ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

2年ぶりに上京

所属している学会の研究大会があって上京しました。2021年9月の公認心理師試験以来の東京です。新宿で迷い地下鉄探すのに時間がかかりましたが、一駅前で降りて短い散策。お堀にカイツブリがいました。アオジのようなクロジのようなのもいまして、双眼鏡を持ってこなかったのが悔やまれました。

会場でお話しを聴くのも久しぶりで、やはりライブは良いですね。場の雰囲気でモチベーションが上がります。体調さえ良ければ最前列に座ったのですが、今日は安心感優先で最後尾の端っこです。

アセスメントの重要性を再認識できましたし、考えの方向にそれほど大きな間違いはないことで少し安心しました。

何より情報更新の甘さを認識できたのは大きな収穫でした。いくつになってもマナビは必要です。

不適切授業に自分も該当しそうですけれど

「不適切授業」という言葉がネットニュースに出て来ました。自分のイメージでは、発達段階にそぐわない授業という感じなのですが、ニュースになった学校のHPを見ると、「学習指導要領に示されている内容の実施不足(授業時数・履修年次・評価の実施不足等)、教科書の未使用等」と書いてありました。また、今後調査するともあるので、具体的な話が出てくると思われます。

学習指導要領と解説編の文科省ページは

平成29・30・31年改訂学習指導要領(本文、解説):文部科学省

 

授業時数かぁ・・・指導要領に示されているのは、教科の年間時数だけじゃなかったかなぁ?教科書の指導書が配布されるのですけれど、そこに単元ごとに時数は載っていますけれど、これに縛りはあるのでしょうか?

私の所行を振り返ると、基準として意識しながら、増減が激しいススメ方でした。分からない子どもが多いままで次に進むのはマズいでしょう?逆に時間をかけずに終われる単元は短くなる・・・

それでなくとも教室は生活の場でもあるので、色々と問題が起きて時数は削られます。大人のように「あとで時間を取るから」ができないんです。記憶の保存は難しいし、感情のコントロールも難しい。事件を解決しておかないと授業も落ち着かない、とか。でも、そっちの時間の方が社会性育成に必要じゃないかと思います。道徳で本読んで「共感しよう」みたいな授業より、ライブの方が実感持てます。

履修年次は変えたことないですねぇ。中学年社会科が2年間の中で順番を変えられるのですが、個人で2年間持てる訳ではないので、学校で決めてました。自衛隊の授業とかやってみたかったけれど勝手に変えられないし。

評価の実施不足、というのは具体的には何を指しているのでしょうかね?テストだけで評価してなかったので、不足はしてなかったと思うのですが、テストをテストとして扱わなかったことは結構あったかしらん。いわゆる業者テストって授業にあわないことが多かったんですよね。そもそも「テスト」じゃなくて「ワーク」ですから、ワークとして扱っても問題ないじゃん!という理屈です。

教科書の未使用は常習犯でした。国算でさえ使わない時がありましたし、中学年社会科なんて地域学習なのに教科書を使っている方が信じられない!といった態度です。記事に出て来た図画工作の教科書は、何のためにあるのだろう?と思っていました。使う機会が0と云うことは無かったですけれど・・・

「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」という言葉がありました。目の前の子どもを置いて、教科書・・・教科書の指導書にそってカタチ通りの授業をしていけば時数も要領通りになるし、問題にはなりにくいかと思います。教材研究はしなくても良いのですね?「働かせ方改革」の目玉でしょうか?でもそれで教育が成り立つのかなぁ?
①定型教室では、トニカク型通りに教科書で授業をする。
②ついていけない子どもは別の機会を補償する。
こういうシステムが完成しているなら良いのですけれど、殆どの子どもは別の機会が無い訳です。全国一律の授業を目指すと置いて行かれる子どもが続出すると思います。その分のサポートにかかる人件費を国は出してくれるの?お金を出さないならカリキュラム半減をお願いします。

 

