ちょっと支援教育とかを

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

基礎学力の愚痴

基礎学力って何だろう、と考える事があります。

子どもの厚い教科書を眺めると、知識ばかり詰め込まれていくのではないかと、暗い気持ちになります。

量的にはどこまで戻ったのでしょう?自分が子どもの時からも減っていたので…。

受験戦争・校内暴力時代でしょう?「のど元過ぎれば・・・」の言葉の通り、現在生活できている人は、暗い過去は忘れてしまったのかも知れませんね。

 

時代は変わりました。ゲームや携帯は社会から人を断ち切り、子どもを叱っていた見知らぬ大人は「不審者」という名前になりました・・・というより「大人」自体が減ったと見るべきでしょうか?子どもが子どもを育てている様な。がまんすることが悪いことのようにも感じられる風潮も感じます。戦中戦後育ちが親だった頃にはがまんを肯定する方が多かった様に思います。

勉強が窮屈なのは今も昔も変わらないでしょう。そのストレスをどこで発散すればよいのでしょうか?小学生だってストレスは感じます。

ゆとりの時間は、そうした社会性の育成やストレス対応に状況に合わせて時間を使えました。もめ事があれば時間をとって話し合ったり指導したり。そうやって学べる事が大きかったんじゃないかと思います。今は時間がありません。担任が話をしていると授業時間が足りなくなります。子どもは安心できるのでしょうか?納得できるのでしょうか?何より考えるゆとりが無くなってしまうのは、悲しむべき事だと思っています。

地域や家庭がまだ教育力を持ち、子どもの生活にゲームや携帯がなかったあの頃でさえ、色々な形で不満は爆発していました。あの頃でさえ、そうなのですから、現行のやり方では、もっと深刻な問題が出ると予測するのは容易いと思うのです・・・気付いた時には手遅れみたいな。

教科書を厚くした分、生活に関しては手薄になるんだよね。

学力が落ちたからって、内容を戻せばいいっていうのも考えが浅くないかな。社会が違うもの。家庭と地域に頑張ってもらわないと…。実質的には家庭に頑張ってもらうんだろうね。でも各家庭も忙しいから、最終的に子どもが抱え込んでしまう事になるのが悲しい。