ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

無免許教員

昨年、更新制度は廃止になりましたが、文部科学省のサイトを見ると「発展的に解消」とあります。そこに書いてある更新制度の目的は次の通り

「教員免許更新制は、その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。※ 不適格教員の排除を目的としたものではありません。」

結果的に必要なかったんですが、自分も更新しました。実の所、この制度自体は消極的賛成の立場でした。新しい事を学ばない人が多いと感じていたもんで、悪くないなぁと思ってました。でも実際に更新作業に取り掛かると、さらっと済ませることもできる感じでした。受講システムも不備が多く、必要な講座、希望する講座が受けられず、「全く関係ない講義を受けるしかなかった」という声も聴きました。ただでさえブラックなのに、更に受講時間の確保を考えると困難、というのも大きかったと思います。費用もそれなりにかかるので、「金と時間」の問題というくくり方もできるかと思います。

他にも色々言う方はいます。そういう制度の発展的に解消って何です?明らかに失策でしたよね?

一番まずかったのは、この10年ちょいの政策が辞めるきっかけになった教員がいることです。現在の教員不足の一因になっているのは間違いないでしょうね。

教員不足が深刻になって、「特別免許状の活用」を言い出しました。特別免許状を検索すると、各自治体の教育委員会のページがヒットします。候補の上位に「特別免許状 募集」なんて言葉も出てくるようになりました。何のための教員養成大学?とか、免許軽視につながるような気もして嫌なんですが…

 

でも、考えてみれば、運転免許制度はあっても交通事故は減りません。免許無くても運転の上手な人はいますよね?教習所って結構個人差があったように思います。教員免許だって同じかなぁと考える事も。

 

まず知識と理解は違うモノで、講義と実技と現場はそれぞれが違うモノだと言えるんじゃないかなぁと。そもそも教育実習と実際に学級経営するのとで大きく違いますから。自分は教員養成学部出身なので、比較的実技も多い方だったと思うのですが、それでも現場での動きに十分生かせていたかと云えば???となってしまいます。単位を取ってもそれだけじゃあ…というのは、何の免許でも一緒な気もするのですが。

とは云え、基本的な児童の発達に関する知識理解はしてくれないと困る場面が多いので、不必要とは全く思ってないです。

実際には免許持ちの授業者より、免許の無い学校サポーターの方がじょうずに子どもと接している場面なんてはよく見ます。お堅く考えれば、プロなんだからoutじゃんと云う事にもなりますが、現実に起こっているんだから仕方ない。

 

更新目的の内容に逆らうようですが、免許の有無で教育の質は判断できないし、保証もできていないのが現実なので、養成系以外の出身者が教壇に立つのは、基本的に反対ではないです。ここまで来たら無免許でやるのもアリかな?とか。ただ、支援教育の基本だけは押さえて欲しいと思います。あと、「子どもは先生の言う事を聞く」幻想は持たないでほしいなぁ。子どもに指示が通らないって怒ってた教員や指導助手を見たことありますが、そんなもんなんだってば。かと言って何もしないのは指導にならないので、色々試してほしいのですが、最近は色々とねぇ…

同じ組織がやっているとは思えないんだけどなぁ。文科省が発展的解消って言ってるんだから更新の目的は生きているのですよね?特別免許状の活用によって現場に出てくる教員の「必要な資質能力」「最新の知識技能」「自信と誇り」「社会の尊敬と信頼」を担保できると思っているのかしらん?採用試験の倍率だって落ちていて、ずっと通らなかった人が通るチャンスになっています。ホントに偉い人達って負けを認めないよね。更新期間の教員や現場に謝罪があってもいいくらいだと思います。

 

教員不足の根本原因は仕事量だと思うんだけどなぁ。子どもに関わりたいと思って目指す人が多いのに、放課後一緒に遊べなくなったし、休み時間に〇付けしても定時に帰れない。それでいて「休憩時間を取れ」とか「残業が多いよ」とか言われちゃう。そりゃ辞める人は増えるよ。

9月はじまりの2学期制、時数は週最大25時間にして欲しいな。少なくとも、一人の教師の授業時数が25時間を超える事の無いようにすれば、今よりは良いかな?