもの話を聞いていたら学級担任の漢字指導について疑問を口にしていました。トメハネが厳しいと。毎年何人かは同じようなことを語っているのが現状なので、まぁ似たような指導が行われているのだろうと思います。で、その様な子は漢字嫌いや学習嫌いになっているのが普通のケースです。
そういう学級担任は、ある意味丁寧な指導をしていると見られがちです。真面目であるという評価されている方も多かったりするのではないでしょうか?でも本当にそうなのでしょうかね?私にはそうは見えないのですけれど…
「学校教育における漢字指導の在り方について」という文書が文部科学省から出されています。
この中で、当時の文部科学大臣である馳さんが、文化庁から出た「常用漢字表の字体・字形に関する指針」報告書に関する質問に答えています。
「・・・一方、児童生徒の書く文字を評価する際には、従来から、「常用漢字表」の考え方を踏まえた柔軟な評価をするように促してきたところでありますが、文字を一点一画、丁寧に書く指導が行われる場合など指導の場面や状況に応じて、指導した字形に沿った評価が行われる場合もあることは勿論であります。・・・」と答弁されています。
①柔軟な評価
②場面や状況に応じて指導した字形に沿った評価が行われる場合もある
と整理することができ、基本的には文化庁の考え方に沿った評価なのかー、と思えますよねぇ。
私は「とめはね」を厳格に評価する場面で真っ先に出てくるのは書写の時間ですね。特に毛筆の場合、書き順や「とめはね」どころか位置や大きさまで指導してました。だって「きれいに書く」ってそういうもんでしょ?硬筆書写では定規や分度器なんか出してきて「ほーら、こっちが長いってことは、お手本と違うじゃん」などの指導をしてましたが、進度は自分のペースでやらせていました。40人の進度はバラバラで、1コマで1行書く子がいれば、1頁書く子もいる、みたいな。
書写の目的は、「書き写す」です。お手本をよ~く見て、そのと~りに書き写しましょう。時間をかけて丁寧に気をつけて書けば、みんなきれいに書けますよ~
という指導でした。お決まりの書き直しが多発しますが、ノルマが「最低1文字合格」で大きなストレスにはならず、1文字でもきれいに書ければ大げさに褒めるってシステムで嫌悪感を出しまくるような子はいなかったなぁ。
子どもの苦情で多いのが「とめはねが厳しい」です。そういう子に定規や分度器の話をすると「マジか」などの反応が返ってきます。正しく覚えるのは良いことだよ、と担任をフォローするのが基本ですが、フォローしきれないケースもあります。
・テスト直しで、「とめはね」を直さずに提出したら、今度は○がついて戻ってきた。
・×がついて直すけど、また×がついて返ってくる。どこが悪いかを教えてくれない。
・テストやノートで「とめはね」に朱書きされるのに、板書の字の「とめはね」がいい 加減。
問題の大きなケースです。上のは、書き直しを何度もさせていると起こりがちであるでしょうけれど、子どもの側からすると理解不能です。中のは論外です。下のは3年生くらいからの視点ですね。厳しい評価のくせに自分の不出来を公表している感じです。担任に言わないのは、子ども側の配慮か諦めか・・・それでいて先生の方は、それが問題だと気づけないし、指摘しても改善できない。
こういうケースを聞くと、評価の厳しい先生が丁寧とか真面目とかではないことが見えてきます。逆にマニュアル主義で柔軟な思考ができず、児童理解や教材研究が偏った先生であるような印象を受けます。
私としては、漢字はコミュニケーションツールなので、用を足せる状態であれば良いと思っています。一画足りずにテストで点が取れない文字でも、日常的に伝わる使い方ができている方が大事だと。だから周囲には、漢字テスト以外で文字を間違えたからと言って減点するのはダメだと言ってます。
そもそも公的な表示に正しくない漢字が普通に使われていることをしっているのかしら?
これはテストで×がつくでしょう
一画足りない?
これは、高速道路の標示ですが、ドット数の少ない電光掲示板などでも、点や棒が略された文字が普通に使われております。さぁ、どう考えましょうか?