ゆとり世代を形成したのは学習指導要領が原因だ~ という一般的に広まっている考え方は違うんじゃないの?と思っています。
平成28年の「ゆとり」ドラマ『ゆとりですがなにか』の第1話を初めて見ました。教員の飲み会シーンで色々くだを巻いた後で「文科省の実験が失敗だった」という流れになっていました。本当にそうなの?と思う人は少ないのでしょうけれど・・・
○○世代という言い方で分けるのは昔からあったので、それ自体に違和感はないのですが、「ゆとり世代」にだけ「学習指導要領が原因」と言われているのが納得できないんですよ。
初回のみの視聴ですが、初回だからこそ「ゆとり世代の特徴」を出していると思うのです。その後の展開でゆとり世代への新しい視点が語られるパターンなのか、一般的な視点のまま進んでいくのか分かりませんが、どちらにしても共通認識をする回でしょう。
社会性に関しての特徴が大げさに表現されているのが目を引きました。でも社会常識から外れる行動って昔からあった事でしょう?
「ゆとりだからなぁ」と呆れたように呟く管理職も、若い頃に「新人類だからなぁ」と呟かれてきた人たちなワケです。「新人類」って良い言葉に聞こえますけど、「普通じゃ無い、理解できない」って意味ですから、ある意味「ゆとり」よりタチが悪いんじゃないかしらん?
ちょっと叱られて仕事を辞める人は昔だっていただろうし、人付き合いが苦手な人もいただろうし・・・割合が増えていることには目を向けるべきだと思いますが、それはゆとり教育のせいでしょうか?
学力低下、とも言われていますが、本当にそうだったのか?とこれまた疑っています。
実際には「詰め込み教育の反省からゆとり教育」という流れは1980年前後から行われていて、今の管理職世代だって少し緩んだカリキュラムで育ってきたんです。大きなくくりでは現役世代はみんなゆとり世代になってしまいます。
PISA2006で総合順位が6位に下がったことで学力低下が騒がれて、ゆとり教育批判につながったと記憶していますが、順位は相対的なモノで、ソモソモ学力は相対的に判断するモノなのか?
文科省のサイトでPISA2006のポイントを見ると
問題ないように思えますが・・・マスコミが騒ぎすぎたのではありませんかねぇ。読解力の低さは私も大きな課題だと思っていましたが、ゆとり教育の方針を変更するほどのことだったのかなぁ。
ドラマの中では「国を挙げての実験だったわけですよ」「詰め込み式はダメ、丸暗記はダメ、円周率は3で良い?で、やってみたら子どもの学力が下がった」「で、実験の失敗、撤収ですよね」「私たちは実験台にされたって事ですか?」という会話があるんですが、これが教員を代弁しているのかなぁ?少なくとも私はそんなこと考えてなかったけどなぁ。詰め込みや丸暗記で測れる学力が実生活で役に立つとは思えないし、円周率は3で良いと思うよ?「ゆとり教育」の失敗主体は現場教員じゃ無いかと思ってます。社会科でさえ教科書いらないなぁと思っていたのに、生活科や総合的な学習に教科書を求めた教員がいると知った段階で失望しちゃいました。
ところで社会性の低下と学力って相関するんですかねぇ?昔は「勉強ばかりしていると世の中のことが分からなくなる」みたいな風潮がありましたが・・・今の社会性の低下は社会経験機会の低下とゲームのせいでしょう?ゆとり教育にそこまで責任を押しつけないで欲しいね。総合的な学習とカリキュラムのゆとりは、社会性を上げる機会を作っていたのにね。