ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

3つめ

今日は、今までと違う学校へ行きました。これで3つめです。在職中の担当校ではなく訪問機会の少ない場所でしたが、近くの林道は頻繁に歩いているので迷うこともなく行けました。

パーソナリティ障害について勉強している最中でして、子どもの様子を観察して「部分対象関係」「妄想分裂ポジション」「躁的防衛」「誇大自己」とか言葉はグルグルするのですが、生育歴情報は無いので、あまり深く考えずに…

自分が勤めている時にはそれほど強く感じなかったのですが、今、色々な先生の話を聴いて「ブラックな仕事場だなぁ」と思うことがあります。感染症に振り回されている中で、決断するのは難しいことなのは分かりますが、必ずしも正解とは言えない判断が国にあったと思います。一番大きいのは、何度か休校したにもかかわらず、制度を変えることなく、現場の努力で乗り切りましたよね。言うまでもなく特別手当なんかも無しです。教育にカネをかけずに負荷をかけるやり方は昔から変わらないんだなぁ。

英語を加えて、何か削りましたか?普通の感覚では、トッピングしたら値段は高くなります。ゆとり教育の批判自体が眉唾物だと思いますが、ゆとり教育の反動で時間や内容が増えているのに「お値段据え置き」状態・・・いや、教員の給料はずーっと下がっていたよね?それで「学力を上げろ」って政治家が言うのはどうなの?仕事は増えて給料下がる。じゃあ国会議員や国家公務員は下がった?私たちも文通費が欲しかったなぁ。月百万円かぁ。

 

今日、担任の先生とお話をしていて、あらためて「小学校って学級運営だな」と思いました。既に受けたアドバイスを見せていただきましたが、確かにそれはそーだよね!という内容でした。授業の工夫と視覚化、叱らず褒める、指示の具体化などなど。書いてあること全部取り組めば、そりゃあ改善する面はいっぱいあるでしょう。

確かにそーだけど、すぐに取り組める人とそうで無い人がいますよね。当たり前ですが、特性も事情も個々に違うのですから。

ずーっと国産オートマティック車だったのに、急にマニュアル車の左ハンドルで運転しなきゃイケなくなった時、スムーズに運転できる人はいるけれど、できない人もいる。そんな感じ?違うかな?違うかも…

とにかく優先順位を一緒に伝えないとイケないんじゃないかな?と思った訳です。少人数の支援学校や専科制の中学高校と異なり、担任中心の小学校は集団作りが優先じゃなかなぁと思うのです。教材の工夫は大事ですが、同じ視点で工夫するとして、準備物が少量で済む支援学校や何度も使い回わせる中学高校より、小学校は時間や手間がかかります。

私は、学ぶ環境作りが優先順位のトップだと思うんです。支援が必要な子にいくら手をかけても、けじめのない教室では効果が定着しませんよ。

そもそもどこの教員でも同じですが、「できる人」が圧倒的多数の集団なんですよね。そこが悲劇の始まりなのかも知れませんが…話がいっぱい跳びましたねぇ。