古代史が一番扱いが難しいんじゃないかなぁ。神話も扱うように指示が出てますよね。指示が出る前でも記紀が出てくる時にいくつか紹介してましたが、学習内容として扱うなら歴史ではなく道徳かなぁと今でも思います。
人物を歴史授業で扱うなら、該当人物目線ってのが結構大事です。そうなると、その時代の様子や人物の置かれた状況が情報として無いと難しくなります。不確実な情報をもとにすれば嘘を教える事にもつながります。そんな事をするくらいなら、説の分かれているモノは、それを伝えるのが教師としてあるべき姿じゃないかと思ってます。
①卑弥呼 邪馬台国
②聖徳太子 十七条憲法 冠位十二階 遣隋使
③小野妹子 遣隋使
④中大兄皇子 乙巳の変 大化の改新 白村江の戦い
⑤中 臣 鎌足 乙巳の変 大化の改新
ここに天照大神やスサノオが出てないのは現時点で当然だと思っています。自分も神話は社会科に含まれるという感覚ですが、現時点では歴史ではなく民俗学じゃないかなぁ。「記紀神話に大和政権成立過程が反映されている」というのには賛同しますし、地域伝承にも何某らの事象が反映されているんだと思います。また、そう云う事を考えるのは好きだし・・・キチンと遺跡が発掘されて実在が証明されれば歴史。そういう線引きが必要だと思うんですけど。
そういう流れで考えていきますとね
卑弥呼は天照大神、倭迹迹日百襲姫、倭姫命、地方勢力の女王など色々説がありますが、そもそも邪馬台国が日本じゃないって説もあります。個人名じゃなくて日巫女という役職だという説もあります。(じゃあ台与は?)
資料的にも三国志しか出てこないのですから、実在も疑われていて・・・記紀にも「卑弥呼はこの人」的に出ては来ますが、その比定が疑われているので・・・授業の中で触れるにしても、42人に入れるかどうかと云えば・・・ここは削除で。
聖徳太子は厩戸豊聡耳皇子の諡じゃなかった?中大兄皇子を天智天皇と表記しないのに何故?意味が分かりません。事績も沢山載ってますが、明記されている訳ではないとして昔から疑いの目を向ける人は存在しております。自分的には結構納得度が高いです。聖徳太子信仰が広範囲に広がっている事からも、実像より大きくなってしまっていると思います。
天皇って言葉の使用が天武朝あたりからだって言われてますが、そうすると皇太子とか摂政とか存在してたのかな?から疑問が始まって・・・「長屋王の変」辺りのモノを読んでると天皇家と他氏族の差別が大きくて、そう考えると「母が蘇我氏でも天皇」ってすっごく違和感があるんですけど。色々モヤモヤが・・・そんな蘇我氏がいるのに天皇中心国家宣言とも言える十七条憲法って・・・
天武持統朝が天皇トップの律令制が本格スタートとすると、推古朝は一世代前の感覚かな?「誰が」は無くてもいいなぁ。だってはっきりしてない。信仰の核になっている事績があるはずだけど、それもはっきりしないし、何か新発見があるまで聖徳太子は削除で良いんじゃないかなぁ。
小野妹子は隋に行ったんだから、隋書に記録があるのかと思ったら名前は出てこないんですね。日本書紀の記述と隋書の記述を合わせて、「この時の使者が小野妹子?」って感じですね。来日した使者の名前は一致点が多いので確実に実在はしているのでしょうけれど。
確率はかなり上がったとしても、一緒にいた話が残っているから100%実在、とはならないよなぁ。遣隋使の話で触れるとしても、必修人物からは削除で良いと思います。
中大兄皇子と中臣鎌足ですが、中大兄皇子一人に絞って問題ないと思います。天智天皇は実在が疑われている話を聞いた事無いですし、世紀末に斉明期の立派な遺跡が出て来た事もあって、それなりに風景が浮かびます。百人一首の最初に出てくるので、実在確信!と軽く思っていたのですが、あの歌は本来詠み人知らずだったそうで、「えっ?」となりましたが、万葉集にも歌が残っており、実在で良いんじゃないかと素人目に思う訳です。
記録的にもこの時代の方々は記紀に頼る他はなく、実在が疑われる事が多々あります。1300年前に「公的な歴史書と作る」という企画までは良かったんですが、集めたモト資料を処分しているそうですからねぇ。権力者から見たら当然の行動ですが、そうしちゃった事で客観性が全くなくなって、中身が疑われるのは仕方がないです。後は外国みたいに古墳の発掘ですが、コレも無理でしょう。
そう考えると、稲荷山古墳の剣に出て来た「ワカタケル大王」は記紀の雄略天皇じゃないか?は、結構有力で納得できますし、そうなると「倭王武」とも同一視する説が有力で・・・こっちの方が実在性だけなら高いんじゃないかなぁ、と思っています。卑弥呼を入れるくらいなら、ワカタケル大王を入れた方が良いんじゃないでしょうか?
学指解説社会科編の中には、内容の取り扱いで
「・・・社会科が学習の対象にしている社会的事象の捉え方は,それを捉える観点や立場によって異なることから,これらについて,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げた場合,ともすると恣意的な考えや判断に陥る恐れがある。 とりわけ,「多様な見解のある事柄,未確定な事柄」については,一つの意見が絶対的に正しく,他の意見は誤りであると断定することは困難であり,小学校社会科では学習問題の解決に向けて,一つの結論を出すこと以上に話合いの過程が大切であることを踏まえ,取り上げる教材が一方的であったり一面的であったりすることのないよう留意して指導することにより,児童が多角的に考えたり,事実を客観的に捉え,公正に判断したりできるようにすることが必要である。 また,「有益適切な教材」である資料などに基づいて多角的に考えることを重視して,そのよりどころとなる資料に関しては,その資料の出典や用途,作成の経緯等を含め,十分に吟味した上で使用することが必要である。・・・」
と書かれています。客観的な判断ができるように国も努力すべきだと思いますよ?曖昧なモノは曖昧なまま教えてきたつもりですが、それだと時間がかかります。
いくら正史だとは云え、記紀のみでしか実在が確認できないような人物は削っちゃっても良いと思います。歴史ではなくて伝承扱いですね。古墳調査が進めば考古学的証拠がでてきて実在が証明される人物が出てくるでしょうけれど・・・
さて、この時代に残ったのはワカタケル大王と天智天皇です。公地公民や庚午年籍は乙巳の変~天智朝の時代ではなかったのでは?という話も聴いた事はありますが、豪族連合的な国から天皇中心国家?への大きな変わり目が乙巳の変と考えると、前後をこの方達で代表してもらって良いかと思います。
個人的には持統天皇に代表してもらいたいなぁと思いますけどね。