史上最強とまで言われたあの台風が通過して空が晴れたアタリから湿度が下がったんだよね。朝の内は体感温度も低くて「秋?」とか思っていましたが、陽が高くなると湿度も上がって、いつもと同じになりました。残念だなぁと思いつつ近所を散歩していたら、温度を測っている子どもを見かけました。自由研究かなぁ?
コロナを越えて夏期休業中の宿題ってどうなっているのでしょうかね?
かつての定番は自由研究を筆頭に作文、お絵かき、漢字練習、算数プリント、読書といったLineupでしょうか。
平成の前半アタリまでは「夏休みのワーク」みたいな冊子を購入していた学校も結構あったんじゃ無いかなぁ?あれは嫌いだったなぁ・・・取り組む側としても丸付けする側としても嫌いでした。
そもそも私が宿題の嫌いな子どもだったので、あまり積極的になれませんでした。多くの保護者の話を聞いて子どもたちの家での様子が垣間見えて、夏休みに限らず「適当」に宿題が出せているかも、と思えるようになるまでに十数年かかってしまいました。
宿題に絡んで・・・私は小学校の専科制に反対しているのですが、デメリット無視で専科制が進むのであれば気をつけて頂きたいことがあります。
「宿題廃止」もしくは「宿題の出せる授業者を決める」
学級担任であれば調整ができるのですよ。「国語で宿題出したから算数は軽めに」とか「昨日、3日程度かかる課題を出したから今日の宿題は無し」とか「自分で教科を選んで良いよ」とか・・・専科制でできますか?
正確に言えば、今までだって専科はありましたが、実技科目、理科、書写の内、1~2教科が週2時間か3時間といったトコロでした。ソモソモ専科は宿題が出にくい教科であった訳です。音楽の宿題でリコーダー練習なんかありましたが、教室で休み時間に一緒に練習すれば済むし・・・家庭科で「家族にインタビュー」なんかは時間が取られそうでしたが、例外的ですよね。
現在進行中の専科制は主要教科も割り振られていきます。中学以降の教科担当制になっていく訳です。
以前書きましたが、専科が増えれば児童理解のための自分のクラスの子どもを看取る時間が減ります。でもって授業するクラスが増えるので看取らねばならない子どもは増えます。「学年を担当する」「学年の子どもを見る」という視点は悪くないのですが、学級担任として多面的にアセスメントする機会が減ります。「いつもと違う様子」に気づけた先生は勿論報告して情報共有できるでしょうけれど、そういうアンテナ感度の鈍い教員だって結構いますよ?感度の良い教員だって「教科によって」とか「時間によって」変化する子どもの様子は看取れません。
勿論、学年の先生や専科の先生に授業の様子を聞けば良いのですが、毎日できますか?無理でしょう?
でも今までと同じレベルでの気づきを維持するならば、毎日学年研=ケース会議です。
・・・という大きな問題点をトリアエズ置いておきまして、宿題です。連携がとれていなければ、無謀な量の宿題が出る可能性は高いでしょう?それを避けるには教員同士の相談が必要不可欠。でも大事な児童理解の情報共有だって難しいのに・・・ということで、悲劇が起こるのを防ぐには宿題そのものを出さないのが良いのでは?
次善の策として、「国語のA先生は月曜日に宿題、算数のB先生は火曜日に・・・」みたいな形なら出せそうですね。
でもそうするとね、「あ~練習問題やる前にチャイム鳴っちゃったね~。じゃあコレ今日の宿題ね。いつもの漢字練習はやらなくて良いから」はできないよねぇ。毎回きちんと多様化に対応しつつ時間内に授業を終われるレベルの教師がどのくらいいるんでしょう?私には難しいですね。1コマの授業準備に1時間ずつ教材研究や児童理解の時間があればやれるかも知れませんけれど。
人が育ってから制度を導入しないと迷惑するのは子どもです。だって教室内の理解を無視して時間で授業を進めるのは簡単なのですから。