ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

教育のユニバーサルデザインを今ひとつ期待していない理由

最近ではユニバーサルデザインの授業や教室の話を周りの教員や保護者からも聞く事が多くなりました。ここ数年で知名度が上がっている感じがします。

私、この波に乗れないんです。

自分の学級づくりからすると、邪魔になるんじゃないかな、と思ってしまいます。

教育のユニバーサルデザインについては、何年か前にセミナーに参加しました。本も何冊か買って読みましたし、大いに参考にさせていただきました。似たような方法もやってきてます。効果もあります。

最近いったイベントで講師の先生がおっしゃいました。「当たり前を見直す」みたいな内容でした。全く賛同しました。

イベント参加した同世代の方は、若い人が増えているから、こういう形も必要だ、と仰ってました。それは確かにそうです。

 

問題は形骸化です。教室環境を整えることが目的なのに、環境を揃えることが目的になってしまうのではないでしょうかね?揃えて良い事もありますが、そもそもちゃんと吟味して行なっていけるのでしょうかね?

背景や意図を理解せずに、隣の教室環境に揃えればいいって事になるんじゃないかしらん。

 

背景や意図に関して、よく学級担任の方に質問するのですが、何故毛筆作品を常設展示にするのでしょうか?横書き教科が圧倒的に多い中、日付を黒板右に縦書きで書くのは何故なんでしょう?給食の目標とか生活目標とか、掲示してありますが、効果はあるのでしょうか?…などなど、聞いてみると、さぁ?という反応が大多数を占めてます。

 

さらに考えたいのは、各クラスで事情が異なるという点です。要支援の子を各クラスに均等配置すれば同じ環境で良いのでしょうか?ダメに決まってます。個々に支援内容や支援程度が異なるのですから。ウチのクラスのメンバーなら、こういった支援が必要って考えて、その上でユニバーサルデザインしていくならわかりますが…形だけかじったUD信者が、学年全てを揃えようとするわけです。ブームですから、それは「良い事」として押し切られたりします。既に書きましたが、揃えてもいい事はありますよ。でもそれは説明できる事が必要だし、前提として、子どもの実態把握が必須でしょう?

 

提唱者や研究者の意図を考えず、格好だけになっちゃう教育ブームで、個人的に思い出すのは百ます計算です。アイテムにのみ注目して困った結果を招いた、水の結晶とか。そういったブームと同じようなことになりませんように。