ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

楽器が欲しくなる動画

ほとんど忘備録ですが・・・まずこれ↓は面白そう

【実機レビュー】Artiphoneの全く新しい電子楽器ORBAをご紹介! - YouTube

鍵盤や穴が無いから、打楽器系かと思いきやメロディーも出せる。感覚的にいじっているだけでも楽しめそうです。

次のこれ↓は一度は実際の音を聞いてみたい

ミニスティールタンドラム トレモロ効果 参考動画 民族楽器コイズミ - YouTube

このチャンネルはよく見ます。まぁ色々な楽器があるなぁと。

この↓パッドというモノは、出始めの頃から見てはいたのですが、使い方を知ることもなくいましたが、最近このチャンネルを見て分かりました。

【瀬戸さん、どうやって弾いてるの?】パッドの演奏方法をわかりやすく解説します! / パッドマスターへの道 #1 - YouTube

続きの動画まで視ると、この楽器の概要がよく分かります。鍵盤やリコーダーとは違った音の楽しみ方を味わえるんじゃないかと思います。64カ所も覚えられないので、もっと少ないやつでイイかな?

これ↓は買いたいなぁ。

はじめてのインスタコード1【 開封~音を鳴らす】 - YouTube

ギターとは似て非なる楽器ですね。ギターみたいに弾けるけど、ギターほど運指が難しくはない。

これ↓も変わった楽器ですね

【実機デモンストレーション】ATV / aFrame electrorganic percussion - YouTube

パーカッションではありますが電子楽器なので、色々な音色があるのも楽しめますし、これも感覚的に扱えそうです。

 

ここ何年かで一番欲しいと思っている楽器がこれ↓

【徹底比較】デジタル管楽器 AE-30,AE-10,AE-05,AE-01,YDS-150【エアロフォン、デジタルサックス吹き比べ】 - YouTube

SQUAREというバンドでEWIって楽器が使われていましたが、あれより手を出しやすい価格になっています。

これ↓とあれ↑でどっちを購入するか迷います

【ヴェノーヴァ】セッティングの仕方/吹き方/指使い/(超入門)島村楽器 - YouTube

前の記事の続きになっちゃいますが、高価な管楽器を購入して楽しむ人は少数派でしょう?エアロフォンもヴェノーヴァも運指はジャーマン式リコーダーと同じです。

 

ついでにご紹介

otamatone説明 - YouTube 

テルミンminiPV 大人の科学マガジンVol.17 - YouTube

この↑2つは持っている楽器ですが、支援級で使おうと思って購入して使い切れず、通級でちょっと出番があったモノです。テルミンなんか非接触なので今のご時世向きだし、身体の動きが音で分かるので姿勢保持とか体感覚補助なんかにも使えたんじゃないかと思っています。

口の開きで演奏することができるパペット電子楽器ケロミン #DigInfo - YouTube

この↑ケロミンもコケロミンと一緒に支援級時代に購入しました。製作している方と先輩が知り合いだと言うことで、そちらのルートを使わせていただきました。これも使える場面がチョイチョイあって重宝しました。2体とも子どもか後輩にあげちゃったように記憶しています。そうかな?記憶がヤバいな・・・

昔から「カリキュラムを削るなら音楽科」とか「楽器ができなくても生活には困らない」とか言ってきましたが、支援無しで努力を強いる音楽の授業が嫌なだけで、音楽自体は好きです。どのくらい好きかというと、こうして新しい楽器がでると欲しくなる程度です。ライブをやる訳でもないし大して弾けないのに、アコギが4本あった時代もありました。

かなり整理しましたが、まだ部屋には、アコギ2本、エレキ1本、ベース1本、シンセ3台、一五一会1台が置いてありまして、リコーダー3種とかカズーとかブルースハープとかテルミンとか・・・細々したのが大きめの整理箱に入っています。DTM環境もボカロ系4種類とオーディオインターフェイス2個など・・・あらためて書き出してみると、まだまだ整理が必要ですねぇ。でも新しいのもいじってみたい!

