ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

父の日

スーパーやコンビニで父の日表示がよく見られましたが、母の日ほどたくさん無いように思えるのは気のせいかなぁ・・・と思っていたら、ラジオで父親が大黒柱では無くなった話が流れてきました。自他共にそういう意識という調査結果になったと云うことです。

 

家庭教育では父性と母性の併存って結構大事だと昔から云われていますし実感してきました。端的に言い換えれば社会性と受容感かなぁ。母子家庭、父子家庭だからというわけではなく両親がいても機能していなければ同じです。逆に母子や父子の状態でも子どもにとっての父性と母性が保障されていれば良い訳ですね。

子ども自身の特性もありますね。同じ環境でも育ちは個々に違うトコロは出るので。受容感を大量に必要とするような子は母性型の人がいないと巧くいかないみたいな。相性みたいなモノかなー。そういう意味では離婚する時、養育者については子どもの意見を十分尊重して欲しいなぁと思うのです。

子どもにとってはバランスが大事だと云うことですよね。そのバランスも個々に異なる。丁度良さみたいなモノはあるのでしょうけれど、これもナカナカ難しい。やり取りを通して調整するモノだと思うのですが、「親の独善的な支配」だと巧くいかない確率が増える。巧くいくケースもあるからややこしくなる訳ですが、そういう場合子どもの方に許容力があるか、家庭の外に代替があるか、でしょうね。

独り親の難しさって一つの人格でこれをやりくりする点ですね。バランスをとれる方は大丈夫なんですが、それは大変なご苦労ですよね。不安や責任を独りで抱えて頑張るって凄いことです。

子ども自身が家庭の外に父性や母性を見つけ出してバランスがとれるケースもありますが、バランスが悪い時に家庭の中に逃げ場が無い。そういう点でも難しい。親も子どもも巧くバランスがとれるように家庭の内外を利用できれば良いんですよね。

じゃあ両親揃っていればリスクが下がるか?と言えば、確率的にはそうなんでしょうけれど、必ずしも・・・って感じでしょうかね。2人いるので、分担ができますし、相談もできます。できるはず・・・相談が難しいケースもよく聴きますけれどね。でも例えば両親揃って母性なら外での問題が起きそうだよなぁ、とか。

昔の大家族であれば、手もあるしどこかに逃げ場があったモノですが、そうでないケースもあります。いくら人数が多くてもみんなが一方向に偏っていれば、人数が多い分だけバランスがより悪くなります。

 

相談に来られたケースの中にも母子や父子の家庭はありましたが、関わった子どもたちは特性を持ちつつも素直な子ばかりでした。育て方に悩みながらも父性と母性を独りでやりくりできているのでしょう。頭が下がります。でも直接関わらない所の話を聴くと、独りでバランスをとるのは難しいと思ってしまいます。

しつけの代わりにゲームを与え、遊びもゲームという生活で、就学前の子どもの社会性が低下しているのを実感してきました。家庭の大黒柱が減少するのとリンクして更に社会性は下がっていくんじゃないかと考える訳です。だとすると、所謂我儘な児童が標準になっていくのかなぁ。小学校でソーシャルスキルレーニングが必要だなぁ。でも学校にはゆとりがありませんねぇ。もう少し先を見て考えて欲しいな。