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凹凹MEMO

前向きでないかもしれませんが、後ろ向きになりすぎない程度の綴方・・・要するにぼやきです

Deaflympics

パラリンピックというのはテレビがあった頃には視ていましたが、こちらは始めて知りました。

デフリンピック啓発ウェブサイト:デフリンピックの概要

一昨日の研修で触れられていたので、ちょっと覗いてみました。平成32年に東京で観戦できるかと思いきや・・・

 

ちょっと手話に興味が出てきて、ネット動画で眺めています。

Process-Based Instruction

今日はお風呂で、数年前にDN-CAS講習を受講した時に購入した本を読んでいました。お風呂で勉強すると、血流が増加するせいなのか、何となく頭に入ってくるような気がします。前に2度くらい読んでいるはずなのですが、PBIの内容をとても新鮮な気持ちで読みました。やはりWMIに問題アリです・・・

 

PBI・・・次年度に向けて、取り組むべき課題の候補がまた一つ。

平成30年版(多分)学習指導要領パブリックコメント

次期学習指導要領の原案みたいなモノが先日公開されましたね。丁度ウチで行われた公開校内研究会が近く、話題に登りました。すぐに学校長が必要な部分を配布&解説してくださいました。

一番驚いたのはパブリックコメントです。そういうモノは教育委員会がまとめたりするモノだと思っていたのですが、個人で文句が・・・いえ、意見が言えるとのことです。しかも学生もアリ!小学生でも出せそうな書き方なのですが・・・3月15日締め切りです。

皆さんも是非こちらから→https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0

 

自分も言いたいことはいっぱいあります。現場でやっている人は言いたいことがたくさんあるはず。今の学指が出る時にも感じましたが、机上の考えで学習の内容や量を決めていますよねっ。

「無駄なく、事故なく、個人差なし」ならば、あれでもやれますが、実際は授業以外の時間が毎日あるわけです。子ども同士のトラブルが起きれば、授業は止まります。でもトラブルの全くない学校生活は意味がないと思っているので、これは必要な時間ですわ。でも、そんな時間はカウントしてくれないのね。

しかも、またまた内容が増えて、余裕がなくなっているわけです。どうなっていくのかしらん。

ゲーム脳

90年代にカウンセリングマインドの研究会で教えてもらった事があります。ゲームをすることで脳に変化が現れる話でした。それ系の本には、否定的な内容もあって、今はあまり見かけなくなった言葉ですね。

朝のラジオで、脳の専門家の方が、「ゲームは脳を鍛えることができる」とおっしゃっていました。ゲームで高まる攻撃性は、意欲と深く関わる。攻撃性を調整することが大事で、ゲーム自体には脳を活性化させる働きがある。といった内容に聞こえました。

ゲーム画面を見ることや操作を行うことで、脳にどのような影響が出るかは知りませんが、その面には弱い私が予想しても、シューティング系なら反射神経がよくなるかしら?とか、パズル系なら構成力がつくのかしら?とか思うわけです。以前から思っているのですが、リセットボタンとセーブ機能を削れば、忍耐とか根性とかを育てることもできるのではないかしら?

 

ゲームに関する相談は結構あります。ほとんどが「子どもがゲームに熱中して困る」という内容です。色々話を聞いていると、困ってない親のケースは「子どものコントロールができている」「放置」「親も一緒に長時間プレイ」の3つに分けられるようです。

放置は論外ですが、一緒に長時間プレイは考えてしまいます。大体は、ゲーム以外の時間について聞き取って、時間を短くするようお願いする方向ですが、「親子関係を深めるため」とか言われるとね・・・限定的な関係の深め方だと思うのですけれど・・・。

ゲームは他のことより巧くコントロールするのが難しいんじゃないかしら?大人でも依存症にかかると聞きますしね。独りゲームの環境を考えると、自己中心的に進めることができて、他と関わりがないから、そういう面が育つと。ゲーム脳という概念が正しくなくても、ゲームの困り感への影響は否定できない状況でしょう。

 

ゲームは脳を鍛えることはできるけれど、コントロールが難しい。でも、ゲームで鍛えられた部分が、どの程度生活の役に立つかが分からない。あまり役立っていないような気もしますが・・・。攻撃性が意欲につながるなら、役立つ事になるけれど、ゲームで育った攻撃性を周囲に向けられると困るしねぇ。そのコントロールの仕方を脳の専門家は教えてくれているのかしら。

教室面積

狭い教室が欲しい。

支援級をやっていた頃から、そういう思いはありました。最大10人と考えても、普通教室は広く感じました。スペースとして使えるのは有難いのですが、ちょっと落ち着かない空間でした。もう二回り小さくても十分って。

「教室の広さは法によって規定されている」と聞いたので、少しだけ調べてみたのですが、それらしいモノが見つかりませんでした。明治時代の基準で4間×5間と書いてあるモノはありますが、法令の情報がヒットしません。校舎と校庭の広さについては書いてあるんですけれど・・・

小学校設置基準(平成十四年三月二十九日文部科学省令第十四号):文部科学省

 

 

支援級をやっていた時には、保護者の協力で教室環境整備をしました。構造化というやつですね。エリアは4つだったかな?一つのクラスで考えたので、丁度良く区分けができて、それほど落ち着かない環境というわけではではなかったです。が、複数のクラスでやったら、もう少し整理できたかなぁと思います。そうするとスペースが空くんですよね。