やっぱりバロック式リコーダーは難しい

ネットで年末年始の商戦ページを見ている中で、デジタル楽器系をサーフィンしている内に、小学校リコーダーのジャーマンvsバロック問題を読んでました。前にも書いたので重複しますが、年寄りはくどいのです。

音楽に長けている人ほどジャーマンを支持する傾向がありますよね。下のリンクは福岡教育大学の紀要で山中さんという方が執筆した『戦後の音楽科教育におけるバロック式リコーダーの導入』という2015年の論文になります。

https://fukuoka-edu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1649&item_no=1&attribute_id=14&file_no=1&page_id=13&block_id=21

ジャーマン式とバロック式の歴史や特徴が分かり易くまとまっているので、どちらを指示するにしても教員なら知っておくのが良いと思います。気になった部分のみをコピペしますが、一度全文に目を通されることをオススメします。

 

「アルトリコーダーを指導した現場の教師からは,ドイツ式運指と比較して,バロック式運指のアルトリコーダーに対して「特に H 音の運指においては文句なしに抵抗が少ない」ことや,「ハ長調の楽譜を考えた場合,前者(筆者注:ジャーマン式)はソプラノに適し,後者(筆者注:バロック式)はアルトに適していることは容易にわかる」ことが指摘された。バロック式アルトリコーダーの方が,一点ロ音 を含む音階,ハ長調ト長調の演奏が容易であることが長所とみなされていたと考えられる。」

「小学校においてはバロック式ソプラノリコーダーを導入しようという動きがおこる。その背景には,前述したようにハ長調の演奏を簡易にするために作られたドイツ式ソプラノリコーダーにおける音楽表現力の限界に対する,音楽教育の関係者たちによる問題視があった。当時小学校教諭でリコーダー演奏家でもあった矢沢千宜は,ドイツ式リコーダーにおける音楽表現力の限界によって,「子どもが使う楽器と,おとなの楽しむ楽器とが,スムーズにつながらないことや,リコーダーが単なる簡易楽器のイメージをもたれている」という問題が生まれていることを指摘している。また,小学校教師であった山本勝也は,ドイツ式リコーダーの使用とバロック式リコーダーの可能性について次のように述べている 。
三年生の導入段階では(筆者注:ドイツ式リコーダーを)抵抗なく使ってくれるでしょう 。しかし,彼らはいつまでも三年生ではないのだし,やがては中・高校生,大学生,社会人として成長していくのですから,成長過程の中でジャーマンで間に合う曲ばかりを糧にしていればよいというわけにはいかないのですから,これでは困ってしまいます。(中略)要は,彼ら彼女らの将来への展望をとざすことなく,はじめからバロックで,リコーダー音楽の世界への無限の広がりを持ってほしいと祈念しているのが私の真意です。
 矢沢や山本は子どもたちの生涯にわたる音楽活動を支える楽器としてリコーダーをとらえており,導入の段階から子どもたちの将来を見据えた指導を行っていく必要があると考えていた。この考えと同様に,中学校教諭であった諸岡忠教は,リコーダーを授業に活用する場合は,①リコーダーという楽器の特性,可能性を充分に発揮させるような方向を教師がわきまえておくこと,②音楽科教育における子どもたちの学習が,彼らの将来への発展につながるようなものであること,という 2 つのことを念頭において指導にあたるべきだと指摘し,そのような指導を可能にする楽器がバロック式であるという考えを示した 。」

「さらに,教師の意識を改革することに関連して,中学校教諭の坂倉久枝は次のように述べている 。
小学校の段階で,バロック式を買わせてほしいものと思っている。かつてそのようにお願いしたのだがファの指使い云々で聞き入れてもらえなかった。もし教師自らリコーダーアンサンブルを楽しみ,実際にいろいろな曲を演奏してみれば,バロック式にした方がよいということは,すぐにわかることなのだが。
小学生が,クロスフィンガリングの指使いをマスターすることは,おとなの教師が心配するほどむずかしいことではない,と私は経験をとおして思っている。
 ここには,3 つの考えが示されている。それは,①中学校でバロック式に統一するためには,小学校からバロック式ソプラノリコーダーをもたせることが根本的な解決策であること,②バロック式は運指が難しいということは思い込みであり,それを見直す必要があること,③これらを見直すためには,多様な音楽表現の要求に応え得る楽器としてリコーダーと向き合い,教師自身がリコーダーの演奏を楽しむことである。」

 

