支援教育とかそういうのをちょっと

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

「教科書が理解できない?ふーん」じゃなくてさぁ、もうちょっと何か考えようよ

YOUTUBE池上彰のニュース解説を観ていたら、10~20年後にロボットによって失業する職種についてやっていました。FM和歌山ではロボットアナウンサーを導入したとか。

今日のYAHOOニュースのトピックスに「中3の25% 教科書理解できず」というタイトルがあります。「教科書を理解できない」という言葉をどう受け止めようか?ということは考えなきゃいけないけど・・・25%って、教室の中での困っている子はこのくらいの割合だろうと思っていたので、妙に納得してしまいました。

 

そんで、そこの文章だけ読むとありがちな統計結果なのですが、記事に登場する「国立情報学研究所・新井紀子教授」で検索すると、ロボットとの関わりが出てくるんです。

新井教授は数学者で『ロボットは東大に入れるか』の著作者。

検索した中に、湯浅誠さんが書いた記事

「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは読めているのか」

というYAHOOニュースの去年の記事が出てきます。

この記事によると、キーワード検索のような読み方をしている子が多いと。5割の教科書読み取り困難と2割の基礎的読解の困難が見られると。つまり読めてない子が多いんだと。読めるようにするのは公教育の責務であると。

 

読解力を付けるための方策は考えていかなきゃいけないのですけれどね。逆に考えるとさぁ、AIに読み取らせるように伝えたら伝わりやすいって事だよね、って思っちゃいました。この記事を読むと、伝え方についての方略がわかります。

問題提起の文の中では、伝える相手に対して自分と同じ力を持っているという前提で勧めていくことの危険性を読み取ることができます。

義務教育でちゃんと教えろよ!っていうメッセージになっていると感じましたが。

 

それにしても、ロボットが人に近づいている時代っていう認識はありましたが、人の方もロボットに近づいているとは思わなかったわぁ。

わからないことへの理解

教師集団の特徴の一つは、ほとんど大卒(短大含む)っていうところです。教員採用試験以前にも受験やらテストやらで、ある程度「勉強が解った」とか「テストは何とかなる」という経験を持った方が多いでしょうね。

 

子どもの困り感を教師に伝える時、なんか微妙な表情をされる方がいるなぁという時は、その後やっぱり納得してなかったんだな (◞‸◟) という事件?が発生することがあります。

 

わからないということを教師がわかってない。

 

この理解がないと支援が成立しないように思います。

 

そんなことはない、という先生の中に、個々の認知過程の違いを理解し、且つ適切に対応を考えている方がどのくらいいるのでしょうね?

モチロン、理論でなくて経験をベースにしたモノでもよいのですが。

 

子どもの話を聞くと、「そんなこともできないのか!」と言われる話が度々でてきます。

すでに習得されていて使い慣れたモノは「そんなこと」なのです。オトナ達は、習得する前のコトや習得する過程を忘れています。

 

でも、教えるコトを職業にしてるなら、色々考えてほしいですね。

 

厳しくして下さいって言いますが…

今でもよく聞くセリフですね。「厳しく」の内容が叱ることなのであれば、これ程まなびから遠いものはないんじゃないかしら?

 

先生が甘い!みたいな事を言ってくる人もいますが、クラスの9割がその甘い指導でしっかり動けているなら、動けてない子どもの積み重ねの問題もあるでしょう。定型発達でも非定型発達でも、そもそも叱られてばかりの子どもは、自信を持つことが難しい。それはよく聞くし、実際に見ていてうなずけてしまいます。

叱られながら育てば、叱る人がいないと課題が進まない、なんていう子どもになっていく可能性が高くなります。影でこそこそ、叱られなければ何をしても良い、強者に従い弱者を虐げる、っていう方に進まなきゃ良いのですが…

 

縛りがキツければ、考える必要がないもの。管理されなきゃ動けないとかね。そりゃ周りの事なんか考えませんでしょう?だから集団行動が難しくなるのでしょう。

 

失敗して叱られてばかりっていうのも自信なくすわー。大人だって同じでしょう。

大人がちゃんと教えてあげないから、ずっと同じ失敗繰り返すんじゃないかな?って考えてほしいな。

やっぱり失敗を上手にさせてあげたいな。叱ることを全て否定はしませんが、バランスよく教える事は、家庭だって同じはずです。

気に入らないから怒鳴り散らすのは、躾とは言えません。厳しくするなら自分にも厳しくあるべきです。子どもより大人が偉いと言えるのは、知恵や経験があるからでしょう?上手く教え育んでほしいと思ってます。厳しいでしょうか?

 

 

運動会の練習シーズン

運動会の練習期間はだいたい1か月。体育の授業プラスαで、まぁ毎日ではないにしても、20時間前後?弱?学年によっても変わります。

 

当日は見る事ができないので、練習は見に行く様にしています。教室では捉えにくい部分が出てきやすいのでは?特性が顕著に現れるのでは?と思っているからです。

 

学年種目が定められている学校でも、年度ごとに学年で決める学校でも、基本は、教師側から子どもに何をやるかを言い渡されるパターンが多い様です。この時点で子どものモチベーションがどのくらいあるかが気になります。今日参観した学校の先生は、そういうことを気にしていました。すごく良いと思いました。

色々な学校、学年を見ていると、やはりそこには指導に差が見られます。それは意識の差でもあるのでしょう。

 

子どもの側からは、どう見えているのでしょうね?

