ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

School Management and Leadership in England

学会に参加しているといろいろ考えさせられます>^_^<

海外の学校経営は興味ありますよね。というわけで、リモート開催の学会講義を聴講しましたが……字幕や吹き替えは無いので、英語で聴講です。

聴く→手がかり単語検索→日本語変換→変換した語をつなぐ

こういう作業を頭の中で行ってました。これで聴講するにはかなり無理があります。がんばって40分やってみましたが、分かった内容は「スライドが出てきた部分で少し」という結果でした。

 

昔っから英語は嫌いじゃなかったのですが、全くテストはできませんでした。受験の共通試験マークシートでは勘でつけると6割取れるのに、まじめに考えると3割しか取れない(+_+)という位できませんでした。

中2の時の担任が英語教師だったのですが、英語が嫌いにならなかったのは、その先生のおかげだと思います。英語部にも入って、嫌いどころか楽しかったのですけれど、テストはできませんでした。当時住んでいたのは基地の街だったので、外人さんが多かったのも影響があったかもしれませんが、やはり大きかったのは先生でした。英語に限らず先生として中2、中3、高3の3人の担任は結構影響が大きかったと思います。

さて、楽しい英語なのにテストができない事と今回の英語聴講から言語学習の難しさを体験できたことで、教材研究できるんじゃないかと。

 

まぁまず大前提として、

嫌いな先生の授業は嫌で、好きな先生の授業は好きになる

というのは、有り勝ちな話でしょう?勿論、教え方が自分に合っていたからその先生の好感度が上がり、お勉強が更に好きになるとか。子どもに合わない授業してるくせに「ちゃんと聞きなさい」とか言っている様な先生では学習嫌いが増えるってことですね。

次は必然性の高さかなぁ。T先生から指導を受けていた時によく出てくる言葉でした。英語部では文化祭に向けて英語劇をやったりしていましたが、みんなで作り上げる雰囲気とか劇をやる目的とか、授業にはないモノがあったと思います。やっぱり急に受動態とか三単現のSとか言われてもなぁ、わけ分かんないっていうのはありました。でも劇に使う台本を英訳するときには辞書引くし文法も気を付けるし。

最後は使う力の違いでしょうか。話す聴くが中心の英語部と読む書くが中心の授業。特にテストで評価されるのは「書く」ですよね。書くのが苦手であれば、全体的に評価が下がるのが前世紀から続いています。観点評価になったのに未だに筆記テストだけで評価している先生が信じられない。

先程の英語聴講を振り返ると、聴き取りが追い付かないので、たとえ英文でもスライドで文字や図がでると理解が進みました。視覚支援のありがたさが身に沁みます。 で、聴き方なんですが、不明な単語が多いのと、日本語変換が追い付かない。多分、日本人向けに優しい表現を使っているのではないかとも思いました。だって、結構聴き取り自体はできたもの。単語は捕まえられても変換に時間がかかって交通渋滞m(__)m 

変換しちゃいけないんですよね。米兵さんと簡単な会話ができた頃は、英語脳にシフトできたんですよね。英語部の先生に教えてもらったんだと思うのですが、英語を聞くときは英語で考えるって。まぁ思考は難しいからできないんですが、「Car」って見聞きしたら「車」って言葉に変換せずに車自体の画をイメージするのね。英語聴講は文章なので文章丸ごとイメージするわけですが、英語脳になってないもので…

それでも最初に言語が入るのは「聞く話す」なんだと実感します。やっぱり「書く」は一番最後ですね。

 

国際教室に通っている子はこういう悩みを抱えているのでは?通常級でも国語学習の苦手さにもつながるかしらん?「聞く」が不十分なまま「話す」も不十分なまま「読む」も不十分なままでは、「書く」が十分にできないのではないかと。

 

でもとりあえずコミュニケーションとしては聞く話すが有利なのでそちらを重視して、言語だけでなく文化理解に進めば英語学習の目的は達成されるのではないかと思います。小学校はそういう授業が中心のようですが、評価の仕方はどうなのでしょうか?グローバル社会に対応した人材育成なら、まずは会話ができて国際交流ができるというのが優先されるべきで、にもかかわらず評価方法が筆記中心というのは??? 特に「受験のためです」と言う中学校の英語によって、会話ができて英語の思考のできる人の何割かを活用できなかったり、外国語嫌いにさせているってことですよねぇ。