不適切の内容がハッキリすれば問題点も明らかになるのでしょうけれど、記事を読む限りでは、「英語の指導内容が欠落していた」点と「毛筆が殆ど行われなかった」点くらいかなぁ。要領にある指導内容が授業に反映できなかったら教師としては問題です、という流れは納得できます。

毛筆は必修なのか?手段じゃ無いの?と思いましたが、要領に「毛筆で」と書いてあるので、まぁまぁ納得することにします。それでも筆ペンは毛筆だと思いますけれど。毛筆については言いたいこともイッパイあるのですが・・・

記事で目立つのは、校長の管理権限の話ですね。「職員会議が意思決定機関」というのは20世紀から言われてきたことですけれど、職員会議が事後の責任を取るワケじゃあ無いんだよねぇ。でも、私の場合は職員の意思を尊重してくれる校長が多かったように思います。まぁダメなモノはダメなんですけれど、ちゃんと私が分かるレベルで説明してくれる方が殆どでした。バランスの問題なんじゃ無いかなぁ。

管理強化しても、現場の状況次第で上に物言う方であれば良いのです。そう云う校長や教頭の姿も見せてもらってきているので。でも上の意向を伺う管理職ばかりになると、現場の息苦しさが増すでしょうし、オリジナリティは無くなりますよね。勿論、均一化が目的なのでしょうけど、社会は多様化時代ですし、指導要領は「多様化への対応」が大事だとしています。均一化した教育で、多様化した子どもの育成ができると思っている所がスゴいなぁと思うんですけれど・・・

給食や調理実習の変化と栽培教材

秋に介助員さんに頂いた柿。中の種を水につけて1ヶ月。半分くらい発芽しました。結構出るもんですねぇ。ここから成長過程で残るのは何本かなぁ。8年経ったら実ができるのかしらん?ん?ドノクライ大きくなるんだろう?これは引っ越し先を再考しなければイケないのでは?

等と考えつつ、発芽したモノをスポンジ地に植えてみました。

定型学級担任時代は、給食なんかで種が出ると教室の窓際で育ててみたもんです。私自身が「育てる」全般が下手で(よく教師なんかやってたなーと思いますが)教室で預かる小動物の死亡率がとても高かったり、ベランダの栽培教材の育ちが一番悪かったり、教室の鉢植えも最初に枯らすのは私が多かったり・・・見かねたのか、40過ぎた頃に先輩や後輩から鉢植えの育て方をレクチャーされて少しマシになった記憶です。

そんな私ですが教室で出た果物の種などを植えてみることは多かったです。毎回やっていた訳では無いのですが、食べているモノの素性に興味を持ってくれたら良いな、などと考えて始めた感じです。大きく考えれば、いのちを考える教材にもなりますし。途中から「食育」なんてのが流行りだしたので、そこにも当てはまりそう、とか。そうだぁ食育・・・栄養士さんとか同僚の先生とかお世話になりましたねぇ。意識付けは昔の同級生にしてもらった感じです。

そういう思いはあっても、肝心の「育てる腕」が無いもので、苗っぽくなることは少なかったのですが、子どもの方が興味を持ってくれるなどして、世話に私以外の手がたくさん入った時には結構育った記憶です。いやぁ、こんな所でも子どもに助けられていたのですねぇ。

世紀末辺りの教室で育てたビワは給食で出て来たモノの種だったかなぁ?苗に育てたクラスと記念樹として植えたクラスが違うっていうのも面白い想い出ですが。

最後の定型学級の時は、盛り上がってくれる子が何人もいて、苗が40本以上できてしまったので、学級終いに1人1苗をお土産にしました。生存率には興味あります。まぁ1割育っていたら凄いですよね?地植えにしたと報告してくれた子もいたのですが、今頃大きくなっちゃって迷惑になっていないだろうか・・・

今の給食で出てくる果物は生がなくて、近いのは小田原冷凍ミカン?解凍した種は発芽するの?興味はありますが、子どもの興味はどうだろう?

