ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

風疹抗体検査

先月後半、市から送付されたクーポン同封のお知らせが発掘されたので、早速近所の診療所に電話をして、今月1日に受検してきました。心身のアチコチにガタが来ているのは実感しているので、無料でできるモノは受けておいた方が良いかなぁと思いました。

風疹より麻疹の方が恐い印象で、しかも人との接触が極端に減った現在は他者への感染も低いのでそれほど深刻になってはいませんが、まぁ流行していると言うし、これ以上病気でお金を使うのは嫌だし・・・

先週末、結果を受け取りにいきましたが、説明によると一生心配しなくても良い、とのことでした。

気になったのは数値で、基準値に20と書いてあり20未満はワクチン接種らしいのですが私は300超え。なんか、大学病院に通い出した30代後半に血液検査や血圧でトンデモナイ数字出していたのを思い出します。あの時にはお医者さんに「生きているのが不思議です」と言われてしまいましたから。以来、基準値から遠い数字にはストレスを感じます・・・って日頃の不養生を棚上げしていますが・・・

 

気になったのでネット検索。報告書にはCLEIAと書かれているので、コレを調べると化学発光酵素免疫法という検査方法が出てきました。他にも風疹抗体検査には色々あるのですね。

単位が「iu/ml」となっています。1mL中に何iuあります、という単位でしょうが、初見です・・・いや、見たことはあるカモですが・・・

iuはインターナショナルユニットの略で、ある条件下で毎分1μmolの基質を変化させることができる酵素量、といくつかの記事にありました。マイクロモル?モルって何だったっけか?

マイクロは100万分の1? モルはAIによると

「物質1molあたりの質量は「モル質量」と呼ばれ、原子量や分子量、式量にグラムの単位をつけた値です。また、物質の量をモル(mol)の単位で表した量を「物質量」といいます。物質量と粒子の数は比例の関係があり、1molの物質には(6.02)×(10の23乗)個の粒子が含まれています。1molは何グラムかは、物質によって異なります。たとえば、

水素の1molは2.0gです。アルミニウムの1molは27.0gです。炭素の1molは12gです。」

思い出せそうで思い出せない理系教科。

でもまぁ粒子の数がハッキリしているなら、そちらで考えてみましょうか。どうせイメージを持つためナノで、6.02はだいたい6ってことで

600000000000000000000000個ね。

マイクロが付いているから百万分減らして

600000000000000000個ですね。1mL中にこの位の数の気質を変化させる酵素が入っています?でいいのかな?

全くイメージ化ができません (^_^;)

 

300超えの数値的には「最近風疹にかかった可能性が高い」といくつかのサイトに書いてあったので、まぁそんな可能性を念頭に置きながら・・・心当たりは全くありませんけれど。

「疹」って常用漢字ではなかったのかぁって云うことも初めて知りました。市からのお知らせが「風しん」なのはそういう理由かな?

IDEと云えばイデオン?じゃなくてSATAが変わって困っています

そんなマイナーなアニメを出しても誰も知らないとは思いますけれど

 

ちょうど10年くらい前購入のディスクトップPC。たしかwindows7を10にアップした所から動作がおかしくなってしまい、あまり使わなくなりました。音楽制作ソフトがたくさん入ってイッパイ遊んでいましたが、不具合発生が多くなって使わなくなったのでした。ネットも有線からポケWi-Fiに切替えたので、ノートPC中心の使用になりました。

そうこうしている内にこのディスクトップPCは起動が不穏になったため、WindowsOSの入れ直しをしました。つまりallClearな状態にして0からと思ったのですが、ネットにつながらなかったので、認証ができず・・・まぁでも起動の度に一手間かければ使えるのですが、ちょっと面倒。認証のいらない古いソフトはトリアエズ動きます。

 

スペックは低いもののWindows10と11、MXLinuxのノートPC3台を用途と場所で使い分けているので現状で困ることはありません。が、ジャストシステム一太郎というソフトが使いたくて、思ったのです。

「HDD交換した上で学校に寄付したPC、あれに元々入ってたHDDには一太郎が入っていたはずだぁ!!!

