ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

板書

今日のリモートお勉強会は板書についてでした。授業で黒板をどう使う?というヤツですね。

事例を提示してくださる先生たちは、皆さん教材研究をよくされている方ばかり。研究会に参加している時点で職業意識が高いと思います。職人意識かなぁ?

板書1つ取っても、色々な役割があるんだ、という事をあらためて意識できた時間でした。先輩先生が上手に整理してくださるので、注意障害傾向の私でも分かり易い学習時間になっています。

「流れの見える板書」かぁ。そこまで意識高くなかったなぁ、と昔と同じように反省する訳ですが、「誰のための板書なのか?」「何のための板書なのか?」という話に進んでいくと、現役の時にそこまで考えていたら、自分はどうしただろう?と思ってしまいます。

ぢゃあどうしてたかなぁ?と振り返ると、結構いい加減だったような・・・空間認知力はそれなりにあるのですが、見通しを持つのが苦手なのと、臨機応変さが無いのが致命的ですね。毎日の事なので、意識してやっていれば、それなりにできたのでしょうけれど・・・子どもが読める文字を意識する事でイッパイイッパイだったかな?

先輩のマネをして模造紙を使ったりもしましたねぇ。「OHPを提示しながらシートに書いちゃえば早く書けるかも?」と考えて眼鏡に色つけて眼を保護しながら一時期やっていましたが、シート購入が微妙に家計に響くのと、OHP投影機自体が学校から消えちゃったのと・・・。

学生の頃や初任者研修の指導案には、「板書計画」なんてモノがあったりしましたが、そこに引っ張られて授業がメタメタになったりヌタヌタになったり・・・まぁ授業下手でしたので(^^;)

 

1年生の板書について聞かれましたが・・・9月に文字イッパイの板書をどうみるか?支援視点としては、困る子がいるかどうか?なんですが、巧く整理された平仮名だらけの板書を見て、それが必要なモノであった場合、どこまで非文字表現できるだろう?と考えてしまいました。情報を絞って量を減らすのはアリだと思いますし、今考えれば、文で書かずに単語で書くとかも考えられます。その単語を絵や図にできるか?

一般的に考えれば、1年生の9月って微妙な時期だなぁと思うんですよ。1学期で平仮名の学習が全て終わっているんだっけ?・・・にしても、『忘却の夏休み』を超えて再登校する9月。定着具合はどうなんだろう?

そう云うところまで説明できれば良かったのかも知れませんが、思いついた事を全部話しちゃうと、話が下手だから内容がドンドン反れてしまうので・・・支援に関心のない先生なら、発達段階の話をするのでしょうけれど、困り感のアンテナ感度が良い先生である事は判っているので、まぁいいや。

指示じゃ無いしね。

「1年生の初手から板書で指示」ってよく見ますよ。私もやっちゃっていました。でもね、文字を習うのはこれからなんですよ?公式には。

黒板に「しずかにしましょう」と先生が書いて、読める子どもが読んで、みんなに伝わって何となく指示が通った形に見える。そんな手抜きが通用していた20世紀。

指示と授業板書では、やっぱり使い方が違うよねぇ。板書に限らず、1年生に限らず、文字未定着や語彙未定着の児童への指導や支援をどうするかって、もう少し考えないと困るんだろうなぁ。

それにしても、たまにこういう場面が無いと、色々鈍りますね。良い刺激になりました。