ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

20年8月15日

「昭和」でなく「二千」ですが、同じ言い方ができるっていうのはコジツケでしょうか?

 

正午に玉音放送と言われたラジオ放送があって、そのシーンは何度もTVや書物で見てきましたけど、この放送が行われるまでのクーデター未遂事件については最近知りました。午前0時から正午までの12時間に色々な動きがあったのですね。軍人の中には戦争継続を望む人がいて、放送後もバタバタしていたという記事が見られます。

軍人も政治家も国体護持が旗印だったのでしょうけど、今でも同じなんですかね?国家あっての市民?市民あっての国家?何が起きた時に何を守るために動くのだろう?

今は自衛隊で災害対応で大変お世話になったし、並行しての国防は大変でしょうと頭の下がる思いです。そもそも幼少より身近な存在だったので、どちらかというと好感持っている感じです。それでも、帝国軍人とは違うと思いつつも時々出てくる過激な話を聞くと不安にはなります。

香港🇭🇰なんかを見ても、市民の権利って大事だと実感するわけですが、何より軍や警察って市民じゃなくて国を守るために存在しているんだなぁと今更ながらヤンウェンリーの言葉を思い出してしまった75回目でありました。