ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

どんどん便利になっていきますね

「便利」って「手間がかからない」っていう事だと思ってる。

 

 「手」と「間」なんですね。「手」は力や技巧、「間」は時間でしょう。

こういうことの負担が軽くなるっていうのが「便利」って事だと思うわけです。

 

手作りにはナニガシカの器用さが必要で、製作時間もかかる。

それが「ボタンひとつ押す」になる事で、複雑な指の動きは必要なくなり、体力と時間を使うことなく効率的に作業することが出来る。

余計なことに時間をかけたくないから、生活はどんどん便利なモノであふれていくっていう流れだと思う。

 

生産力向上のために、工場は手工業からオートメーション化してきたんですよね。伝統工芸品は手作業が多いと思います。技が必要な工芸品が多いというイメージがあります。後継者不足で「技が失われる」という台詞はよく聞くのではないでしょうかね?

 

さて、生活の上でも同じ事が起こっていると私は考えるのですが、別に困っていないために、失われた技について、真剣に分析する人は多くないような・・・

 

紙工作作家みずたにいさお氏がずーっと前から言っていたのは、

「生活の中で手首をひねる動作がなくなった」

ということでした。水道の蛇口、ドアのノブなどの例を聴くと、確かにそうだなぁと。

遊びが画面型ゲームになり、コントローラーを動かすだけの動作に。

電話は携帯やスマホに。

調理機器も大変便利になりまして・・・。

色々な場面で指先のみの動きに変化してきたのですね。

 

時間を掛けなくて済むということは、待つ場面が減ることですねぇ。普段から待たないから、待てない人が増えました。もちろん子どもにも影響してます。かつて待つ生活を経験してきた人でさえ、今の生活に慣れているのではないかしらん。

 

さて、どんどん便利になっていく中で、人はどう変わるのでしょうかね?不器用で、衝動性が高い人が増えることは予想できますが、それだけで済むのでしょうか?