ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

スマイルクラブ

今期も始まりました。通級指導教室と地元特別支援学校の連携企画です。各学期末に開催して、今年で6年目だったと思います。単純に計算すると17回目になるのかしら?この間に形も変わってきましたが、私にとっては貴重なお勉強の機会となっています。

先月、3校の通級指導教室が、特別支援学校に集まり、教材研究しました。で、今回、初回を迎えたわけですが・・・

活動1 ねぇねぇ、なあに?

活動2 モヤッとボールクレーン

60分程度の活動時間でしたが、なかなか面白かったです。子どもたちも楽しそうに参加してました。本来なら同時進行で保護者のグループ懇談が行われるところですが、この日は参観になってしまいました。

子どもはいつもと違う環境の中で小集団活動を体験。保護者は同じような悩みを持つ他の保護者とともに、特別支援学校の教師とグループ相談。とても貴重な機会です。特に保護者のグループ相談に代わるモノは、ウチ単独ではできないモノです。

活動後には振り返りと次回の見通しのための話し合いをしています。研究会みたいで楽しいです。

↓活動2のセット

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昭和の終わりに

初任当時の校長先生がお亡くなりになり、昨夜葬儀へ行きました。

記憶力には自信が無いのですが、御遺影に手を合わせた時から、先生の声が頭の中で再生されていました。遅れていったので人がまばらで、ホールの中に居づらくなり、外に出たのですが、鐘の音が聞こえてきたので、足を止めてお経を聴いていました。

あの頃、とにかく分からないことが、たくさんありました。覚えるまでに時間もかかりました。理解するまでにはもっと時間がかかりました。やってみたいことは、いっぱいありましたが、それを全て消化するには力量に欠けていました。

色々教わりましたし、多分私の見えないところでもお世話になっていたのではないかと、今なら考えられます。

支援教育に誘ってくれたのも校長先生でした。怒らないことの大事さを語っていただきました。

お話しの上手な先生でした。私は先生のお話を聞くのが好きで、たくさん指導もされたはずなのですが、すぐに思い出せることが少なくて寂しいです。

私の人生はあと何年なのかなぁ

レジリエンスという言葉で考えたこと

 

 ネットを見ると、回復力とか耐久力とか復元力とか折れない心とか色々書いてありますが、先日読んだ本の中にあった「心のしなやかさ」・・・確かそんな感じの言葉が気に入っています。気に入っているのにはっきり覚えていないところが特性です。

 それにしても支援教育の用語は片仮名が多いですね。なれるとAlphabetや片仮名を使っていますが、はじめの頃は苦労しました。全部日本語にすればいいのに、と極端なことを口走っていたわけです。そういう態度が軟化してきたのは、いくつかの外国の言葉が過不足無く日本語になっているわけではないと気づけたからでした。

 障害には種類がある、と20年くらい前に習っていたんですが、そこに問題意識は持てなかったのでした。最近ですね、いくつかの言葉をまとめて「障害」と訳したんだ、と気づいたのは。しかも、言葉自体に批判が出ていますよね。「障碍」と記載したりするのが有名です。

 そういうことなら仕方が無いです。うまく和語で伝わらないなら片仮名やAlphabetで表記してあげようじゃありませんか。という風に考えたわけです。

 レジリエンスかぁ。レジスタンスと似ているなぁ。しなやかな心でいいんじゃないかなぁ・・・。

君の手がささやいている

耳の聞こえない女性が主人公の物語です。私は視ると泣いてしまいます。テレビドラマの放映は、もう20年ほど前になるのですね。漫画も職場にあったので読みました。障害とかノーマライゼーションとかに興味が強くなってきた頃だったので、より惹かれたのかもしれません。どちらかといえば主人公ではなく、その他の登場人物の行動や心情の方が気になりました。

主人公の初出勤から物語はスタートします。耳が聞こえないことで起こるトラブルが色々・・・ドラマですからねぇ。聴覚障害者の心情もその周囲の人々の心情もよく伝わってくるドラマだと思います。現実はさらに厳しいのでしょうけれど。

取引先に書類を届ける途中で電車が止まってしまう場面があります。何が起きているか分からず、公衆電話もかけられないので連絡できずに困っていました。今だったら電車内でも電光掲示板で状況説明が行われて、連絡もメールですね。20世紀に比べて便利になって、できることも増えているなぁ、と思います。

 

眼鏡がなければ私は困ることがいっぱいです。でも眼鏡をかけている人に向かって障害者呼ばわりする人はいません。普及すれば特別視されないわけです。支援に役立つ色々なモノがドンドン発明されて普及すれば、障害はなくなるかもしれません。しかし・・・と考えるのですが、その様な世の中でも差別はなくならないのでは?意識とか心の成長が必要なんじゃないかしら?

今、インクルーシブな社会作りを行政は掲げていて、施設面を整えていますが、心の問題を考えているのかしら?ゆとりを無くした教育にそれができるのでしょうかね?

