ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

初詣 卯の刻参り

サキホド、相州四宮前鳥神社へ令和5年の初詣に行ってきました。毎年お正月を避けていますが、ここまで遅くしたのは初めてかな?

理屈をこねると

ソモソモ・・・初詣って色々な起源の説があるみたいですが、歳神様に御挨拶にいくモノだっていうのが自分としては腑に落ちています。

トコロで、カレンダーなんですが、神様視点で考えると、旧暦でず~っとローテーションしていたのに、1873(明治6)年に急に変わっちゃって・・・1872年12月2日の翌日が1873年1月1日になったのね。そりゃあ人間様の都合だよね。神社歴からすると新暦の割合は1割に満たないくらい?

それにしても明治6年ってスゴいですね。学制や徴兵令、政変もあって。西郷・大久保の時代かぁ。今の時代もこの位思い切って変えるって出来ないのかねぇ。

話を戻して、「御参り」ですが、昔から好きな吉田兼好さんが、人の行かない時に御参りするのが良い、みたいなことを書いていた記憶があって、人ごみのキライな私としては都合がよい先人のお話なワケです。

そういう自分の都合のよい部分をつないで、「神様のことは旧暦尊重」ルールで動いています。

今年も旧暦正月に行こうと思っていましたが、機会を逸してしまいました。で、卯年なんだから、卯に関係のありそうな神社へ、卯月の卯日に行ったらいいんじゃないか?と考えて、今日になったのでした。

 

卯に関係ある神社というと、因幡の白ウサギで大国主が真っ先に浮かびます。オオクニヌシと云えば出雲大社ですが、他の神社でも結構祀られているイメージです。出雲系の神社なら一緒に祀られていたりします。喧嘩にならないのかなぁ。

調べると神功皇后が卯年に設立したという住吉大社も出て来ます。住吉神社だったら地域にあるかも知れません。オリオン座の三つ星が祭神になっている説もあります。

でもエリア内にはもう一柱、卯関係の神様が平塚の前鳥神社に。道に迷った時に兔に先導された菟道稚郎子です。王とか皇子とか尊とかでなく、郎子。何か不思議な感じです。記紀では天皇の子で、仁徳天皇との皇位譲り合いの話が印象的なのですが、実は大王だったのではないかという説もあります。

説明板の御由緒によれば、菟道稚郎子がこの地に移住したと。記紀の歴史とは違いますが、記紀が正しいとは限りませんからねぇ。現在比定されている宮内庁管理のお墓もありますが、記述と合わないらしいですし・・・まぁ分からない方がロマンはあります。その代わり歴史と言わないで欲しいですけど。複数の証拠がなければ、どれも伝説と一緒でしょう。

記紀的には、百済から来た阿直岐王仁を師に典籍を学んだと云うことで、学問の神様的な御利益があると。菅原道真より古い学問の神様です。ちなみに、この3人が境内の奨学神社に祀られております。

 

で、今日は旧暦4月2日。今年初めての卯月の卯日です。折角なので時間も卯にしてみました。卯の刻参りです。卯の刻は5~7時なので、今の季節は気持ちよいです。人も殆どいませんし。

まぁこの1年、予想外の所で結構ストレスかかりましたから。思うように事は運ばないし、人間関係も悪化したし。兔にあやかって心機一転したいところです。以前試験前に参拝しているので、お礼も言ってきました。

 

ついでに書くと大安で、今日から節季が小満、候が蚕起食桑でした。再起動にはよかったんじゃないかな?

帰りに野菜が欲しくて、無人販売所を回ってみたんですが、まだ時間が早かったようです。コンビニで買ってしまいました。無人販売もワンコインじゃない所が増えて来たなぁ。量を減らしてもらっても良いからワンコインにして欲しいなぁ。