じゃあ、上記ディスクトップPCに一太郎入りのHDDをつなげれば解決するじゃん!!多分OSはXPだったかな?」

とりあえずフタ開けて、十数年ぶりの分解!

強引に引っぺがした所もあって一部カバーのツメが折れてしまいましたが、影響無しです。SSDだったんですねぇ120G。HDDが1Tになっていて、OSやアプリをSDDに入れて、HDDでデータ保存をする・・・当時は高価なモンだったのですよSSDは。

i7-4790、DD3-1600で16Gはまだ使えるんじゃないか?難しいかな?今、CPU比較サイトを見たら、AppleのM1の半分くらいの性能らしいです。当時は上位だったのになぁ。

最新ゲームなんかしないし、そんなにクッキリハッキリした画が見たい訳でもないし、コンマ何秒の速さの違いも気にしないので、自分の使い方に必要十分なスペックPCを死ぬまで使えれば良いのに。

 

何にしても部品をバラして、HDDを付けてみないことには・・・?付かない?なんか端子の種類が違うぞ?

でタイトルになる訳です。以前のPCを自作した時にはIDEのHDDだったのですが、分解したPCはSATA規格?が変わったHDDとSSDになっておりました。このPCは通販でお買い得品を買っちゃったんだよね。時代が変わったことに気づかないまま10年以上使っていましたねぇ。

さぁどうーしよっかな(^^;)

それにしても退職してから機械の分解が多いなー。

同窓会

高校の同窓会がありました。ここ数日の緊張はあったモノの、待ち合わせ場所のYデッキへ行ってみると自然に会話ができました。不思議な感じです。42年も経っているのに、日常からは遠い存在なのに、なんか近く感じる(^o^) 「人との距離感」が課題の私ですが、居心地がとても良かったです。

それでも二人称が不安定でした。呼び慣れているあだ名が思い出せる人はそれでOKナノですが、少々探りながら「さん」「くん」「ちゃん」あるいは呼び捨て・・・考えながらではないのですが、結果的に色々な呼び方になってしまいました。

 

同業者は1人もいないので、色々な職種の話を聴くのは楽しいです。公立学校の中でしか動いていなかったので、外の話は新鮮です。世の中的に変化していることが学校の感覚と少し違うかなぁと感じられることもありました。なんか、悩んでいる教員にこういうの伝えたら少しは楽になる人もいるかなぁとか。

 

さて、となりのCが「教師やっていて良かったの?」的な投げかけ。高校生の時にもスゴい話をさりげなく発していた印象です。

帰りの電車中にツラツラ考え・・・「自分なんかが教師をやっていて良いのかなぁ」は初任から思っていたことで、年を重ねていくことで理由が増えて重くなっていったような気がするなぁ。でもそういった中でも達成感を感じられるような仕事ができて続けてこられたのかしらん?まぁでも善し悪しを評価するのは子どもですから。

自分自身とこの仕事に限定して考えれば、充実していた時期もあるし、精一杯やれてた学級もあるし、実に多様なマナビがありました。その中で自己理解と自己支援が進んだのは教師という仕事、支援教育というポジションとそこでの出会いが大きかったと思います。

その場で巧く話せなかったけれど、そうだね、こうやって総括しないとね。

まぁでもとりあえずは体重を落とそう。

軽くみられている?

選挙が近いので宣伝カーとか政党のCMとか賑やかになっています。免許申請の日に駅前で同業者だった候補者と握手しました。この人も流されてしまったのかなぁ。

毎回選挙では候補者のHPなんかを見て情報収集していますけれど、今回のウチの選挙区では候補者が4人。しかも支持したい政党は1つもない。「政党的には比例票があるから」とも思いますが、そもそも小選挙区で国会議員を選ぶからこんな事になっている訳です。

国会議員なのだから全国区で良いのでは?「地域の事情を反映できない」とか言われていますけれど、小さな声を反映できていないのは昔からではないですかね?