で、空いたスペースにはコンパートメントルームが欲しいのです。

通常級でも段ボール箱の中や掃除箱の中に入ってクールダウンする子が何人もいました。落ち着くそうです。気持ちは分かります。通常級でも必要なのですから、支援級、特に自閉症情緒学級では、遮音性のあるコンパートメントルームは必須な設備だと思うんです。

 

そうやって、支援級で機能的な教室を推進してもらわないと、多分ウチの教室の設備改善までたどり着かないのです。

教室に適応しにくい子に対して、安心できて集中できる環境を整えて欲しいな。音も人も振動も気に掛けてもらってはいますが、決して良い環境とは言えず、その面であきらめてしまっている部分もあります。結局は「お金がない」と言われます。やれることをできる範囲で進めているつもりですが、ストレス貯まります。

神奈川県はインクルーシブ推進など良いこと言っているのですけれど、どこまでの配慮や支援を考えているのかしら。

目を合わせる難しさ

 私も目を見て話すのが苦手です。仕事柄、見ないわけにも行かないのですが、10°くらいの角度で下を見たり上を見たりする癖があります。集団を見渡すのは平気なのですけれど・・・。

 なぜ苦手なのか、よく分からないところがあります。以前は「怖いから」だと思っていたのですけれど、それだけでは無いようにも感じます。意識していれば見つめることもできますが、楽にしていると視線をそらすことが多いように思います。

 話をするときの事を考えると、聞かせたい相手に向けて声を送るのですから、相手の方を向きます。その時に目が合っていないと話し手は「聴いていないんじゃ無いか」と感じて不安になります。耳の構造上、音声の発生源に顔を向けるのが理にかなっているわけで、聞き手としても自然に相手を見ることになります。目を合わせることは、それだけでコミュニケーションの1つになっている、ということですねぇ。

「子どもの目を見て話しなさい」というのは、今でもよく聴くフレーズです。なので、叱責するときに「先生の目を見なさい」とか「お母さんの目を見なさい」という決まり文句が出てくるわけです。

 ふりかえると、昔は「目を見なさい」と言っておきながら、自分が我慢しながら話すことが多くて、とても疲れました。目を合わせて話さなきゃいけないと思っていましたからね。経験を重ねて、目を見ていなくても効果が出そうなやり方ができるようになりましたけれど。

 「目を見なさい」と言われる側に立って考えてみると、目を見るだけでかなりの気力を使うので、他の事が鈍くなるように思います。せめて考えるときには、目を合わせることを強制しないで欲しいわ。

 かといって、目を使ったコミュニケーションが弱まるのもまずいと思います。子どもの遊びが、人と相対する遊びから画面と相対するものが多くなりましたよね。そりゃあコミュニケーションが弱くなるってモンです。

 授乳中にスマホをいじって赤ちゃんを見ない母の話を複数の方から聞いたのですが、流行っているのでしょうかね?ありそうな話ではありますが・・・。こうやって次々に目と目のコミュニケーションを育てる機会が奪われていくわけですね。

マイノリティーに優しくない社会の個人的体験

支援教育

 2011年7月にアナログ地上波テレビ放送が終了しました。終了する1年位前からアナログ終了の文字が画面に入っていました。邪魔だなぁと思っていました。

 震災が起きた頃には、災害情報で画面が小さくなっている上、「早く地デジにしなよっ!」という押しつけっぽい宣伝にもスペースを盗られ、視聴画面が二回り以上は小さかったです。

 地デジ化の宣伝は、アナログテレビ視聴者への嫌がらせにしか感じませんでしたね。ちゃんと料金を払っているのに、あの仕打ちは無いでしょう。終了する最後まで快適に視聴できるようにして欲しかったなぁ。すごく思いますよ、今でも。

 そういった不満から、地デジ化はせずに脱テレビを選択したわけです。別に困ることは無いですよ。タレントの顔は分かりませんが、生活に影響は無いです。

 ラジオ族はマイノリティーだそうです。テレビ視聴をしない人は周りにあまりいませんし、やはり全体から見ると少数派でしょう。

 

 以前、携帯電話の機種変更をしました。欲しい機能で機種を選んだところ、ワンセグが付いていました。テレビは視ないのでワンセグはいらないのですが、この機種が欲しいなぁ、と思ったわけです。

 NHKのサイトを見ると、このケースでも受信料を払わなきゃいけないって書いてあります。なので欲しい機能をあきらめて、別の機種を買いました。だって、視ないのに受信料を払うのは納得がいかないモノ。

  じゃあ、今の機種に納得しているのかといえば、不満はあるわけで・・・そもそも何で電話にテレビを付けるの?しかも、あんなちっこい画面でさ。高齢化社会って言っている割には高齢者向けに商品開発されていないわね。

 

 今度、車を買替えようと思っています。最近の車は便利ですね。カメラが付いていて、画面を見ながら車庫入れが安全にできるような機能があります。安全に金を掛けることは納得ですね。便利だし。

 でも、ここでもまたワンセグが付いてくるんです。便利な車を買うと、受信料の分、ランニングコストがかかるわけです。おかしくないですか?

 そもそも車でテレビが視られるのはおかしくないですか?よそ見運転を助長させていますよね?これが許されるなら、スマホ運転もアリじゃん。

 

 携帯電話も車も、ラジオ族向けのラインナップにはなっていないと思うわけです。ナントカっていう大臣が携帯からの受信料搾取を後押ししているようですが、テレビ族の方には影響ないことでも、ラジオ族にとっては、負担のかかることなんです。

 こうやって自分が少数派になって不利益を被ると社会の矛盾を感じます。経験しないと分からないというところで、自分の想像力の無さを表してしまっていますが・・・

う~ん、メリークリスマス