ちょっと支援教育とかを

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

WISC-Ⅳの説明に悩む件

研修会などでWISCの説明を何度かしてきたのですが、どんな話をすれば伝わりやすいのかしらん?

検査内容を知らせることは御法度ですし、そもそも、自分が受けた講習時間と同じ時間なんて確保できないしね〜。

 

保護者や担任が目にする報告書は、合成得点と指標得点。この数字の示し方も考えないと。

 

検査をすれば全てが分かるわけではないので、そういう説明をするのですが、話が回りくどくなってしまい、やはり数字の高い低いに引っ張られてしまう方が多いようです。

 

そもそも指標を理解してない方が多いので、指標それぞれの内容が理解できるような体験をしてもらい、それから検査と支援の話をするのがよいようです。

どんな体験にするかを教材研究中です。

同窓会

社会人になって、初めて同窓会に参加して恩師にお会いしました。帰りの電車の中で、余韻に浸って良い心地です。幹事をはじめ、その場にいたメンバーに感謝です。

クラスメイトとはずーっと会って無くても、割と簡単に距離が縮まるのね。昔に戻っていく感じとはちょっと違うかなぁ。嬉しいとか懐かしいとか楽しいとか、色んな思いが出てきて、よくわかりませんが、あー同窓会ってこんな感じなんだって、しみじみしながら電車の中です。

 

35年前、恩師のT先生に進学の相談をした時、特殊教育を勧められたんですよね。大学の小学校課程受験についてアドバイスをいただきましたし。そうそう、あの頃は高校教師を目指していたのを思い出しました。何にしてもT先生、お元気そうでなによりでした。

 

友だちとのやりとりを思い出しながら、電車の中でふと思ったのは、距離感とか?居心地とか?空気とか?みんなが大なり小なりこういう感じ方をするのかしら?って事でした。小学生だとどうなんだろう?自分自身が偏っているので、判断に迷います。担任してた子たちは同じ様な感じ方をしてくれるかしら?

 

逆に在学中にこういうのを疑似体験出来ないかなぁ、とか。感じ方が分析できてないのに、無茶な課題ですが…

 

それより今は睡魔が問題です。乗り過ごしたらタクシー代が…

 

 

 

教える難しさがわかる先生はどのくらいいるのだろう

昔は単純に授業の進め方への不安でしたが、支援級を行ったり来たりして、かなり悩みが深くなった気がします…なりましたね。

 

前の世紀の授業は、個々が取り組む機会の保障だったのかなぁって思うのですが。今は結果を保障しなきゃいけないって誰かの講義で聴いたのですが、そう言われれば支援教育がスタートして変わった点が分かりやすいんだけど、それができる先生は何パーセントいるのかしらん?

 

多少の差はあっても、子どもたちに頑張ってもらって、先生の指導に慣れてもらっていた部分は大きかったと思うんです。子どもたちが先生に合わせるのね。

一斉指導なので、子どもたちには今も頑張ってもらう部分はありますけど、先生の指導を子どもたちに合わせる…子どもたちの実態に合わせて指導方法を変えるっていう所が大きくないといけないのね。その上で、クラスでできる個別支援があって、さらにどうしても困難があれば、支援級という流れになるわけですけど。

 

◯年生だから、こーゆー指導。

って世界から

子どもがこーだから、こーゆー指導。

に変わったはずですけど、子どもの実態を把握してないまま授業をする先生が未だいるのですね。

さんま連

金曜日は近隣の担当者が集まっての情報交換会。スタートから数年経過してますけど、発足時のメンバーをキープしたまま、人数が増えて、顔ぶれが変わり。

こういう会はよい刺激になりますけど、差を感じさせられるので、焦ったり凹んだりもします。

まだまだ勉強しなきゃいけない事が多いですね。

久しぶりに読み物教材の教材分析

ちょっと事情がありまして、物語文の教材研究をしました。ここ数年は国語の教材研究というと、平仮名の覚え方とか、モノの名前を覚えるとか、助詞の使い方とか、そういうのばかりでしたが、今回は読み物教材でした。同僚のお手伝いなので、分析だけであまり時間はかけませんでしたが、それでも2時間くらい熱中してしまいました。

個人的には物語教材というと、やっぱり「白いぼうし」かなぁ。最後のクラスで6月から9月まで授業やっていたんじゃなかったかしら?別に校内研究でもないのに、個人的な思い入れでかなりの時間を使ってしまいました。事前の分析をやって授業に臨んでも、子どもたちとのやり取りで授業中の発見が多かったんですよ。ぞくぞくしましたね。

