凹凹MEMO

前向きでないかもしれませんが、後ろ向きになりすぎない程度の綴方・・・要するにぼやきです

ゲーム脳

90年代にカウンセリングマインドの研究会で教えてもらった事があります。ゲームをすることで脳に変化が現れる話でした。それ系の本には、否定的な内容もあって、今はあまり見かけなくなった言葉ですね。

朝のラジオで、脳の専門家の方が、「ゲームは脳を鍛えることができる」とおっしゃっていました。ゲームで高まる攻撃性は、意欲と深く関わる。攻撃性を調整することが大事で、ゲーム自体には脳を活性化させる働きがある。といった内容に聞こえました。

ゲーム画面を見ることや操作を行うことで、脳にどのような影響が出るかは知りませんが、その面には弱い私が予想しても、シューティング系なら反射神経がよくなるかしら?とか、パズル系なら構成力がつくのかしら?とか思うわけです。以前から思っているのですが、リセットボタンとセーブ機能を削れば、忍耐とか根性とかを育てることもできるのではないかしら?

 

ゲームに関する相談は結構あります。ほとんどが「子どもがゲームに熱中して困る」という内容です。色々話を聞いていると、困ってない親のケースは「子どものコントロールができている」「放置」「親も一緒に長時間プレイ」の3つに分けられるようです。

放置は論外ですが、一緒に長時間プレイは考えてしまいます。大体は、ゲーム以外の時間について聞き取って、時間を短くするようお願いする方向ですが、「親子関係を深めるため」とか言われるとね・・・限定的な関係の深め方だと思うのですけれど・・・。

ゲームは他のことより巧くコントロールするのが難しいんじゃないかしら?大人でも依存症にかかると聞きますしね。独りゲームの環境を考えると、自己中心的に進めることができて、他と関わりがないから、そういう面が育つと。ゲーム脳という概念が正しくなくても、ゲームの困り感への影響は否定できない状況でしょう。

 

ゲームは脳を鍛えることはできるけれど、コントロールが難しい。でも、ゲームで鍛えられた部分が、どの程度生活の役に立つかが分からない。あまり役立っていないような気もしますが・・・。攻撃性が意欲につながるなら、役立つ事になるけれど、ゲームで育った攻撃性を周囲に向けられると困るしねぇ。そのコントロールの仕方を脳の専門家は教えてくれているのかしら。

教室面積

狭い教室が欲しい。

支援級をやっていた頃から、そういう思いはありました。最大10人と考えても、普通教室は広く感じました。スペースとして使えるのは有難いのですが、ちょっと落ち着かない空間でした。もう二回り小さくても十分って。

「教室の広さは法によって規定されている」と聞いたので、少しだけ調べてみたのですが、それらしいモノが見つかりませんでした。明治時代の基準で4間×5間と書いてあるモノはありますが、法令の情報がヒットしません。校舎と校庭の広さについては書いてあるんですけれど・・・

小学校設置基準(平成十四年三月二十九日文部科学省令第十四号):文部科学省

 

 

支援級をやっていた時には、保護者の協力で教室環境整備をしました。構造化というやつですね。エリアは4つだったかな?一つのクラスで考えたので、丁度良く区分けができて、それほど落ち着かない環境というわけではではなかったです。が、複数のクラスでやったら、もう少し整理できたかなぁと思います。そうするとスペースが空くんですよね。

で、空いたスペースにはコンパートメントルームが欲しいのです。

通常級でも段ボール箱の中や掃除箱の中に入ってクールダウンする子が何人もいました。落ち着くそうです。気持ちは分かります。通常級でも必要なのですから、支援級、特に自閉症情緒学級では、遮音性のあるコンパートメントルームは必須な設備だと思うんです。

 

そうやって、支援級で機能的な教室を推進してもらわないと、多分ウチの教室の設備改善までたどり着かないのです。

教室に適応しにくい子に対して、安心できて集中できる環境を整えて欲しいな。音も人も振動も気に掛けてもらってはいますが、決して良い環境とは言えず、その面であきらめてしまっている部分もあります。結局は「お金がない」と言われます。やれることをできる範囲で進めているつもりですが、ストレス貯まります。

神奈川県はインクルーシブ推進など良いこと言っているのですけれど、どこまでの配慮や支援を考えているのかしら。

目を合わせる難しさ

 私も目を見て話すのが苦手です。仕事柄、見ないわけにも行かないのですが、10°くらいの角度で下を見たり上を見たりする癖があります。集団を見渡すのは平気なのですけれど・・・。