音楽専科の先生が仰っている内容が整理されていると思いますし、バロック主張の理由については「なるほど」と思えます。

ハ長調の場合,ジャーマン式はソプラノに適し,バロック式はアルトに適しているっていう現場の声が書かれていますが、実感でもありますね。その中で先駆的な教師がバロック導入に向けて動いたんだそうです。論文を読むと、先駆者ってこのケースでは音楽専門家ですよね。リコーダーを生涯楽器と考えて取り組んでいる「熱心でこだわりのある先生」だと思うんです。

こだわりが授業のどの場面でどういう形で現われるかで違うと思うんですが、「生涯楽器」を提唱するくらいですから、教師の指導不備を子どもの努力不足と言い換えることはしないと思います。でも努力を強いる「音が苦教師」は多いんだよなぁ。

まず「音楽的表現力の限界」って言葉が出てくるんですが、どこまでのモノを子どもに求めているのでしょうかね?

「指導者の良い音楽」と「子どもの良い音楽」に差があることは、よく見られます。でも指導中に先生が良いと言ったモノには No とは言えない圧があります。本当に良さを感じさせられる様な授業は難しいと思います。

指示の後フィードバックして違いを感じさせる音楽指導は数回程度しか見たことはないです。自分で指導した時に一部導入してみたことがあります。面白いのですけれど指導時間が結構かかります。学級担任で時間の融通ができたからできたのだと思います。

指示をした後「さっきより良くなったよ」と評価するのも少数派かなぁ。よくありがちなのは、「ほら、さっきより良くなったでしょう?」と子どもに問いかける姿ですが、当の子どもは自分の演奏や歌唱に手一杯で全体像を意識できる子は少ないです。指導の後で「ホントに違いが分かったの?」などと聞くと、半分以上は分かってない。

バロックの方が楽器として上」とは言いますが、違いが分からなければ一緒です。違いが分かる子がどれだけいるのでしょう?半音の違いもあやふやなのに・・・芸能人格付けチェックで全問正解する大人だって少ないじゃん?違いの分かる人って一部だと思うのですが。

 

「リコーダーを教師が知ること」「音楽学習が将来につながること」については全面的に賛成ですね。教材研究を深めるのは教師の仕事だし、学習が将来につながるのはどの教科も一緒だし。でも生涯リコーダーは理想としてはあっても良いけれど、現実的ではないかなぁ。演奏の楽しさを感じて、能動的に音楽を楽しむきっかけで十分じゃないかしらん?鍵盤ハーモニカやカスタネットだって購入している学校多いけど、リコーダーだけでイイの?この2つだって結構奥が深いんですけれど?

そもそも様々な楽器や音楽製作アプリがでている中、そこまでリコーダーにこだわら無くても良いのでは?こだわりが子どもの苦しさを生んでいる気がするのですが・・・

 

「小中での運指指導の統一」「バロック運指は難しいという思い込み」「教師自身が楽しむ」って点も挙がっていますが、私はリコーダー結構楽しんでましたよ?そもそも楽器好きだし、ソプラニーノ何てリコーダーも持っているし。でも子どもの指導はジャーマンがいい!

バロック運指の難しさは思い込みではなく現実です。小中連携は大事だと思いますが、ココは譲れないなぁ。リコーダー入口の中学年の段階で音楽嫌いを増やしているのは問題でしょう。

生活の中で小指をあまり使わなくなってきています。一時、雑巾絞りのできない子どもが話題になりましたが、つかむ・ひねる動作の減少で、薬指・小指を使う機会が奪われています。ゲームや携帯のお陰で他の3本は使用頻度が上がっているようですが・・・

小学校はハ長調の曲が多いわけで、その中で「ド」は小指を使います。穴も二つあるので巧く押さえるのに苦労します。練習を重ねて押さえられるようになっていくのですが、時間のかかる子も少なくありません。「ド」の度に緊張していたりして余計に巧くいきません。指サックや魚の目シートといった支援もありますが、それでも時間のかかる子はいるんです。

バロックにすると「ファ」でも同じ目に遭う訳です。発達途上にある子どもには最早「音を楽しむ余裕はありません状況」です。その辺りを一掃する指導方法があれば、どこでもやっているのでしょうけれど・・・現実は教師が子どもに努力喚起している事が多いのではないでしょうか?