毎年やる事が決まっていると、前年度に見ているので、見通しが持ちやすいのですが、全く同じというわけではないので…

 

練習では、色々な指示が出てます。

静かにしなさい

動きを見なさい

みんなで揃えなさい

…………

視覚と聴覚で情報を収集して、分析して、自分の体の動きを認知しつつ、修正して、尚且つワーキングメモリを総動員。集中力やら持続力なんかも動員しないとね〜、とまぁ、みんな頑張ってますね。そうやって、その時間にやった事を次の時間まで覚えていなきゃいけない!しかも、当日が迫ってくると、指導が荒くなったりすることもあるかもしれない。そんな先生に当たった時には嵐を乗り越える様な感じになってしまいます。

っていうことを指導する方みんなが考えていてほしいと思ったのでした。

ぢゃあ自分が担任だった時は?と言われると、んーってなっちゃいますが、モチベーションを上げるくらいの事はしてたかなぁ〜(^_^;)どうだろー?

 

初音ミク10年ですか

 

専門的な音楽の授業はキライですが、元々楽器は好きなんです。だけど巧く弾けない。だからか昔からシーケンサーとかに関心高かったなぁ。

音楽って言うと楽器がネックになるんだよね。ある程度器用さがないと運指ができないとか、リズム感がないとずれちゃうとかさ。指導する先生が音楽だけを教える専科が多いこともあって、専門家ならではの細かい指導か丁寧な指導をされる方が多いようです。高い専門性が「音が苦」にするんだな、と子どもの頃から思っていたので、手先の器用さがなくても音楽を創作できる「コンピューターミュージック」には飛びつきましたね。

sonarというソフトを買って、使いこなせずにsingersongwriterというソフトに買替えて、何となく使い方が分かってきたかな?という時期にVOCALOIDを知りました。日本語ボカロはミクの前から出ていて、買うタイミングを考えていた時に初音ミクが出てきて・・・その時は結局買わなかったんですねぇ。

この時はVOCALOID2になって、かなり進化したというので、もうちょっと待った方が良いかなぁ?と思ったモノで。

初めてのボカロは「歌愛ユキでした。色々迷ったのですけれど、教材として使うなら、小学生の声の方が良いかしら?と思ったモノで。

支援級で作った歌を可愛ユキに歌わせて、授業で使いました。

その後、「東北ずん子」を購入した頃からオーディオインターフェイスも使い始めて、さらにCeVIOの「ONE」を使うようになり、現在に至ります。

 

・・・というわけで、初音ミクは買っていないのです。ず~~~~~~~~~っと購入候補のままで10年。買ってはいないけれど、やっぱり10年はすごいなぁと思うわけです。

せっかく購入した3つの声をもうちょっと使えるようになったら、次は初音ミクかな。今VOCALOID4ですね。5が出る頃には買えるかな?f:id:azumayamatotoro:20170903084202p:plain

 

伝え合いで大事なのは聞く?話す?

ということを考えています。

 

どっちも大事!で結論、でも良いのですがね。転勤したての数年前から聞くが大事と発言してますが、やっぱり今でも私は聞く力に偏るかしら。実際、昔のクラス指導では聞き方には拘っていたようですし ^_^;

 

喋り方の指導もしてきたのですが、常に聞き手への指導を入れていた記憶が…

「ちゃんと聞く姿勢にならないと喋れないじゃん」

は多用していたと思います。

気付く力を養いたいと思っていたので、見るとか聞くとかの方に片寄っていたのかもしれません。

 

話し合いではなく、聞き合いがいいなぁ。どんな言葉で相手の思いを巧く引き出せるのかな?とかを考えてもらうとか。

定型発達コースの子どもたちには、聞く力をつけてもらい、周りの子たちの意思が解るようになって欲しいのね。最近良く聞く言葉を使えば、忖度できるようになって欲しいと。

「要するに」なんなの?

できるだけ短い文で要点を伝えることが、指示を出す時のポイントです。余計な話をしないのが良いのですが、難しいですね。

 

長々と説明した後に「つまり」「要するに」などの言葉を使って説明が要約された文章が続くなんてシーンに思い当たりがあるのは私だけではないと思うのですけど…

その長々とした説明に意味があるのかどうか。意味があるならまだしも、意味が無いなら「要するに」の後だけで良いのですがね。これが難しい(-。-;

 

テレビやラジオで喋っている人は、「要するに」って良く使ってます。でも、その言葉の後に長々と話が続く人が多いのが気になります。ちっとも要約できてないじゃん!

 

「だから」「そして」「次に」「具体的には」なんていう言葉と間違えている人が多いんじゃないかしら?

要約する事自体が苦手な人もいるかもしれないですね。

政治家やコメンテーターなんて、伝えることが大事な人たちだと思うのですけど、あまり言葉を大事にして無いのかな?

 

こういう方たちの喋り方を参考にして、普段の指示の出し方を考えることにしましょう。