ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

むつかしい課題1

否定語の排除は難しい課題です。自身が学級担任時代、極力避ける努力はできても完全排除はできませんでした。
結構動きの激しい子たちに対して、まずは行動停止を急ぐのが第一でした。圧の強い制止でした。もちろん若い頃と違って演技でしたが、瞬発的な介入、声の出し方の工夫など、今から考えると若い頃より恐い指導だったんじゃないかと思います。

当時の授業のビデオなどを見ると、指示の中に否定語はいっぱい出てきます。「約束」として「○○しません」という形が多いです。それでも極力避けるようになしていたんですけどねぇ、結構使っています。

廊下の歩行についての言葉がけで「走るな!」と言っていたのが「歩きなさい」に直るまでに結構な時間を要しました。でも廊下の歩行については、約束が「廊下は静かに歩きましょう」となっていたので、「歩きなさい」と指導することに何の違和感も感じません。「走るな」という指示が否定されるのも納得です。

 

ヤンウェンリー提督が好きな私は、学級経営方針の根っこが「自主自立」で子ども同士で考えさせることが好きでした。なるべく縛りは入れたくないと思ったら、否定語は増えるんじゃないかと思います。「○○しなさい」と指示を出せば、考える余地はありません。言われたとおりにやるしかありません。基本自由だけど、これだけはやって欲しくない→「○○はしてはいけません」という事で。

要はトータルとしてどうなのか?と考えてもらえるとありがたいのですが。確かに否定してばかりでは集団肯定感は上がりそうもないですが、たまに否定語出るけれど雰囲気が良ければセーフとか。分かりにくいかなぁ?人格を否定するのはダメだけど、行動を制限するのはアリ・・・っていうのもちょっと違うような。制限されすぎれば人格否定につながりそうだし。子どもの自己肯定感を下げない否定語はアリとか・・・でもあの時、果たして子どもたちの肯定感はどうだったんだろう?