バロックにしても、ト長調の曲をやれば指使いが簡単になるんですが、鍵盤ハーモニカと合奏したりするので、黒鍵が出てくるのはなぁ・・・。とりあえずハ長調の「ふぁ」が出てこない曲を探すか作るか・・・?

教育のユニバーサルデザインって言葉がありますが、この視点ではどうなんでしょうねぇ?音楽家の視点からバロックが良いというのも分かりはしますが、その視点だけで教育の場を語って欲しくはありません。現在の子どもたちの身体能力や指導時間、個々の子どもの支援なども考えて、教科目標を目指すのが大事じゃないかと思います。

私が尊敬する音楽の先生は、「音楽を楽しめるようになることが目的で、楽器を弾けるようになることが目的ではない」と仰っていました。情緒面を育てない「音が苦」なら削ってしまっても良いと思っています。ジャーマン式をバロック式にする流れって、音楽の入口を狭くしていると感じるんですけれど?

covid-19 は情報教材

3県でまん延防止等重点措置が実施されています。懐かしのマンボウです。ネット記事などでは、おみくろん株についての話が並んでいる今日この頃です。

2年前から「タダの風邪」的な主張から「最悪ウイルス」的な主張まで、動画や記事の中には色々な考えが混在していました。そういう中で、都合のよい情報を切り取って自分の行動を正当化する姿があちこちで見られました。まぁ国民を先導する側の方達が率先して言い訳していましたが。

最初は covid-19 の情報が少なかったので、見通しを持つのは大変だったと思うのですが、時間の経過で情報が増えて、分析も進んでいます。が、相変わらず大丈夫派と慎重派まで色々な発信があって、TV番組なんか見ていると「どっち?」と思ってしまいます。

で、こういう時には、やっぱりネットで情報元を調べるのがいいかな?と。

www.niid.go.jp

↑ここが現時点での信用度と新鮮度が高いんじゃないかと思います。ざーっと読んでみると、「感染者は増えてるけど無症状や軽症が多い」って書いてあります。大丈夫派の言う「重症化リスクが低い」という文言は見られませんが、現状は同じ様子を表現してはいます。でも国立感染症研究所は「慎重さが必要」としています。政治的な視点は置いておいて、医学的な視点ではそういうことなんだと。

「タダの風邪」的な話が広がって、ノーマスクが増えれば危険な状態になる可能性はあるって事ですね。分析途中で結論はでてないけど、留意しながら生活すれば、以前ほど不安に思わなくてもいい位の感じだと思うのですけれど・・・でも、「タダの風邪」的に言われると「TVで大丈夫って言ってたよ」という人が増えて留意する人は減るでしょう。実際、寒くなってからマスクを付けない歩行者を見る回数が増えました。受け手の印象としては「大丈夫」なのですからそうなりますよね。しかも嘘は言ってないし。

この2年は数字も良く出てきましたね。グラフの描き方も色々出てきました。データをどう見せるか、というサンプルがたくさん!

元データは確認していませんが、「変異株の致死率が0.2%、インフルエンザの致死率が0.1%とみられるので、ほぼインフルエンザと同じ」という話が出てきました。先程のページを読んだ後でも、状況はそんな感じになってきているのだと思います。

全く同じ内容を「変異株の致死率はインフルエンザの2倍」と言い換えることもできますが、印象が変わるのではないでしょうか?

 

学校のPC導入時期に「情報教育」っていうのが流行りました。言葉は折角流行ったのですが、PC操作=情報教育と思ってる教師が多かったように思います。TVや新聞を含めて情報の発信・受信についての内容だったのになぁ。このcovid-19生活そのものが情報教育の良い教材だなぁと思う訳です。

天気予報通りに雪が降っています。この地域で松の内降雪は珍しいんじゃないかと思います。どうせ積もらないでしょうし明日は晴れ予報なので、外出は明日に延期です。でも今季は街中で積雪風景があるのかしらん?

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降っていると言っても、風花みたいな感じですが。でも山では結構降っているみたいですねぇ。

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年明け初雪かというと、そうでもなくて2日前に丹沢へ水汲みに行った時にぱらぱら降雪していました。初雪の定義ってのが気になって調べてみると、冬季初雪と新年初雪とがあって、気象庁発表は冬季初雪となっています。ずっと「どっちだろう」って思っていたのですが、どっちでもアリなんだ?

