ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

教室で多様性に対応する

現役時代に「教科学習」より「社会性の伸長」の方に偏っていたので、共生社会に向けていくのは賛成です。多分向いている方向は同じだったと思うんです。が、多様な子ども一人残らずに対応した授業ってできるのかなぁと考えてしまいました。

支援教育について教師集団の知識は広がってはいますが、だからといって対応が適しているとは言えません。時間的に授業準備や児童理解にかける時間が少ないこともありますし、型にはまった指導が対象児童に合わないこともあります。

文科省の「指導要領解説」や教科書会社の「指導書」などに留意事項は載っていますが、それは代表的な困難の例でしょう。学級の個々のツマヅキはバラエティに富んでいるので、掲載されている方法が効果的であることもありますが、そうでないこともあります。

型にはまった指導支援、というモノも
 ①教科書&指導書という型にハマった授業
 ②「〜法」という型にハマった授業
 ③障害種を決めつけて支援方法を固定するやり方
 ④「私のやり方」という型から抜けられない授業
などなど、色々なケースがあると思います。多様性に対応するなら型にはまっている時点でoutな結果が出やすくなります。マレに「広い層に対応する型」で実践していらっしゃるすごい教師がいますが、多くの授業で個々に適した指導支援が難しいことになっていると感じます。

結局は日々の児童観察で特性を捉えて対応策を考えていくしかないと思うんですが、それにはやはり時間が足りないと思います。

また前任者から対策情報がきちんと引き継げていれば少し楽になると思いますが、ココで教師の差が問題になることもあります。A先生が当たり前にやっていた指導支援がB先生の当たり前とは限らないという点です。ココはナカナカ難しいです。当たり前にやっていることは「特別」だと思うことが難しく、気づけなかったりするのです。そうすると子どもや保護者から「前の先生のほうがよかった」と言われてしまうケースも出てきます。

まだまだ教室で教師ができる工夫はあるとは思います。思いますけど、それを考えるゆとりはあるのかなぁ?まぁ気づいたことから、できることから取り組んでいただきたいとは思います。

 

でも、国の言う「一人残らず」という点で難しさが増しているように思っています。確かに残される子がいるのはよろしくないのですが、現行のシステムでは、理解できなくても授業は進んでしまいます。こういう点でも国はシステムを変えることなく現場の努力を強いているわけです。

授業の導入で復習を丁寧にやることで、大まかに様子を把握して授業中の声かけなどにつなぐという方法でやってましたが、多かれ少なかれ理解に差は出ます。

テストが全てではありませんが、評価テストで20%位しか得点できなかったら「あまり理解できてないなぁ」となると思います。20世紀は「放課後勉強」みたいなものもありましたが消えましたね。1990年代あたりで児童誘拐事件などの影響で一斉下校が増えたように記憶しています。そのまま放課後に仕事が増えて消滅したのではなかったかと思います。

放課後は使えない、休み時間は遊ばせたい(休憩する権利もある?)となると、いつ個別指導をします?

結局良く理解しないまま進級していくことになって、悲劇は繰り返されるわけですね。

教室でできる対応はまだある状態だと思いますが、それだって限界があるように思うのは少数派なのでしょうかね?

システムが変わらないと難しいのでは?せめてカリキュラムの量を減らしてほしいと思っています。