思い入れの強さでは、「やまなし」も色々やりましたねぇ。宮沢賢治は学生の頃から好きでしたし、大学の授業でも取り上げられて、みんなで教示研究をしたり・・・そう言えば、「やまなし」の授業の本を買ったら法則化運動の本でして、法則化の授業を跳び箱以外で知ったのも、「やまなし」でしたねぇ。

研究したなぁって印象が残っている物語って、「ちいちゃんのかげおくり」「大造じいさんとがん」「ごんぎつね」「ひとつの花」「てぶくろをかいに」とか、やっぱり偏っているのかしら?詩の方に時間をかけることが多かったしねぇ。

 

授業研究をするみたいに読むのと、普通に読むのと違うんだってわかっていたけど、久しぶりにそんな読み方をしてみると、普段は情報をたくさん落としながら読んでいるんだなぁって。

読書ってリラックスして楽しむモノって思っちゃっているので、目をギラギラさせて、脳細胞フル回転では読まないんだよね、私は。

保護者参観で何を観ればいいのかしら

以前勤めていた学校で、毎日が参観日という方針がありました。参観日をなくして、保護者がいつでも来校して参観できますという通知が出ていました。私は良いなぁと思っていましたが、逆に通知が出てないと来校するきっかけがないという意見もあったらしく、現在は参観日もあります。

でも、参観はいつでもOKという姿勢は大事だと思います。そう声をかければ、見に来てくれる保護者が少し増えます。

 

見に来てもらえれば、クラスの様子が分かると思うんだけど、参観日だとみんな良い子になっちゃうので、いつもとは違いますね。6歳の子でも、参観日はいつもより頑張ります。大抵の場合、参観日に見せる姿は、その子なりの背伸びした姿なので、いつもより関わりや取り組みが良い事が多いって感じます。

 

参観日以外なら、見に来た保護者の子以外は緊張しないため、全体の雰囲気は通常に近くなります。場合によってですけど、雰囲気に飲まれて普段の姿が見えるかもしれませんね。

 

どうしても自分の子に目が行きがちだと思うのですけど、クラスの雰囲気を感じるのは大事だと思います。集団としての質はどうなのかしら?と。子ども同士のかかわり方を見ていると分かってくるんじゃないかしら?と。

 

学級便りなどで、担任がクラスの様子や目指す姿なんかを知らせることが多いと思いますけど、それと参観したときの実感を比べてみると色々見えるかも。

 

 

「教科書が理解できない?ふーん」じゃなくてさぁ、もうちょっと何か考えようよ

YOUTUBE池上彰のニュース解説を観ていたら、10~20年後にロボットによって失業する職種についてやっていました。FM和歌山ではロボットアナウンサーを導入したとか。

今日のYAHOOニュースのトピックスに「中3の25% 教科書理解できず」というタイトルがあります。「教科書を理解できない」という言葉をどう受け止めようか?ということは考えなきゃいけないけど・・・25%って、教室の中での困っている子はこのくらいの割合だろうと思っていたので、妙に納得してしまいました。

 

そんで、そこの文章だけ読むとありがちな統計結果なのですが、記事に登場する「国立情報学研究所・新井紀子教授」で検索すると、ロボットとの関わりが出てくるんです。

新井教授は数学者で『ロボットは東大に入れるか』の著作者。

検索した中に、湯浅誠さんが書いた記事

「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは読めているのか」

というYAHOOニュースの去年の記事が出てきます。

この記事によると、キーワード検索のような読み方をしている子が多いと。5割の教科書読み取り困難と2割の基礎的読解の困難が見られると。つまり読めてない子が多いんだと。読めるようにするのは公教育の責務であると。

 

読解力を付けるための方策は考えていかなきゃいけないのですけれどね。逆に考えるとさぁ、AIに読み取らせるように伝えたら伝わりやすいって事だよね、って思っちゃいました。この記事を読むと、伝え方についての方略がわかります。

問題提起の文の中では、伝える相手に対して自分と同じ力を持っているという前提で勧めていくことの危険性を読み取ることができます。

義務教育でちゃんと教えろよ!っていうメッセージになっていると感じましたが。

 

それにしても、ロボットが人に近づいている時代っていう認識はありましたが、人の方もロボットに近づいているとは思わなかったわぁ。