 

雪が振るくらい寒いのですが、福島に比べれば・・・。でも昔々の事なので最早こちらの冬に馴れてしまっているように思います。

でも今日みたいに、部屋の中であっても裸足・短パン・Tシャツ姿で過ごすことは、当時11月辺りでもなかったような記憶ですが・・・

水道管が凍ることもないし、やはり暖かい土地なんでしょう、ここは。

シャーペン禁止校則の改善要望を出したい

元旦に書く内容ではないですね。でもさっき、年賀状を書いていて思いだしてしまったのですもの。

 

昔から大抵の小学校でシャープペンシルは禁止されています。昭和時代は確かにお小遣いでは買えないくらい高価なものでしたので、禁止も仕方ないかと思います。平成以降の値段を考えると、鉛筆を買うより経済的なんじゃないの?という値段になってきています。鉛筆削りも必要ないし。

子どもが禁止理由を質問しても「キマリだから」「ダメなモノはダメ」と返ってくることが多いようです。同僚や先輩に聞いたときに「子どもは筆圧が調整できないから使えない」「芯がすぐに折れる」「芯出しの音がうるさい」などと何か理由を即答する方は少数でした。大抵の方は禁止理由を説明できないのではないでしょうかね?説明できた方もよく考えた上での結論なのでしょうか?

学校って伝統を良い物ととらえる傾向があるんじゃないかな?変化を嫌うというか・・・去年と違うことを下から提案してもナカナカ難しい状況というか・・・。昔、ガラガラポンという言葉がありましたが、そういう思考をする方は少ないように思います。去年禁止していたモノは今年も禁止という思考停止。または「必要のないものは学校に持ってこない」で、鉛筆があるからシャーペンは不必要!という流れがあるのかと思います。

 

構造形状の問題として

「芯出しの音がうるさい」って点ですが、音の出ないシャーペンも安価で売ってますので、ホントにそれが問題なら購入時の指示を出せば解決します。ノート購入で出す指示と一緒ですから問題ないですよね?

「壊れやすい」は確かに鉛筆に軍配は上がりますね。上履きで踏んだとき鉛筆は潰れませんが、シャーペンは壊れる可能性があります。それはそうなのですが、教室で鉛筆を踏む確率がそんなに高いのでしょうか?学年が下がれば確率が上がるのは予想されますが、そもそも回数自体が少ないと思うのですけれど。

「先がとがっていて危険」という理由もよく聞いたことがありますが、鉛筆だって人を刺せますよ?立派な凶器ですけど?

筆記具以外の価値

「遊び道具になる」という話もありますね。分解したり芯を出したり引っ込めたり・・・でも遊ぶ子は筆箱で遊ぶよ?遊び道具が増えるのは確かなのですが、そもそもの《遊ぶ背景》に目を向け対応するのが先かなぁと。そうでなければ遊び道具が増えても減っても意味が無いかと。

「品物の多種多様」が盗難につながるとかの心配も聞きます。確かに「高価な」シャーペンも存在します。でもシャーペンを禁止している方は、キャラクター鉛筆も禁止して全員に無地鉛筆のみを使わせているのでしょうか?鉛筆の方が余程多種多様です。高価な鉛筆もありますよ?学生の時にStaedtlerの鉛筆をあきらめて他社製品を買ったことがありました。まぁ極端な例でしたね。

文具の扱い方の面

「鉛筆の持ち方指導ができない」というのは一理あると思っています。規格が鉛筆の方が揃っていますから指導はしやすいと思います。シャーペンだとその辺りを揃えることが難しいかも知れませんね。購入時の指示である程度対応できるような気もするのですが・・・でも本気で指導するなら六角柱鉛筆より三角柱鉛筆の方が指導しやすいと思います。
持ち方を理由にしているなら、シャーペン禁止の方は日頃から鉛筆の持ち方を気にして指導の工夫しているのでしょうかね?そうで無ければおかしくありませんか?鉛筆の方が持ち方指導はしやすくても、鉛筆にしたから持ち方が良くなる訳ではありません。

「トメハネが明確にならない」というのもありましたね。でも文化庁発の「許容範囲」について文部科学大臣が答弁している動画を視ると、指導はしなきゃイケないけれど、評価についてはCase-by-caseと受け取れるんですが、如何でしょうか?