調理実習でも結構果物使ったんだけどなぁ。今はサラダも温野菜サラダだし。お菓子作る時間的余裕もなさそうだし・・・ジャムとか作れば種が期待できそうだけれど。

O157以前は学校での生ものOKだったのですが、あの年から給食や調理実習の内容が変化してきて現在に至っています。まぁ仕方ないよねぇ。でもなんでO157って急に流行ったんだ?

一般健康診査

今日は退職後で初めての健康診断へ行ってきました。元日の99,9kgをピークに再び上昇した体重ですが、検診では100.6kgで再び2桁に近づけました。

血液検査や問診的なものは毎月通院時に行っているので、必要ないかなぁと思っていたのですけれど、昨年通院時に「検診は受けましょう」とポスターが貼られておりまして、今回の受診に至ったのでした。確かに肺のレントゲンは撮ってなかったので、良かったです。1年ほど前から胸が痛くなることが何度かあって、不安ではあったので、どうしようっかなーと迷っていたところでした。とりあえず肺の様子は分かるんですよね。あとは心臓かぁ…まぁそこは仕方ないかなぁ。

食事量が減っても体重は落ちなかったのですが、流石にココ1年は極端な食生活に運動量も増やしたので減量に効果が出ました。でもこの減り方も不安でして、シック状態だから減っているんじゃないか?と不安になるわけです。検診所見をいただけるので、安心材料にはなるかなぁ。フラシーボがよく効く特性を持っているので、ガンぐらいならそれで寛解できるんじゃないかなぁと思ってます。

書類の山の整理をしていて医療記録の束が出てきたので、昔の120kg時代のデータを見ると体の組成で筋肉量60kgとなっていました。100を切ろうとしている現在、筋肉が数値上3割減だということが判明しました。やばいじゃあないですか。足の筋量は増えているのですが、上半身が可愛そうな感じでした。

そう云えば、高校1年時の体育教師がとっても厳しくて、当に「昭和のトレーニング」で体作りを指導しておりました。入学時の私は腕立てや腹筋がほぼほぼできなかったのです。そのことでチームメンバーに多大な迷惑をかけておったのですけれど「できるようになりたかったら後で教官室に来い」とその体育教師に言われまして、行ったらトレーニングについての助言をいただきました。イメージを裏切るような優しい説明だった印象です。

簡単な理論説明や筋肉の必要性についてのお話が前後にあった記憶ですが、行動指示自体は単純で「空いてる時間は全部腕立て」でした。勿論全部実行することはできませんでしたが、毎日何度か実行することで、割と短時間に効果が出て体育教師に褒められるというハッピーエンド。

行動動機が「昭和のトレーニング」だったので、某ヨットスクールとそこは重なる部分もあるかなぁとは思うのです。でも指導の組み立てが理にかなっていることが多かったように思うので、そこの違いは大きいかなぁ。できない子(この時の1番のできんぼは私)の追い込み方に根拠が見える?表現が難しいですけど、納得できる程度のスパルタ?もちょっと違うかもしれませんが。

筋量が減って急にキントレを始めながらそんなことを思い出していました。

腰痛と目標達成: 歩き方改善の挑戦

腰を痛めているくせに歩きには行きたい。目標の場所が三つほどありまして、普通の体の人なら「行ってくればいいじゃん」で済むようなところなのではあるのですけれど。

腰を捻らない歩き方って云うのを動画で見ました。ナンバ歩きと云って右手右足が同時に前へ出る江戸時代までのポピュラーな歩き方だそうです。でも動画の説明をよく視聴してみると、右手右足〜って感じではなく、右足右半身みたいな印象でした。

早速近所を徘徊してみるのですが、確かに撚るよりは良いような感じがします。

別な動画で「歩くと走るの違い」をやっていて、普段歩いているつもりの動きが「ゆっくりと走っている」動きであるとのことで、驚きました。歩行の基礎動作みたいなものを動画で頭に入れて、再び徘徊。まぁまぁできます。後ろに蹴る動作がなくなる感じですかねぇ。

