ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

教える難しさがわかる先生はどのくらいいるのだろう

昔は単純に授業の進め方への不安でしたが、支援級を行ったり来たりして、かなり悩みが深くなった気がします…なりましたね。

 

前の世紀の授業は、個々が取り組む機会の保障だったのかなぁって思うのですが。今は結果を保障しなきゃいけないって誰かの講義で聴いたのですが、そう言われれば支援教育がスタートして変わった点が分かりやすいんだけど、それができる先生は何パーセントいるのかしらん?

 

多少の差はあっても、子どもたちに頑張ってもらって、先生の指導に慣れてもらっていた部分は大きかったと思うんです。子どもたちが先生に合わせるのね。

一斉指導なので、子どもたちには今も頑張ってもらう部分はありますけど、先生の指導を子どもたちに合わせる…子どもたちの実態に合わせて指導方法を変えるっていう所が大きくないといけないのね。その上で、クラスでできる個別支援があって、さらにどうしても困難があれば、支援級という流れになるわけですけど。

 

◯年生だから、こーゆー指導。

って世界から

子どもがこーだから、こーゆー指導。

に変わったはずですけど、子どもの実態を把握してないまま授業をする先生が未だいるのですね。

さんま連

金曜日は近隣の担当者が集まっての情報交換会。スタートから数年経過してますけど、発足時のメンバーをキープしたまま、人数が増えて、顔ぶれが変わり。

こういう会はよい刺激になりますけど、差を感じさせられるので、焦ったり凹んだりもします。

まだまだ勉強しなきゃいけない事が多いですね。

久しぶりに読み物教材の教材分析

ちょっと事情がありまして、物語文の教材研究をしました。ここ数年は国語の教材研究というと、平仮名の覚え方とか、モノの名前を覚えるとか、助詞の使い方とか、そういうのばかりでしたが、今回は読み物教材でした。同僚のお手伝いなので、分析だけであまり時間はかけませんでしたが、それでも2時間くらい熱中してしまいました。

個人的には物語教材というと、やっぱり「白いぼうし」かなぁ。最後のクラスで6月から9月まで授業やっていたんじゃなかったかしら?別に校内研究でもないのに、個人的な思い入れでかなりの時間を使ってしまいました。事前の分析をやって授業に臨んでも、子どもたちとのやり取りで授業中の発見が多かったんですよ。ぞくぞくしましたね。

思い入れの強さでは、「やまなし」も色々やりましたねぇ。宮沢賢治は学生の頃から好きでしたし、大学の授業でも取り上げられて、みんなで教示研究をしたり・・・そう言えば、「やまなし」の授業の本を買ったら法則化運動の本でして、法則化の授業を跳び箱以外で知ったのも、「やまなし」でしたねぇ。

研究したなぁって印象が残っている物語って、「ちいちゃんのかげおくり」「大造じいさんとがん」「ごんぎつね」「ひとつの花」「てぶくろをかいに」とか、やっぱり偏っているのかしら?詩の方に時間をかけることが多かったしねぇ。

 

授業研究をするみたいに読むのと、普通に読むのと違うんだってわかっていたけど、久しぶりにそんな読み方をしてみると、普段は情報をたくさん落としながら読んでいるんだなぁって。

読書ってリラックスして楽しむモノって思っちゃっているので、目をギラギラさせて、脳細胞フル回転では読まないんだよね、私は。

保護者参観で何を観ればいいのかしら

以前勤めていた学校で、毎日が参観日という方針がありました。参観日をなくして、保護者がいつでも来校して参観できますという通知が出ていました。私は良いなぁと思っていましたが、逆に通知が出てないと来校するきっかけがないという意見もあったらしく、現在は参観日もあります。

でも、参観はいつでもOKという姿勢は大事だと思います。そう声をかければ、見に来てくれる保護者が少し増えます。

 

見に来てもらえれば、クラスの様子が分かると思うんだけど、参観日だとみんな良い子になっちゃうので、いつもとは違いますね。6歳の子でも、参観日はいつもより頑張ります。大抵の場合、参観日に見せる姿は、その子なりの背伸びした姿なので、いつもより関わりや取り組みが良い事が多いって感じます。

 

参観日以外なら、見に来た保護者の子以外は緊張しないため、全体の雰囲気は通常に近くなります。場合によってですけど、雰囲気に飲まれて普段の姿が見えるかもしれませんね。

 

どうしても自分の子に目が行きがちだと思うのですけど、クラスの雰囲気を感じるのは大事だと思います。集団としての質はどうなのかしら?と。子ども同士のかかわり方を見ていると分かってくるんじゃないかしら?と。

 

学級便りなどで、担任がクラスの様子や目指す姿なんかを知らせることが多いと思いますけど、それと参観したときの実感を比べてみると色々見えるかも。

 

 

国会議員が国事だけやったら、あんな人数いらないんじゃないの

衆議院議員選挙が今月後半にありますけれど、報道を見えいて相変わらず違和感があちこちに・・・

 

そもそも、国会議員って国の政治を考える人なんですよね。なんで全国区にしないのかしら?