候補者が選挙区にしか目を向けていないビラばかり配っています。「ウチの地域の開発を進める」とか、「ウチの地域に住みやすくする」とか・・・選挙区の利益誘導が国会議員の仕事なのですかね?

「国内のどこでも同じ教育を受けることができるようにならねばならない」と以前与党が言っていました。私の意見とは違いますが、国政の視点からすればこういう発言もアリだよなぁと理解しました。けれど、選挙ビラにはそういう視点が感じられません。市議会議員や県議会議員なら、地域に近い政治なので視点としては理解できますけれど、国会議員ですよねぇ?よく読めば地域の目を通して国政の課題を語っている様にも思いますけれど、ちょっと見で

「選挙区の皆さんの得になるように利益誘導しますから1票ください。」

という臭いのビラばかりです。なんか馬鹿にされとるんかなぁ・・・

 

与党のCMで「ルールを守ります」って党首が宣っております。つまり今まではルールを守る政党ではなかったのね。まぁ公約が守れないのは昔からだし、格好つけてマニフェストって言ってはみたモノの、やっぱり守れないし・・・っていうより公約の反省をしている議員を知らないです。

PDSCサイクルは常識ですよね?

任期が決まっているのだから、任期期間に何をやるのかを具体的に示して欲しいですね。現役議員や元議員の人は、「何ができたのか」はチラシに書いてありますが、公約の達成度を書いて欲しいですね。みんなHPを持っているのだから、国民を馬鹿にせずキチンと説明して欲しいです。

一般国民とは違うんでしょうね。普通は未記載が1円でもあれば大変なことになるのに、数百万でも大してダメージがない特権階級。これをきっかけにして確定申告では「1万円以下の記載ミスはお目こぼし」してほしいです。

県立公文書館

今日は免許申請のため横浜です。7時前に出発して8時20分にセンター到着。手続きには1時間強の空き時間がありました。あまり訪問することのない土地なので、史跡があったら散策しようとmapを見ていたら、公文書館が近所にあることが分かりました。

10時半前には新しい免許を受け取り、早速公文書館へ。在職中からHPの利用は度々しておりましたが、訪問は初めてです。在職中に・・・1993年開館ならもっと活用できたなぁと反省。当時は県立図書館や市立図書館を利用していて、他地区から取り寄せなんかもやってもらったりしていたので、まあまあ情報収集に不満はなかったのですが、行政系の書類が縦横しているのを見ると、なんか違った視点も出たんじゃないかなぁとか思ってしまいます。

コレも教材だな

 

こういうトコロに来ると最近は「早戸川渓谷」の写真を探します。今日もそこは空振りですけれど、結構な時間色々な資料で楽しめました。

 

横浜で歩いて地元で歩いて、今日は約9km。歩くのを一月以上休んでしまっているのでちょっとキツい・・・

 

実技試験

3年ぶりに大きな緊張を伴う試験でした。「緊張しい」なので、緊張すること自体は度々あるのですが、今日のは試験です。

「なるようになる…なるようにしかならない」「緊張しても意味ない」「くよくよ考えても結果に大して違いはない」などなど学び始めてからココロの安定を図ってきましたが、やはりピークはこの3日間でした。

大きな課題が7つありまして、その内の1つがむつかしい…(>_<)

似たようなことは昔できていたんです。子どもに見本を見せてましたから。でも簡単にはできなくなっていました…遠ざかっていたからか?老化?