 なぜ苦手なのか、よく分からないところがあります。以前は「怖いから」だと思っていたのですけれど、それだけでは無いようにも感じます。意識していれば見つめることもできますが、楽にしていると視線をそらすことが多いように思います。

 話をするときの事を考えると、聞かせたい相手に向けて声を送るのですから、相手の方を向きます。その時に目が合っていないと話し手は「聴いていないんじゃ無いか」と感じて不安になります。耳の構造上、音声の発生源に顔を向けるのが理にかなっているわけで、聞き手としても自然に相手を見ることになります。目を合わせることは、それだけでコミュニケーションの1つになっている、ということですねぇ。

「子どもの目を見て話しなさい」というのは、今でもよく聴くフレーズです。なので、叱責するときに「先生の目を見なさい」とか「お母さんの目を見なさい」という決まり文句が出てくるわけです。

 ふりかえると、昔は「目を見なさい」と言っておきながら、自分が我慢しながら話すことが多くて、とても疲れました。目を合わせて話さなきゃいけないと思っていましたからね。経験を重ねて、目を見ていなくても効果が出そうなやり方ができるようになりましたけれど。

 「目を見なさい」と言われる側に立って考えてみると、目を見るだけでかなりの気力を使うので、他の事が鈍くなるように思います。せめて考えるときには、目を合わせることを強制しないで欲しいわ。

 かといって、目を使ったコミュニケーションが弱まるのもまずいと思います。子どもの遊びが、人と相対する遊びから画面と相対するものが多くなりましたよね。そりゃあコミュニケーションが弱くなるってモンです。

 授乳中にスマホをいじって赤ちゃんを見ない母の話を複数の方から聞いたのですが、流行っているのでしょうかね?ありそうな話ではありますが・・・。こうやって次々に目と目のコミュニケーションを育てる機会が奪われていくわけですね。

マイノリティーに優しくない社会の個人的体験

 2011年7月にアナログ地上波テレビ放送が終了しました。終了する1年位前からアナログ終了の文字が画面に入っていました。邪魔だなぁと思っていました。

 震災が起きた頃には、災害情報で画面が小さくなっている上、「早く地デジにしなよっ!」という押しつけっぽい宣伝にもスペースを盗られ、視聴画面が二回り以上は小さかったです。

 地デジ化の宣伝は、アナログテレビ視聴者への嫌がらせにしか感じませんでしたね。ちゃんと料金を払っているのに、あの仕打ちは無いでしょう。終了する最後まで快適に視聴できるようにして欲しかったなぁ。すごく思いますよ、今でも。

 そういった不満から、地デジ化はせずに脱テレビを選択したわけです。別に困ることは無いですよ。タレントの顔は分かりませんが、生活に影響は無いです。

 ラジオ族はマイノリティーだそうです。テレビ視聴をしない人は周りにあまりいませんし、やはり全体から見ると少数派でしょう。

 

 以前、携帯電話の機種変更をしました。欲しい機能で機種を選んだところ、ワンセグが付いていました。テレビは視ないのでワンセグはいらないのですが、この機種が欲しいなぁ、と思ったわけです。

 NHKのサイトを見ると、このケースでも受信料を払わなきゃいけないって書いてあります。なので欲しい機能をあきらめて、別の機種を買いました。だって、視ないのに受信料を払うのは納得がいかないモノ。

  じゃあ、今の機種に納得しているのかといえば、不満はあるわけで・・・そもそも何で電話にテレビを付けるの?しかも、あんなちっこい画面でさ。高齢化社会って言っている割には高齢者向けに商品開発されていないわね。

 

 今度、車を買替えようと思っています。最近の車は便利ですね。カメラが付いていて、画面を見ながら車庫入れが安全にできるような機能があります。安全に金を掛けることは納得ですね。便利だし。

 でも、ここでもまたワンセグが付いてくるんです。便利な車を買うと、受信料の分、ランニングコストがかかるわけです。おかしくないですか?

