ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

正しい歴史を教えたい (`_´)ゞ

よく出てくる言葉に

正しい歴史認識

っていうのがあります。史実っていうのとは違う感じがしますけど、どうなのでしょうね。

 

歴史は好きなんです、昔から。地域のマイナーな豪族の事に興味を持って調べたりしてた児童でした。こう書くとすごいと思えますが、実際は系図作りが中心で、ノリとしてはそれ以前からやっていた鉄道の路線図を描くのと変わらないと思います。

ハタチ前後に古史古伝や地域史にハマりました。教科書には無い歴史が好きだったし、今も興味を持ってます。

 

史書の嘘、という事を考え始めたのもハタチ前後だったかなぁ。勝者の歴史が残っているのであって、敗者側には別の歴史や歴史観があると。

日本書紀古事記に書かれている内容は、天武−持統政府の史観で書かれているって事で、100%その通り!って事はないでしょうね。神話の部分について、史実を反映してるのでは?って色々な説が飛び交っています。まぁ、だから面白いとも言えるのですけれど。

ややこしいのは、神話の後もそんな感じで色々な説が飛び交っている事です。実在する人物なのか?実話なのか?継体天皇から実在確実らしいですけれど、聖徳太子はいなかった?とか言ってた方もいらっしゃる。

雄略天皇継体天皇より古いけど、発掘された鉄剣に刻まれた文に名前があったから実在性が高いと昔ニュースでやってました。

実在実話の証拠は一個じゃダメなのよね。

教科書の歴史は、そういう曖昧さがあります。教えるべき人物の一番手は卑弥呼です。三国志に記述のある倭人ですが、証拠はそれだけです。

 

そのような曖昧さを葬り去って、証明されたものだけで歴史を教えたいですな。歴史学習に当てる時間数も減ったのですから、天武朝以前の人物や出来事は小学校では取り上げなくても良いのでは?代わりに国語教材で神話を取り上げてはいかがでしょうかね?

個人的な思いでは、曖昧なのが面白いのですが、教えるべき内容って考えると、曖昧なのはダメかと思いますよ。その辺りを整理して欲しいですねぇ。

 

仁徳天皇陵が話題ですが、証拠なしに公称化するのは、現代ではナシではないかと思えます。大山古墳で良いのでは?

オホサザキノミコトの話を昔読んだ記憶があります。実在してて欲しい人物です。

 

埋葬者が誰か分からないのに名前を付けて祀るのは不敬な事ではありませんかね?違っていても良いものなのかしら?そんな事は埋葬者は気にしないという事なら、発掘調査しても許していただけそうですね。