ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

串橋あたりで鳥撮

 

2月の探鳥会に参加したあと、ようやく鳥を観に行く事が出来ました。まず現れたのが

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道をトボトボと歩いているでかい鳥。私の目の前を横切っていきました。

オオヨシキリの声がするので、そちらに近づき、

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ムクさんが来て

 

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ボソさん登場

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空にはカモとサギ。サギはアオサギですね。カモは何だろう?カルガモはよくいるけれど・・・

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で、お決まりの

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うるさい声が聞こえるなぁ、と思っていたら、ネットの向こう側にど派手なこちら様がおいでになっていました。という事は、最初の大きいのはメスだな?

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地元の方の話しでは、よく見かけるという事です。国鳥を見たのは十数年ぶり?きれいな配色です。

福島で初めて雉を見た時、えらく感動したのを今でも覚えています。横須賀で見た事なんかなかったもの。

「いつくしみの視野」

大掃除がまだ終わらず、この時季になってもまだ整理をしております。作業対象となっているのは、圧倒的に紙が多く、書籍や授業で使ったプリントが山になっております。書籍の7割くらいは漫画です。引っ越し前は9割が漫画であった事を考えると、文字の本が増えたなぁと思われるような書き方ですが、実際は漫画を処分した結果でありました。

「いつくしみの視野」という本が出てきました。曽根富美子さんの漫画です。

全盲の主人公が子育てをするストーリーで、よく読んでいたなぁ。インクルージョンとか父親の子育て参加など、色々な内容が読み取れます。この時代だから読みたい1冊かなぁ。

自分が良ければ良いんだな、きっと

日大アメフト問題で今、コーチと監督が記者会見をしています。ネットで流れているのでライブで観ていますが、色々考えちゃいますね。

聴いていて一番気になったのは、「一つ質問します」と言っておいてたくさん質問している記者さんですね。

司会者が同じ内容の質問を止めようとしていましたが、止まりませんね。結局、質問者が聞きたいと思う答えを聞くまで満足できないのでしょう。きっと、質問者の期待があって、答えがその範囲に入らないと納得できないのかもしれません。

何か、後半の質問は、答えが予想できるようなものが多かったです。だってさっき○○と答えたんだから、これは○○と答えるでしょう、みたいな。本当に情報を掘り下げたいと思っているのかしら?みんなで質問しているのだから、バラバラに質問するんじゃなくて、連携できないものかしらね。

ほら、学級会でも関連した意見や質問から発言するじゃあないですか。個人プレーばかりで、こういう場面からも今現在の国民の社会性が垣間見えるように思うのですが。

 

質問の答えを聞いていて気になったのは、指導の姿勢ですかね。

教える側の常識を強要している状態が伝わってきます。前世紀の悪い伝統を受け継いでいるんでしょうね。強い言葉を今は使っていないと答えていましたが、教わる側のアセスメント抜きに教える側の都合のみで指導している点で昔と同じでしょう。

自身が行っている指導を振り返る良い視点になると思いますが、どうでしょう。

教えるっていう行為を軽く見ているからそうなっちゃうんだと思います。

 

そもそも自分は、記者会見って何のためにやっているのかがよく分かっていないのですがね。

Morris W35

実家の整理をしていて出てきたギターは、16歳の時に友だちから譲ってもらった初めてのギターでした。

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かなり放置してあったのですが、まだ使えるでしょう。取り敢えず、ホールから手を突っ込んで中の綿ぼこりを除去しました。

 

 

壁 改

安定性や使い勝手を考えて、壁の改良作業をしています。本当はゴールデンウィーク中に完成予定でしたが…

上につけていたカラーボックスを二分して、20cm強低くなりました。これで廊下にも移動させる事ができます。

これまでのも、設計段階では廊下へ移動できるはずでしたが、作ったら5mm弱ドアに引っかかってしまい、廊下に出せなかったんですよね。不思議だなぁ(T_T)

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困り感を煽る

忘れ物をすると漢字練習をしなければならない

 

この指導はアリでしょうか?忘れ物に対してどのように指導するのか、ペナルティをどのように考えるのか、という事は結構な悩みどころになります。

自分は若い頃、その辺りは何も考えていなかったように思います。

忘れ物=約束違反=ペナルティ

という単純思考だったと思います。

困らないと行動改善できない、という考えに基づいて、困り感の演出としての漢字練習という位置づけとも考えられます。

 

何故漢字練習なのか?と考えると

 

それなりに手間がかかって、本人の為になる事

と昔は思っていたような気がします。

 

まず、教師側に漢字は書かなきゃ覚えない、という固定観念があるのではないでしょうか?

もちろん、漢字練習は、子どもにとって苦痛であると思っているのでしょう。

教えてもなかなか定着しない、という事もあるかもしれません。

忘れ物をする子どもは漢字が苦手である、という法則を経験から見出しているのかもしれません。

 

書かなきゃ覚えないっていう事は無いですよね。そもそも、単に書けば覚えるというものではないし。

練習が無目的であれば、子どもじゃなくても苦痛でしょうねぇ。

教え方はどうなんでしょうね?一斉に空書きしてドリルで練習という、20世紀の授業で終わってるなら、もう少し工夫が欲しいです。あと、教えた後の定着の図り方は?

忘れ物が多い背景がワーキングメモリにあるなら、これはつながるかもしれないですねぇ。

 

自分の実践経験からは、ペナルティの漢字練習で漢字習得が伸びた子はいないです。

逆に嫌いになるんじゃないかしら?

ペナルティになるくらいの作業に好感は持てないよなぁ。

 

生活習慣を何とかしたい、困り感を煽って行動改善につなぎたい、という所までは良いんだろうと思うのですが…具体的な良い手立てが欲しいなぁ。何か無いかなァ。

昔の自分に責任もてないなぁ

普段あまり実家に帰っておらず、親類に顔を合わせる機会がない私です。従姉妹や叔父や伯母、十数名と合って話したのは本当に久しぶりでした。昔話に花が咲くわけですが、自分が覚えていないことがポンポンと出てきて、出てくると自分も少し思い出せるみたいな作業を繰り返し・・・こうなると従姉妹の一人が言っていた「箱が開くの」という表現がすごくよく分かります。

昔の私について

面白いことを言っていた。変わっていた。変わった遊びを提案してた。禁止されたことをやって怒られる。

一体どんな子どもだったのか?どんな風に見られていたのか?

記憶にある姿だけでも定型発達ではないと推測できますし、小Ⅰの通信簿に「毎日天気予報を発表してた」みたいな記述が裏付けになるかな、とか思っていましたが。今回の会話で確信できましたね。