玉音放送の日であると考えると、玉音が初めて放送されたという意味では記念すべき日なのでしょうね。検索をかけると、「ラジヲを聴いている人の敬意ある態度を担保できない」という理由があちらこちらで見られます。じゃあ首相には敬意を表さなくても良いのかしら?と思うのですが・・・
そもそも敬意を払うって心からわき出る物ですよね。礼節をわきまえるって必要だと思いますが、「敬意を表す」を強要するのはどうなのでしょうね。戦前世界の一番嫌いなところは強要ですね。面従腹背って言葉を知っているのでしょうかね?敬意を表して欲しかったら、それなりの行動をしないと・・・。
終戦記念日っていうのも、色々な意見があるようで、「敗戦記念日ではないのか!」という文をよく見ます。客観的事実として戦争が終わったのだから、これでも良いとは思うのです。でも、負けず嫌いじゃないですか、日本って。「撤退」って言葉を使っちゃイケないんだって「転進」という言葉を使ったりしてきたわけです。そんな話を聞いた後に「終戦記念日」と言われると、ン~って考えちゃいます。
そもそも、何で記念日なのでしょう?慰霊の日ならばその様な命名の仕方があったのではないかしらん。平和を祈念する「祈念日」なのでしょうか?国体が変わった記念日なのでしょうかね?「終戦の日」という言い方の方がしっくりきます。
今世紀に入った頃から、戦前美化とか「こうすれば負けなかった」という話を何度か聞きました。全てが悪かったわけではないという点では同意できるのですが、仮にあの戦争に勝ってしまっていたら、どのような歴史になっていたのでしょうかね?
いわゆる戦後改革といわれたモノを臣民のままで手に入れる事はできたのでしょうかね?軍人さんが幅をきかせていて、警官は「オイコラ」なんて言うわけでしょう?政党は一つだけでしたよね「大政翼賛会」。治安維持法があって、普通選挙も制限付き。
勝っていれば、物資の点は何とかなっただろうから、配給は解除されているかしら?でも、勝ち方にもよりますが、中華人民共和国とソビエト連邦の2国とすぐに戦争状態になっていたかもしれませんし。戦時体制のまま50年代を過ごすような感じでしょうかね?今の日本社会を見ても、自力で男女平等、普通選挙なんて無理でしょう。
そう考えていくと、膨大な数の戦没者のおかげで今の生活があるって実感がわきます。平和の重みを実感して欲しいなどと思います。