ちょっと凹凹

つらつら考えて・・・くよくよぼやきましょう

君の手がささやいている

耳の聞こえない女性が主人公の物語です。私は視ると泣いてしまいます。テレビドラマの放映は、もう20年ほど前になるのですね。漫画も職場にあったので読みました。障害とかノーマライゼーションとかに興味が強くなってきた頃だったので、より惹かれたのかもしれません。どちらかといえば主人公ではなく、その他の登場人物の行動や心情の方が気になりました。

主人公の初出勤から物語はスタートします。耳が聞こえないことで起こるトラブルが色々・・・ドラマですからねぇ。聴覚障害者の心情もその周囲の人々の心情もよく伝わってくるドラマだと思います。現実はさらに厳しいのでしょうけれど。

取引先に書類を届ける途中で電車が止まってしまう場面があります。何が起きているか分からず、公衆電話もかけられないので連絡できずに困っていました。今だったら電車内でも電光掲示板で状況説明が行われて、連絡もメールですね。20世紀に比べて便利になって、できることも増えているなぁ、と思います。

 

眼鏡がなければ私は困ることがいっぱいです。でも眼鏡をかけている人に向かって障害者呼ばわりする人はいません。普及すれば特別視されないわけです。支援に役立つ色々なモノがドンドン発明されて普及すれば、障害はなくなるかもしれません。しかし・・・と考えるのですが、その様な世の中でも差別はなくならないのでは?意識とか心の成長が必要なんじゃないかしら?

今、インクルーシブな社会作りを行政は掲げていて、施設面を整えていますが、心の問題を考えているのかしら?ゆとりを無くした教育にそれができるのでしょうかね?

みんなでASD

「世の中は自閉的になってきているのではないでしょうか?」

この台詞を今の職場になってから、周囲にはよく話しているのですけれど、納得してくれる人とそうでない人が半々くらいでしょうか。

8年前に自閉症・情緒障害児支援級を担当しておりまして、開発されていく自立支援グッズについて知っている保護者から、色々紹介してもらっていました。当時iPad用に支援系アプリがすでに出ていて、「これは便利!」と思ったモノです。そういったグッズがたくさん出てくることで、自立しやすい世の中になるんじゃないかなぁ、と話していたのでした。現在のスマートホンの普及を見るだけで、そういう支援が身近になったように感じています。

今や電車に乗ってスマホを眺めている人のなんと多いことか。個々が必要なアプリを自由に使っている、と言う点で、それが支援でもそうでなくても、同じということです。見た目の違いは無いですよね。支援を受ける人にとっては、周囲を気にせずに支援アプリを使えます。

みんながスマホの画面を眺めています。ぶつかる直前まで夢中です。こんな状況では、生のコミュニケーションは発生しにくいでしょう。これはコミュニケーションが苦手な人には非常に生きやすい状況ではないでしょうか?

定型発達をしてきた人のことも考えてみましょう。

家庭ゲームが登場して以来、子どもの遊びから「コミュニケーション」の機会が大幅に奪われました。ゲームで育つイマジネーションもあるとは思いますが、偏りが生まれることは否めないでしょう。ゲームのセーブ機能とリセットボタンは「我慢」を奪っています。幼少期から大人になるまで、ずーっとゲームをしている人も多いのではないでしょうかね?その様に育って、果たしてコミュニケーションと我慢ができる大人になりますか?

こうして、元々特性は持たなくても、コミュニケーション力やイメージ力の未熟な人が増えていくわけです。すでにそんな世の中になっているように思いませんか?

そこが標準になると、自閉症の方々にとって生きやすい世の中となるように思うのですが・・・あと一息って感じですかね?

昔と違う子ども

「昔の子どもと違う。」

よく言われるフレーズです。この場合、子どもの行動面を言っていることが多いのですが、その行動も表面的なモノと隠れているモノがあると思うわけです。確かに表面的な部分では大きく変わったように見えますが、中の方・・・システムになるのかしら・・・は、変わらないように思います。

つまり、子どもそのものが変わったのではなく、変わったのは社会の方で、子どもからしてみると「ちゃんと育っている。」ということで。

集団行動が苦手、コミュニケーションが苦手、本が読めない、不器用等々、場所や人によって、色々ですが、だいたい「○○が弱くなってきている。」と言われることが多いです。でも、そう言われることを並べていくと、社会の変化と合致していることが多いことに気付きます。

紙工作職人の友人がよく語っていることですが、昔と今では生活の中での、手の動きが違うということです。特にひねる動きが消えているという指摘です。ノブを握って回すドアは少なくなりました。水道の蛇口もひねらなくても水が出るようになってきています。「経験が減れば、弱くなるのは当たり前でしょう。」と。

経験も含めて環境が人を育てるわけですから、時代とともに変化した社会の中では、それに合った人が育つということですよね。

そこまで認めた上で、さて、この先ですが、昔と同じレベルを色々な場面で求めるのでしょうか?時代の流れに巻かれてあきらめるのでしょうか?一寸極端かしら?