 そもそも車でテレビが視られるのはおかしくないですか?よそ見運転を助長させていますよね?これが許されるなら、スマホ運転もアリじゃん。

 

 携帯電話も車も、ラジオ族向けのラインナップにはなっていないと思うわけです。ナントカっていう大臣が携帯からの受信料搾取を後押ししているようですが、テレビ族の方には影響ないことでも、ラジオ族にとっては、負担のかかることなんです。

 こうやって自分が少数派になって不利益を被ると社会の矛盾を感じます。経験しないと分からないというところで、自分の想像力の無さを表してしまっていますが・・・

う~ん、メリークリスマス

午前9時 明治学院大学白金校舎2号館

今日は東京でS.E.N.Sの試験を受けてきました。

ロマンスカーで朝食をとりながら、今までのレジュメを見て復習。こういう時は、やはりリッチにロマンスカーが良いです。

事件はその後です。いくつになっても地下鉄は分かりません。間違えてしまいまして、いつもと違う駅「白金高輪」に着いた私。地上に出て、ウロウロ。使い慣れないスマホで地図検索。自信は無いけど、こっちかなぁ・・・と歩き始めると声をかけられまして、これが同じ受験生なのですね。夏の研修で4班だった、10班だった、なんて話しながら、試験会場の明学大に着きました。

この時点で汗だらだらです。眼鏡が曇っちゃって、しばらく眼鏡は外していました。ほとんどぼやけてしまっています。でも受付はみんなが並んでいるので、一緒に並べば問題ないので、クリア。

教室に入ったのが丁度9時。全席指定です。ここで難しい問題が発生。椅子の背もたれと机との間が、丁度私の奥行きなのですもの。座ることは出来ましたが前傾姿勢がとれない!

まぁ、良い姿勢で書けばいいか、と思っていたのですが、試験前の名前を書く段階で、「やばい、見にくい!」

目と机は50cm程度の距離なのですが、一寸離れすぎだぁ。普段は眼鏡を外して、10cm位に近づけて書いているから、前傾姿勢がとれないのはマズいわっ!

それでも何とかやりましたが、もう目がショボショボ。それにしても、私は覚えることが苦手なんだなぁ。検査の名前とか人の名前とかなかなか出てこない。やっぱり試験は難しいなぁ。

試験自体はさておき(をゐをゐ?)、自分自身の支援について色々考えてしまいました。せっかく色々習っているのだから、自分にも活かしたいですよねぇ。

帰りは白金台から帰ってきました。ずっと「しろがね」だと思っていたのに、ふと駅の表示を見て「しろかね」だと気付きました。シロガネーゼっていうからさぁ・・・

スマイルクラブ

今期も始まりました。通級指導教室と地元特別支援学校の連携企画です。各学期末に開催して、今年で6年目だったと思います。単純に計算すると17回目になるのかしら?この間に形も変わってきましたが、私にとっては貴重なお勉強の機会となっています。

先月、3校の通級指導教室が、特別支援学校に集まり、教材研究しました。で、今回、初回を迎えたわけですが・・・

活動1 ねぇねぇ、なあに?

活動2 モヤッとボールクレーン

60分程度の活動時間でしたが、なかなか面白かったです。子どもたちも楽しそうに参加してました。本来なら同時進行で保護者のグループ懇談が行われるところですが、この日は参観になってしまいました。

子どもはいつもと違う環境の中で小集団活動を体験。保護者は同じような悩みを持つ他の保護者とともに、特別支援学校の教師とグループ相談。とても貴重な機会です。特に保護者のグループ相談に代わるモノは、ウチ単独ではできないモノです。

活動後には振り返りと次回の見通しのための話し合いをしています。研究会みたいで楽しいです。

↓活動2のセット

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レジリエンスという言葉で考えたこと

 

 ネットを見ると、回復力とか耐久力とか復元力とか折れない心とか色々書いてありますが、先日読んだ本の中にあった「心のしなやかさ」・・・確かそんな感じの言葉が気に入っています。気に入っているのにはっきり覚えていないところが特性です。

 それにしても支援教育の用語は片仮名が多いですね。なれるとAlphabetや片仮名を使っていますが、はじめの頃は苦労しました。全部日本語にすればいいのに、と極端なことを口走っていたわけです。そういう態度が軟化してきたのは、いくつかの外国の言葉が過不足無く日本語になっているわけではないと気づけたからでした。

 障害には種類がある、と20年くらい前に習っていたんですが、そこに問題意識は持てなかったのでした。最近ですね、いくつかの言葉をまとめて「障害」と訳したんだ、と気づいたのは。しかも、言葉自体に批判が出ていますよね。「障碍」と記載したりするのが有名です。

 そういうことなら仕方が無いです。うまく和語で伝わらないなら片仮名やAlphabetで表記してあげようじゃありませんか。という風に考えたわけです。

 レジリエンスかぁ。レジスタンスと似ているなぁ。しなやかな心でいいんじゃないかなぁ・・・。