駅前でもらうチラシには、「選挙区に住んでいる人のために、こんなことをしてきましたよ!」という内容が並びます。何かの誘致とか、道路計画とか・・・。地域に良い顔するような政治家と企業や官僚に良い顔をする政治家に違いがあるのかしら?

この街をよくするための選挙は市町議会選挙と県議会選挙でいいんじゃないかなぁ?

道路なども確かに大事だけれど、なんで地域視点なんでしょうね?よくわかりません。

これだけネットやメディアが発展しているのだから、全国区で選挙しようよ。そうすれば一票の格差なんて考えなくても良いし。

国の方針を決める議員なのに数万人でOKって言うのもどうなのかしら?

全国区にして一定レベルの支持を集めたら当選っていうのがいいね。せめて10万人以上の人が支持する人じゃないと、国レベルの代弁者としてどうなの?そうすれば、供託金なんて集めなくても良いんじゃない?

地元の声は必要な時に聴けば良いのでは?

 

人数が多いよね。リストラの話が出ないのもなぁ、どうなんでしょう?

財政赤字と言われているんだから、そこは人数を減らさないと。

国会議員の予算を税収の何%って決めちゃえば良いんじゃないかな。個々の予算を減らすか、人数を減らすか、税収を上げるか。少しは知恵を出し合うんじゃないかなぁ。

そもそもあんなにたくさん人数がいるのかなぁ。国政だよ?

国対という人が各政党にいるじゃないですか。その人たちで話し合って国会を円滑に運営しているって話を聞きましたが、じゃぁそれくらいの人数でもできるって事ではないですか?まぁ極端すぎますが。各県からの47人と全国区の200人くらいで一院制だったらすっきりするんだけどなぁ。

 

比例代表もわかるようなわからないような・・・肝心の議員さんはどういうつもりなんでしょう?比例の議員は政党の言いなりになってくれないとさぁ、投票者への裏切りだなぁ。比例当選の議員が他党へなんてのもありましたが・・・どんなに言い訳してもアウトでしょう。

政党政治が向いてないんだよ、きっと。政策でくっついているとは思えないモノ。助成金も意味がわからない。

 

政権選択選挙って言葉がたくさん出てきてます。そんなのいつだって選挙ってそんなもんじゃん。希望の党を支持してはいませんが、党代表が知事であることがおかしいとは思えないなぁ。誰を総理にするかを決める選挙だから党代表が立候補しないのはおかしいんだって。そうかなぁ。いつから直接民主制になったの?今までだって総理が替わるたびに選挙してきたわけじゃないよ。

分かり易い選挙っていうのも、なんか馬鹿にされてる感じがするなぁ。情報操作が多いよね。繰り返し繰り返しフレーズを流すことで、そういうもんだって思い込まされているような感じ?分かり易くしたら困る政治家がたくさんいるから、この程度で分かり易いって言っているんでしょう。

 

 

さて、誰に投票しよう?

「教科書が理解できない?ふーん」じゃなくてさぁ、もうちょっと何か考えようよ

YOUTUBE池上彰のニュース解説を観ていたら、10~20年後にロボットによって失業する職種についてやっていました。FM和歌山ではロボットアナウンサーを導入したとか。

今日のYAHOOニュースのトピックスに「中3の25% 教科書理解できず」というタイトルがあります。「教科書を理解できない」という言葉をどう受け止めようか?ということは考えなきゃいけないけど・・・25%って、教室の中での困っている子はこのくらいの割合だろうと思っていたので、妙に納得してしまいました。

 

そんで、そこの文章だけ読むとありがちな統計結果なのですが、記事に登場する「国立情報学研究所・新井紀子教授」で検索すると、ロボットとの関わりが出てくるんです。

新井教授は数学者で『ロボットは東大に入れるか』の著作者。

検索した中に、湯浅誠さんが書いた記事

「AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは読めているのか」

というYAHOOニュースの去年の記事が出てきます。

この記事によると、キーワード検索のような読み方をしている子が多いと。5割の教科書読み取り困難と2割の基礎的読解の困難が見られると。つまり読めてない子が多いんだと。読めるようにするのは公教育の責務であると。

 

読解力を付けるための方策は考えていかなきゃいけないのですけれどね。逆に考えるとさぁ、AIに読み取らせるように伝えたら伝わりやすいって事だよね、って思っちゃいました。この記事を読むと、伝え方についての方略がわかります。

問題提起の文の中では、伝える相手に対して自分と同じ力を持っているという前提で勧めていくことの危険性を読み取ることができます。

義務教育でちゃんと教えろよ!っていうメッセージになっていると感じましたが。

 

それにしても、ロボットが人に近づいている時代っていう認識はありましたが、人の方もロボットに近づいているとは思わなかったわぁ。