「シャーペンは筆圧を加えると芯が折れやすい」っていうのが聞いてきた中では一番多いです。
0.5mmの芯しか無かった時代は折れやすかったのですが、随分前に0.7mm芯が出てますし、私が現在使っているシャーペンの芯は1.3mmで、まず折れることはありません。これなら、削ったばかりの鉛筆の方が折れやすいという実感です。
で、筆ペンを使っていて思い出したのが・・・「筆圧のコントロールが十分でない」からシャーペンは使えないのに、2年生から水彩絵の具で絵を描かせます。筆記具としても3年書写から毛筆持たせるんですよね。おかしくないですか?
毛筆書写の初回は漢字の「一」ですが、明朝体みたいに「筆の入り」と「留め」が太くなって間が細くなるように書かせるんですね。これ、筆圧のコントロールじゃないの?

 

支援としても考えたいのですが

私は中学年以降の学級でシャーペンを許可したことが何度かありました。使用する場面を限定しましたが、絶対条件は下敷きの使用でした。0.5mm芯のシャーペンばかりでしたが、ポキポキ折れる様子はなく、音の苦情もありませんでした。私自身が結構こういう音に敏感なのですが、気になりませんでしたねぇ。
壊れた事件はありませんでしたが、落とし物箱に2本のシャーペンが入っていた年がありました。鉛筆は30本ぐらい入っていましたが・・・

書写の時間は鉛筆を使う指示を出していました。線が太くなるとチェックしやすくなる点が理由です。トメハネを含めて字形大きさなど、割と厳し目に指導していました。毛筆で小筆の扱いが苦手な子には、小筆の代わりに「書き方ペン」や「筆ペン」を使う許可を出していました。

鉛筆は使っているウチに線が太くなっていきますが、この点を気にする子どもがいたりします。シャーペンは太さが一定なので、この手のストレスを感じずに済みます。また、筆圧が強すぎる子にシャーペンを持たせると、確かに芯が折れてしまうのですが、そのこと自体を利用して筆圧のコントロール練習につなぐ事もできます。鉛筆は折れにくいので圧を弱めなくても「困る」につながりません。

支援級や通級を担当していた時には、個々に応じてボールペンやシャーペンを使用していました。保護者と相談したり、色々な筆記具を試したりする中で本人が使いやすい道具を見つける事は大事です。

筆記動作指導の中心である低学年でシャーペン禁止はアリだと私も思うのです。が、中学年以降は合理的な理由がないんじゃないかと思っています。

一番納得できると思ったのは「持ち方指導」なのですが、じゃあシャーペン禁止をしている高学年で持ち方指導なんかしているのでしょうか?私は一度も視たことがありません。現状では指導の中心となるべき1年生であっても、持ち方指導に熱心な方は少ないという実感です。

「文字を書く動作」の指導に熱心ではないのに、鉛筆にこだわるのは何故でしょうか?そこがよく分かりません。やっぱり思考停止でしょうかね?パソコンの導入で、書く機会が減るので、真面目に筆記動作指導をするならきちんと考えないとイケませんが。

でも、PC導入で、筆記しなくても良いことになるのだったら、「書く指導」にそこまで目くじら立てなくても良いのかも知れません。じゃあ何でここまで書いてきたんでしょう?

covid-19とpro wrestling

丁度2年前から感染ニュースが多くなってきていたんでしたっけ(>_<) 2月に全面休校でしたよね?地球規模の災厄だし、個人的にも息苦しく感じる事が多かったのですが、タブレット端末が児童個々に配備された事とか、学会の大会やセミナーが配信開催されるようになった事とか、改善されてきた面もあるなぁと。

この2年でプロレスの配信が増えた様に感じています。私感覚では大きな改善です。YouTubeで仙台女子・九州をチャンネル登録して見てます。昔から年末年始はbattleイベントが多いです。会場での観戦はライブ感が大変よろしいのですが、配信で見ると試合自体が大きく見えてよろしいのです。

今日はGLEATという団体のYouTube配信を見ております。U系プロレスを楽しめる団体です。解説が山崎一夫さんなのも嬉しい。宮城選手と仙女の橋本選手がkick無しでやってたのは面白かったし、船木選手・田中選手・長井選手・松井選手のdouble boutはホントに良かったなぁ。中野選手と鈴木選手は久しぶりに拝見しました。ほぼ同世代の中野選手の動きには驚愕しました。こういう方々を見ると自分も頑張らなきゃ!と思います。