基礎的な運動を家でやり始めました。でももちろん即効性は無いです。昔から泥縄が得意なんです。

指導内容をよく聞いて、YouTube動画でイメトレをしてみました。視聴している間は一応ココロの安定が図れます。でも一番苦手な課題は成功率2割程度でした。

 

そこそこ寝不足な状態で今日の試験を迎えました。試験前に緊張のあまり体ほぐしをして浮いた感じになってしまいましたが、多少状態を良くして…苦手課題はスレスレでクリア。他の課題も危ない状態でしたが、トータルで合格\(^o^)/

まぁ受かっちゃえば何でもアリです。

たまにこういう緊張も悪くはないです。生活にリズムができます。まぁ欲を言えば「あまり追い詰められない程度の緊張」が良いなぁ。

立場を変えて実感すること

今月の10日に入学式がありまして、今週からいろいろ教えてもらっています。ずっと指導する側に立っていたので体験としては新鮮なのですが、指導される側に立ってみると改めて考えさせられることや在職中には気づけなかったこともあります。

「わからない」とか「できない」状態で「教えてもらう」というのはこういうことなのだと実感しています。でも教師目線が入るんですねぇ。まだ回数は少ないのですが、ここまで担当してくださった先生方は上手な指導をされています。上から目線になっていて嫌ですね~。

「この位分かっているだろ?」を感じさせない先生が教え方上手と一致するかは分かりませんけれど、少なくとも聴きやすい先生ではあるかなぁ。話が入りやすいです。

「わからないを分かっていない先生は多い」と昔から言ってますが、これは意識していないとなかなか自分で気づけないんじゃないでしょうかねぇ?だって既知のことなのですもの。自分にとっては常識なのです。どこまで被指導者の目線に近づけるかって・・・ほら、「子どもの目線に~」という古くからのフレーズがあるじゃないですか。あれですね。

やってみると実感しますが、物理的に子ども目線にすると気づけることは結構あります。視点や思考まで近づけたら色々気づけるはずですね。多様性重視の学校だったら、それをひとりひとり個々の目線を考えなきゃイケないですね?政府や政治家はそこまで考えて教育の多様性を口にして欲しいです。

ツラツラ考えると先生が学校という場で毎年やっている「当たり前のこと」は、子どもの当たり前と一致しているのでしょうか?そう云うことに丁寧な先生って昔からいましたが、やはり少数派という印象です。勿論自分は棚上げしていますよ?丁寧とか継続って苦手分野ですから。でも自分が教えられる側に立つと、そこが一番気になります。

実習中に担当で無い先生から注意を受けたのですが、これがまぁ過去の自分を深く反省する材料になりました。

注意の声かけ方法になりますかね。具体的な行動について触れることなく理由のみ伝えてくるので、正しい行動に結びつかずに同じ注意を2度受けました。理解はしていないけれど動くと注意を受けるのは予測できたので「動かない」を選択しました。後刻担当の先生から丁寧な説明があってようやくつながりの理解はできました。

小学校現場では注意する時に具体的行動を指示する形が多いです。「静かにしなさい」とか「手を止める」とか。そこは大きく違うのですけれど・・・指示を理解できない自分が悪いんだと思う子もいるでしょうねぇ・・・今回の私は指示の出し方が悪いと思っていましたけれど。

自分が反省すべきだと思ったのは注意した後の表情や動作です。そこに留意していた記憶が1つもありません。

表情ですが、注意された後、指導者の顔が恐く見えます。険しいと言いますか・・・分析的に観察すると普通の表情をしているのですが、多分そこに相互に感情をプラスするのでそう見えるのかなぁ? とにかく注意した後、子どもからどんな風に見えているかなんて考えたことはなかったですし、恐い先生類だったので、余計な負担をかけていたのだろうと思います。

そういう場面での動作も深く考えたことはなかったですね。注意された後、二度見されることがあんなに嫌なんて考えたことなかったなぁ。指導者立場は分かりますよ?「注意される行動をするヤツなんだから、よく見てないとねっ」ということでしょう。でも元気のよい人たちが「なにガンつけてんだよぉ」と言っちゃう気持ちもすこ~し分かったように思います。

児童観察のイロハを教えてくださった先輩からは「観察していることを悟られないように」と言われましたが、なかなか難しかっ・・・今も難しいです。