ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

伝え合いで大事なのは聞く?話す?

ということを考えています。

 

どっちも大事!で結論、でも良いのですがね。転勤したての数年前から聞くが大事と発言してますが、やっぱり今でも私は聞く力に偏るかしら。実際、昔のクラス指導では聞き方には拘っていたようですし ^_^;

 

喋り方の指導もしてきたのですが、常に聞き手への指導を入れていた記憶が…

「ちゃんと聞く姿勢にならないと喋れないじゃん」

は多用していたと思います。

気付く力を養いたいと思っていたので、見るとか聞くとかの方に片寄っていたのかもしれません。

 

話し合いではなく、聞き合いがいいなぁ。どんな言葉で相手の思いを巧く引き出せるのかな?とかを考えてもらうとか。

定型発達コースの子どもたちには、聞く力をつけてもらい、周りの子たちの意思が解るようになって欲しいのね。最近良く聞く言葉を使えば、忖度できるようになって欲しいと。

「要するに」なんなの?

できるだけ短い文で要点を伝えることが、指示を出す時のポイントです。余計な話をしないのが良いのですが、難しいですね。

 

長々と説明した後に「つまり」「要するに」などの言葉を使って説明が要約された文章が続くなんてシーンに思い当たりがあるのは私だけではないと思うのですけど…

その長々とした説明に意味があるのかどうか。意味があるならまだしも、意味が無いなら「要するに」の後だけで良いのですがね。これが難しい(-。-;

 

テレビやラジオで喋っている人は、「要するに」って良く使ってます。でも、その言葉の後に長々と話が続く人が多いのが気になります。ちっとも要約できてないじゃん!

 

「だから」「そして」「次に」「具体的には」なんていう言葉と間違えている人が多いんじゃないかしら?

要約する事自体が苦手な人もいるかもしれないですね。

政治家やコメンテーターなんて、伝えることが大事な人たちだと思うのですけど、あまり言葉を大事にして無いのかな?

 

こういう方たちの喋り方を参考にして、普段の指示の出し方を考えることにしましょう。

今年は戦争番組が多いような気がしますが

バラエティーなりドラマなり、8月に戦争を扱う番組って減少傾向にあると思っていたのですが・・・増えたような?

やっぱり、そろそろ危ないかなぁ?と思っている人が増えているのでしょうかね?隣国からミサイルが飛んでくる時代になってしまいましたからね。

 

戦争番組を放映するタイミングは8月以外にも開戦日や東京大空襲の日などがありますが、昔ほど放映されることはなくなっていたように思います。しかも大体が反戦とか平和とかがセットになっているモノが当たり前でした。戦争賛美の批判を受けるようなモノもありましたね。十五年戦争については、和戦、善悪、左右どちらでもなく、この際、史実の検証を中心に進めていただきたいわ。幕末に国交が拡大した後からの流れの中での日本のポジションとか、当時の世界の状況なんかも踏まえて、何が起きて、何が起きなかったかを根拠を示しながら・・・根拠の正確性も含めて・・・

ニュートラルにドキュメントする番組ってどのくらいあるのかなぁ?自分でもちょっと当時の新聞でも見てみようかしら。図書館に行けば見られるんだよね。

ペルセウス流星群は

車で暗そうな場所をいくつか周ってみましたが、雲が多くてあきらめて帰って来ました。

誰か誘おうかとも思っていたのですが、誘わなくて良かったわっ。

流星群もしばらく見てないなぁ。

子どもに分かるように

今日は有明でセミナーを受けています。

午前の講師は湯汲先生でした。著書には毎度お世話になっております(^O^)/

書名を見て、気になったとか、そこで悩んでいますとか、そうやって部屋に本が増えていくのですが、湯汲先生の本が結構ありまして、前から受講したいと思っていたのでした。

 

理由の話が一番怖かったかしらん。3、4歳の頃に「なんで〇〇なの⁇」と何かにつけてシツコく理由を聞いて来るのを丁寧に対応しとかないと、学童期や青年期に影響するとか。ヤバイですね〜。

 

子どもが分かるように話すポイントも納得の話でした。大人は抽象語が多くて話が長くて…とか。思い切り反省ですね。

 

二重否定は子どもに分かりにくいという話もありました。そんなに使わないと思ったのですがねぇ、

「〇〇しないと〇〇しません」

あー、使います使います f^_^;

 

普段から力で抑えつける家庭の話をよく聞きますし、その影響については知られていますが、乱暴な言語環境というだけで、結構影響が大きいのですねぇ。

 

沢山反省。

困り感を考える

こんな例をよく出します。

 

視力には1.0という基準が学校にはあります。これを下回れば目が悪いとなるわけで、再検査したり眼科を勧めたりするわけですが、座席が前なら0.7でも困らないわけです。座席配置にもよりますが、後ろの方だと1.0でも困ることがあります。視力に関しては、30年前から配慮するのが普通でした。少なくとも私と私の周りはやっていました。

「目が悪い」はどこで線を引いたら良いでしょう?相対的にAさんとBさんを比べて「良い」「悪い」ということはできますが、数字だけで考えるのはどうかと思うわけです。場合によっては、0.7より1.0の方が困ったりしているわけです。

 

認知の凸凹も同じように考えてもらいたいのですわ。確かに数字は目安になりますが、数字で決めつけないで欲しいのね。あと、視力並みに配慮を考えて欲しいのね。