「昔の子どもと違う。」
よく言われるフレーズです。この場合、子どもの行動面を言っていることが多いのですが、その行動も表面的なモノと隠れているモノがあると思うわけです。確かに表面的な部分では大きく変わったように見えますが、中の方・・・システムになるのかしら・・・は、変わらないように思います。
つまり、子どもそのものが変わったのではなく、変わったのは社会の方で、子どもからしてみると「ちゃんと育っている。」ということで。
集団行動が苦手、コミュニケーションが苦手、本が読めない、不器用等々、場所や人によって、色々ですが、だいたい「○○が弱くなってきている。」と言われることが多いです。でも、そう言われることを並べていくと、社会の変化と合致していることが多いことに気付きます。
紙工作職人の友人がよく語っていることですが、昔と今では生活の中での、手の動きが違うということです。特にひねる動きが消えているという指摘です。ノブを握って回すドアは少なくなりました。水道の蛇口もひねらなくても水が出るようになってきています。「経験が減れば、弱くなるのは当たり前でしょう。」と。
経験も含めて環境が人を育てるわけですから、時代とともに変化した社会の中では、それに合った人が育つということですよね。
そこまで認めた上で、さて、この先ですが、昔と同じレベルを色々な場面で求めるのでしょうか?時代の流れに巻かれてあきらめるのでしょうか?一寸極端かしら?