さてさて、この2つの動作が同時にできればOKなわけで、早速2kmほどやってみましたが…難しい(;_;) リセットの年なので、今までの動きをリセットしようと頑張るのですが、長年の積み重ねに負けてしまった感じです。体の動きをモニタリングしながら動くことなんて日常ではあまり無いので、少し新鮮な思いです。

旧暦令和五年十一月廿六日

年明けて何かやる度に「初〇〇」になってしまうワケですが、初電車、初迷子、初銭湯に初探鳥としてきましたが、まだ初買物はないなぁ。そうそう、昨日は初通院でした。多分近隣で営業日?が一番早い個人病院です。暮れから我慢していたのでホント助かりました。

 

せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ

今日は七草粥の日です。セリ・ナズナハハコグサハコベコオニタビラコ・カブ・ダイコンをパックに詰めたものがスーパーで売られています。でもその辺を歩いていてもカブとコオニタビラコ以外は生えている感じです。川の土手に生えている、あのアブラナっぽい葉っぱのやつはダイコンじゃないのかな?ダイコン原種がこの辺りの河原に生えているって言っていたし。あとホトケノザを見ないねぇ…

特に正月で胃がモタれるようなことにはならなかった…何ならファスティングやってる感じだったので、七草粥はなくてもいいや…そもそも旧暦で動くとするとですねぇ、今日はまだ11月なわけです。今年の旧1月7日は2月の半ばです。一月ずれるんですけれど旬はどっちなのでしょう?

昔からの風習なら旧暦のほうが旬なんじゃないかしらん?と思ってしまいますがどうなんでしょう?昔から、と書きましたが、具体的にいつの時代から七草粥なのでしょうかね?伝統とかは意外に歴史が短かったり背景が意外なものが結構ありますから。

胃のもたれを何とかするだけだったら、別に何を入れても良いようにも思います。七草自体に意味があるのか?粥に意味があるのか?興味深いですが、調べるのは後回し。

とは云え、「七草粥の日」とメディアで騒ぐと「そっかー」と深く考えずに動くのが私も含めた日本人です。七草パックは結構売れているそうですよ?(隣町の大型スーパーの売り場の人の話です)

でも近所に生えているところがあるんだよなー。今度摘みに行ってみようかしらん?まぁまぁ自然のあるこの辺りでスーパーでも購入する感じなのですから、都会に近づけばこの傾向は大きくなるのであって…でも多摩川には生えていそうな気もします。探そうとはしないでしょうね。意識は農産物扱いだろうし…多くは雑草なのですけれど。あ、スーパーで売っているモノはちゃんと育てているので農作物ですね。

七草=雑草というイメージはついているのですが、私の中でカブだけ農作物から離れません。ダイコンの野生種は昔、同僚のおかげで河原で見つけることができましたが、カブも同じように野生種があるのでしょうかね?まだ見たことはありませんが…

七草を揃えたいと思う人は結構いても、それが生える環境を身近で整えようと思う人はそう多くないように思いました。

年明け早々TVの情報伝達の信頼性に疑問を感じる

2024元日は北陸地震。2日は飛行機事故。

TVがないので、普段なら見ることのないのですが、放送局によっては緊急番組をYouTubeで流してくれます。有難い話ですね。で、実況を聴いていると2パターンあるように思うのですけれど。

画面に沿って情報が流れるパターンと画面通りで無い情報がひたすら流れてくるパターンと。ある意味後者は誤情報を流しているって事になりますか?TVは聴覚だけで情報を得ている方もいるのですから。

起きた出来事が大まかに分かるという意味では伝わっているのですが、言葉で聞いたイメージと画面にズレが出るのは不安だし不満です。

所詮TVなんて・・・とも思いますが、結構影響力があるので困りますね。