世界自閉症啓発デー

今日はその様な日だそうで、朝からラジオがそういう内容を流していました。

国連で決まったそうです。2007(平成19)年12月18日の総会で決議とあります。カタールの王妃さんが提案したそうです。国内でもイベントがありますね。その中にブルーにライトアップするのがあり、イベントに参加する人にも青いものを身につけて欲しい旨が記載されていました。

なぜ青なのかが疑問だったのですが、色の意味が「癒し」「希望」だからと言うことだそうです。「世界自閉症啓発デー」で検索すると、多くのサイトでその様に書いてあります。多分、情報源は同じだと思うのですが・・・

「青」は落ち着く色って聞いたけれど、色の意味について考えたことはありませんでした。

日本における「青」は若さのイメージがあるのですがね。「青春」とか「ケツの青いガキ」とか。元々、青の範囲が広くて、緑を含んでいたと聞いたことがありますが、そうなると、青春の青は春に芽を出す緑色なのかもしれません。

英語だとブルーフィルムって言葉しか出てこないのですが・・・まぁ癒しと言えばそうなのかしら?調べると「お堅い」とか「マイナスな気持ち」が意味として出てきます。

そこで、「色の意味」で検索してみました。そうすると、言語的なものでなくて、セラピー的なサイトが並びます・・・一寸怪しい。

結局このあたりを曖昧にしたまま、イベントの様子をネットで閲覧しているのでした。

アニメを読む

研究会の打ち上げで、同僚のMさんと『銀河英雄伝説』談義。マニアック・・・と言うほどではないのですが、周りは誰も会話に入ってこられない。とてもたのしい会話でしたが・・・

 

アニメ談義は久しぶりでしたが、やはり個々にとらえ方が違うんだなぁ。

昔、子どもだった頃

「本と違って漫画やアニメは絵があるから想像力が衰える」

みたいなことを言われました。

そうね。光景って点では、想像しなくても見せてくれるものね。でも想像力は必要だわ。以前、岡田斗司夫さんが

「アニメを読む」

という言い方をしていたのを聞いたことがあります。本で行間を読むがごとく、アニメも漫画も作品のテーマを読み取ったり、作者の意図を読み取ったりするんだよね。

本は文章から個々にイメージして、あれこれ考えるわけですね。漫画は絵の表現が加わる分、情報が多くなります。情報が多いので、解釈の個人差が起きない・・・昔の大人はそう考えたわけです。でも、話の流れや描き方などに注目して解釈が分かれることが多い現実。アニメは動きがわかりやすくなり、音と光が加わっているわけです。情報が多くなる分、色々なところに注目して、独自の解釈をする人が増えていくわけです。漫画もアニメも子どもを置き去りにして突っ走っているように思います。

研究会で講師の方が、物語の冒頭部分を大切に、と言うようなことをおっしゃっていて、それをMさんが「アニメも同じだ」と言っておりました。すごい。視点がつながっている。そういう見方ができるMさんを尊敬してしまいます。

四半世紀前にアニメを使った授業をやったことがありますが、これから先、漫画やアニメを使った読解とかが普通に行われるようになるかしら?

中学の頃

個性を伸ばす時代と言われて随分経ちましたが、個性って何?とかいう所の共通認識はできていないようにも思います。

むかし、制服問題というものがありました。制服廃止ではなくて、変形制服を認めよう、というものだったと記憶しています。その時に個性という言葉がよく使われていました。

服の選択は感性だと考えると、個性なのかなぁと思います。

自発的にそれがカッコいいと思って着ているなら、そうなのでしょう。

でも真似をした段階で違うと思うんです。「こういうもんだ」と慣習化しているのも違うんじゃないかな?既成のモノに流されているのは、個性の現れとは関係無いと思うのですけど。

小さい内から感性を磨くためにブランドモノを身につけさせる、なんて事を言っていた人がいました。

身につけるだけで感性向上するなんて、御目出度い事であります。優越感にひたりたいとか、単に親の趣味とかなんじゃないかしら。

大衆品を自分でコーディネートする方が、よほど感性向上するでしょう。ブランドモノを身につけるのは、良いものに触れるって事になるのだろうけど、それだけでは育たないよなぁ。

個性は服装くらいでなくなるものではないと思うけどなぁ。

天満で研修

17時過ぎに退勤して、新幹線に乗って、やってきました大阪天満。22時過ぎてましたが、とりあえずOKということで。

明日は研修センターで講座があります。焦ってますね。色々と。何か、自分の非力さをすごく感じる毎日ですので、知識だけでも蓄えておかないと、不安が膨らんで仕方がない。最近特に不安を感じやすいから、また10年前を繰り返さないように気をつけないと・・・もう次は無い。

まじめに一日受講しますよ、もちろん。こんな遠くまで来たのだから。

晩ご飯は名物が食べたかったなぁ・・・結局ファミリーマートで買ってきたものをホテルで食べてます。