ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

話し合い活動の難しさ

TVを見ていた頃、深夜帯の討論番組などで有識者といわれる方々が画面の中で課題検討しているようなモノをよく視ていました。あまり好きではなかったのですけれど、まだ通常学級を受け持っていた頃で、授業の話し合い活動は自分の中で優先順位の高いモノだったので「教材研究」のつもりでもありました。

あの風景が授業風景ならば学級崩壊だなぁと思いながら視ておりましたが、そのうちメディアでは「日本人が世界で活躍するにはもっと主張しないと」みたいな事が言われはじめて、そういう実践も目にしました。主張の仕方スキルみたいなモノは参考になりましたが、全面的に実践する気にはなりませんでした。話し合いが活発になるのは良いとして、あの光景は好きになれない。受け持った学級がああなったらいやだなぁと思っていました。好みの問題もありますが、自分には制御するだけの力がありません。

討論番組と銘打ちながら、そもそもあれは話し合いだったのでしょうか?討論と話し合いは違うのかしらん?

話し合いのトップと言えば国会なのですが、残念なことに子どもたちの見本にはならないんですね。寝てる人がいるくらいは構わないのですけれど、野次が凄いのは学級で避けたいことです。質問も答弁も事前準備があるので、見せられているのは発表会であって話し合いとは違うんじゃないかなぁ?

学級運営の方向にもよるのでしょうけれど、メディアに出てくる話し合いの様なモノは反面教師的な利用できないように思います。

でも有名人の影響は少なからずです。

相手に言葉をたたみかけていく人が勝つ、相手をうまく追い込んでいく人が勝つ、相手の揚げ足を巧くとった方が勝つ。同じ勢いで言い合っているのであれば、それはそれで良いのかもしれませんけれど、熟考タイプの方や記憶領域の小さな方などはとても不利でしょう。そんな感じなので、メディアで論破場面を視たからと言って、それが正しいとか間違っているとかの判定はできないなぁと。

でも気持ちよくなるし格好は良く見えるのでマネする子も出てきます。言葉に詰まったら、すぐに言い返せなかったらお前が悪いんだ!的な?子どもの中では正誤の判断と言うよりは勝負になっているのですね。相手の返答を待てればまだ良いのですけれど、年々「待つこと」は苦手になってきているし。この辺りの指導で私も結構やらかしているので・・・

 

授業の話し合い活動で「声の大きい方が勝つ」としている教員はいるのかしらん?ディベートは勝ち負けがあっても良いので、そういう時には聴衆役の納得度が基準になるだろうけれど、メディアでああいうのがメインで流れているとそこも影響されるんですよねぇ。何かにつけて「学校の教育がしっかりしないから」と言う方がいますが、社会全体の流れに比べれば非力なもんです。

相手の話をよく聞いた上で納得させる、そんなモデルをメディアで見せてほしいと思うのですけれどねぇ。