みんなでASD

「世の中は自閉的になってきているのではないでしょうか?」

この台詞を今の職場になってから、周囲にはよく話しているのですけれど、納得してくれる人とそうでない人が半々くらいでしょうか。

8年前に自閉症・情緒障害児支援級を担当しておりまして、開発されていく自立支援グッズについて知っている保護者から、色々紹介してもらっていました。当時iPad用に支援系アプリがすでに出ていて、「これは便利!」と思ったモノです。そういったグッズがたくさん出てくることで、自立しやすい世の中になるんじゃないかなぁ、と話していたのでした。現在のスマートホンの普及を見るだけで、そういう支援が身近になったように感じています。

今や電車に乗ってスマホを眺めている人のなんと多いことか。個々が必要なアプリを自由に使っている、と言う点で、それが支援でもそうでなくても、同じということです。見た目の違いは無いですよね。支援を受ける人にとっては、周囲を気にせずに支援アプリを使えます。

みんながスマホの画面を眺めています。ぶつかる直前まで夢中です。こんな状況では、生のコミュニケーションは発生しにくいでしょう。これはコミュニケーションが苦手な人には非常に生きやすい状況ではないでしょうか?

定型発達をしてきた人のことも考えてみましょう。

家庭ゲームが登場して以来、子どもの遊びから「コミュニケーション」の機会が大幅に奪われました。ゲームで育つイマジネーションもあるとは思いますが、偏りが生まれることは否めないでしょう。ゲームのセーブ機能とリセットボタンは「我慢」を奪っています。幼少期から大人になるまで、ずーっとゲームをしている人も多いのではないでしょうかね?その様に育って、果たしてコミュニケーションと我慢ができる大人になりますか?

こうして、元々特性は持たなくても、コミュニケーション力やイメージ力の未熟な人が増えていくわけです。すでにそんな世の中になっているように思いませんか?

そこが標準になると、自閉症の方々にとって生きやすい世の中となるように思うのですが・・・あと一息って感じですかね?

昔と違う子ども

「昔の子どもと違う。」

よく言われるフレーズです。この場合、子どもの行動面を言っていることが多いのですが、その行動も表面的なモノと隠れているモノがあると思うわけです。確かに表面的な部分では大きく変わったように見えますが、中の方・・・システムになるのかしら・・・は、変わらないように思います。

つまり、子どもそのものが変わったのではなく、変わったのは社会の方で、子どもからしてみると「ちゃんと育っている。」ということで。

集団行動が苦手、コミュニケーションが苦手、本が読めない、不器用等々、場所や人によって、色々ですが、だいたい「○○が弱くなってきている。」と言われることが多いです。でも、そう言われることを並べていくと、社会の変化と合致していることが多いことに気付きます。

紙工作職人の友人がよく語っていることですが、昔と今では生活の中での、手の動きが違うということです。特にひねる動きが消えているという指摘です。ノブを握って回すドアは少なくなりました。水道の蛇口もひねらなくても水が出るようになってきています。「経験が減れば、弱くなるのは当たり前でしょう。」と。

経験も含めて環境が人を育てるわけですから、時代とともに変化した社会の中では、それに合った人が育つということですよね。

そこまで認めた上で、さて、この先ですが、昔と同じレベルを色々な場面で求めるのでしょうか?時代の流れに巻かれてあきらめるのでしょうか?一寸極端かしら?

世界自閉症啓発デー

今日はその様な日だそうで、朝からラジオがそういう内容を流していました。

国連で決まったそうです。2007(平成19)年12月18日の総会で決議とあります。カタールの王妃さんが提案したそうです。国内でもイベントがありますね。その中にブルーにライトアップするのがあり、イベントに参加する人にも青いものを身につけて欲しい旨が記載されていました。

なぜ青なのかが疑問だったのですが、色の意味が「癒し」「希望」だからと言うことだそうです。「世界自閉症啓発デー」で検索すると、多くのサイトでその様に書いてあります。多分、情報源は同じだと思うのですが・・・

「青」は落ち着く色って聞いたけれど、色の意味について考えたことはありませんでした。

日本における「青」は若さのイメージがあるのですがね。「青春」とか「ケツの青いガキ」とか。元々、青の範囲が広くて、緑を含んでいたと聞いたことがありますが、そうなると、青春の青は春に芽を出す緑色なのかもしれません。

英語だとブルーフィルムって言葉しか出てこないのですが・・・まぁ癒しと言えばそうなのかしら?調べると「お堅い」とか「マイナスな気持ち」が意味として出てきます。

そこで、「色の意味」で検索してみました。そうすると、言語的なものでなくて、セラピー的なサイトが並びます・・・一寸怪しい。

結局このあたりを曖昧にしたまま、イベントの様子をネットで閲覧しているのでした。