やっぱり金をかけないなぁ

ネットに小学校の教科担任制についてのニュースが流れていました。内容は、
文科省は、教科担任制の拡大のために22年度は加配定数を2000人増やすよう求めた。財務省は近隣にある中学校の教員などを活用すれば、必要な教員数は抑えられると主張。末松文科相と鈴木財務相が直接交渉し、950人増で折り合った。」

今年の小学校の数は19032だそうです。950人かぁ。

中学の活用も方法としては分かりますが、統計によると労働環境で一番ブラックなのは中学校ではありませんでしたか?活用できるゆとりがあるのでしょうかね?

学ぶには時間or金がかかるって言ってる人が古代からいるのになぁ。カリキュラムで学校の時間を散々奪っておきながら金はかけないって・・・

 

教科担任制の目的も書いてありました

1.  児童の学力向上

2.  複数の教員が関わることで多面的に児童を見ることができる

3. 「中1ギャップ」の緩和

4.  教員の働き方改革中でも、教員が得意な科目を教える、また教える教科を絞れれば専門性や指導力が上がり児童の学力向上が期待できることは大きい。

 

「2」は期待できそうに思いました。「学年で子どもを見よう」とかけ声をかけてもナカナカ難しいと自分は思ったので、学年内交換授業による教科担当制なら他クラスへの関わりが必ず出来て良いかなと。何度か経験した感想でもあります。

でも教科数が増えると短期間でも時数の調整が難しかったですし、通年で行うとなれば、さらに難しいんじゃないかしらん?

「3」の中1ギャップはどうなのでしょう?昔、中学の先生が6年生で授業をする交流がありました。その時の卒業生の1人は、教えに来た先生がいて安心感を感じた話をしてくれたことがありましたが、学校生活自体が大きく変わるので、馴れるまでに時間はかかったとも云ってました。効果はあるのでしょうけれど、的の真ん中ではない様に思います。

「1と4」は疑問がいっぱいです。教科担当制で学力が上がるなら、中学はどこでもそういう成果を出していると云うことなんですかね?卒業生の話や相談の内容からはそういう姿が見えてこないんだけどなぁ。小学校でも近隣では音楽専科をよく見ますが、じゃあ音楽力が高いのか?と云えばそんな感じはしないです。確かに音楽の専門性は高くて、指導支援が巧いなぁという方もいらっしゃいますが、少数な印象です。「がんばればできる」的指導で「音が苦」の授業をしていらっしゃる方を見ることの方が多いです。

教科の専門性が高いことと指導力は直接つながらないのは分かっていることじゃないのかなぁ?「名選手すなわち名監督ではない」って云うじゃないですか?自分が出来ることと教えることは違う力でしょう?

教科の専門性が高いことは、指導力を高めることに有利に働く場合もあるけど、逆の場合もあると思うのですわ。

「出来ない子を出来るようにする工夫」「理解できない子に理解させる工夫」が教材研究じゃん?教科専門性が高い人は「どうしてできないの?」と子どもに言って「練習すれば出来るよ」という流れになるパターンをよく見聞きします。「得意な教科」とも書いてあるので、余計危険ですね。

自らが不得手な教科ほど、出来ない子の気持ちや出来ないポイントが見えるモノでしょう。得意な教科では置いて行かれる子どもを増やすだけではないのかしらん?

これは断言しちゃいますが、教える教科を絞れば授業が巧くなるって事も無いですね。巧くなりたいって意識がなければ巧くならないですよ。意識の高い人にとっては試行回数が増えるので良い研鑽になると思います。

指導力、授業力、支援力みたいなモノがベースにある人は教科専門性の高さを巧く使えると思うのですが・・・

英語と算数と理科と体育で考えているらしいのですが、音楽は消えるのかな?消えずに5教科なら週10~15時間って所でしょうか?高学年なら週29時間?半分近くが専科になるんですね。

考えるに全科を受け持つ強味は時間割の自由さでした。事件が起きれば速対応ができ、柔軟に時間を使えました。個人的には時間割の自由があまり無い状態では学級経営をする自信がありません。