ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

○○教育法が・・・

有名人の親が行った教育方法が本になったり紹介されたりする度に、犠牲になる子がいるんだろうなぁと思って見てます。

「○○○にあこがれて」とか言いながら、野球選手やサッカー選手が語っていた方法を子ども自身が真似るのは良いと思うんですけれど、保護者が半ば強制しているのはどうなんだろう。

子どもそれぞれに特性が・・・強いところと弱いところが違うので、まず最初にその方法が子ども本人に適しているのでしょうか?って所があります。そこが後回しになるんだよなぁ。

本人に合ってなくても、自分で選択したんだったら頑張ってみるのは良い経験になりますし、モチベーションや環境によっては成功体験につながることもあります。

成功者が行ったやり方を参考にするのは良いとして、アセスメント無しにそのままやろうとしても巧く行かない事が多いんじゃないかしらん?

そういった本・・・発達障害の特性別教育方法系の本は多く購入して、来室する保護者や教員に眺めてもらったり貸し出したりしていました。自分もマニュアルが無いと不安になるタチなので、そういうトコロは共感できます。自分の場合、無いと不安なくせにマニュアル通りにできない所が難点なのですが。

たくさん購入するのは、選択できるようにするためです。理屈から経験談から紹介系から漫画系から、いろいろ置いてあれば、どれかに引っかかってくれるんじゃないかなぁ、と。また、いろいろ置いてあれば、やり方は1つじゃないんだ、と無意識にでも思えるだろうし。

お試し気分じゃない方が「○○子育て法」を買って、「巧く行かない・・・」と悩むのが悲劇の始まりのような気もします。

 

教育法って事は、家庭教育だけじゃなくて学校教育だって同じかな。

授業方法も結構「○○法」みたいなものがあって、私もいろいろやってました。一読総合とかキミ子式とか仮説実験授業とか・・・中途半端に読んで、形から入って自分勝手にその形も変えていっちゃうので、この期に及んでもオリジナルがどういうものか判っていない事が多いですが(^^;)。そういう授業方法の中にはその方法だけで支援につながるモノもありますが、やっぱり学級の実態で巧く行ったり行かなかったりします・・・学級の実態ではなくて教師の技量かなぁ。私も授業巧くなかったモノで・・・

 

子どもの実態抜きに教育方法、指導方法、支援方法が先になるのはやっぱり危険だと思いますねぇ。実験気分なら良いと思います・・・そうね、若い頃の自分に言ってあげたいですね。「授業研究は研究なんだから失敗してこそだ~」と。毎回異常に緊張してたなぁ。